今日も佳き日を… 35歳からの肺腺がん(HER2)ステージⅣ ライフ -24ページ目

今日も佳き日を… 35歳からの肺腺がん(HER2)ステージⅣ ライフ

現在43歳 9歳と12歳の男の子のお父さんです。肺腺がんステージⅣの治療や生活をつづります‼

術後3週間ほどが経ち
痛みも少しずつですが、とれてきていて
寝返りもうてるようになり
寝ることも楽になってきた今日この頃

重いモノを持ったり、腕を上げたりは
まだ出来ないですが、
日に日に胸の傷も良くなっています。

相変わらず声はあまり出ず

たまに呼吸がしづらくなったりもしますが
そこそこ元気なので
あらかじめ問い合わせて話をしておいた
京都駅の近くにあるT診療所に
今日、初めて行ってきました。

今後のことも考えて、私が住んでいる
関西を拠点とした治療も考え、また
今まで東京で行ってきた温熱療法に関しても
健康保険に対応した病院で行うことを
検討する為に行ってきました。

現在、東京のTKクリニックで行っている
免疫細胞療法の効果を上げる為に
温熱療法を行っているけれど
(手術をして身体にダメージを負っているので
一ヶ月ほどは温熱療法は出来ない状態ですが…)
東京までの交通費や手間、そして
自由診療ゆえのコストアップなどふまえて
TKクリニックの医師からの薦めもあり
温熱療法に関しては、関西の治療をと
考えていました。

今回の医師はTKクリニックで
お世話になっている先生とも懇意にされているので
話がまとまりやすく、結果として今後
東京での免疫細胞療法を行う前後に日程調整をしながら
京都で温熱療法を受けることになりました

また、今後の詳しい治療に関しては
明後日29日にKGC病院にも行って
手術内容の結果や術後の経過状況などふまえ
いろいろと話し合って決めていくけれど
直近の治療のじわじわ戦略については
私の想いや各病院の特性等も考慮して
3つの病院を行き来して
受診しながら治療することになります

詳しい今後の治療については
明後日に明らかになってくると思うので
また、報告します

復活劇は続く…

今日、自身の今後のがんの治療について
調べている時に小林麻央さんの訃報がスマホから届いた。

まずは、お悔やみを申し上げます。



彼女は34歳、(私の妻とは同い年)

私は35歳と1つ違いで

4歳の同じ歳の男の子もいる4人家族。


もちろん芸能人なので、全然生活も違えば
彼女は母親で、私は父親と立場も違い
がんの種類も違えど


進行がんを持つ患者であり、親であり
人であることは同じであった。

家族との触れ合いや気丈に治療に挑む姿が

綴られた彼女のブログは、
同じような境遇の私にとっては、

少し辛く直視出来ない部分もあり
正直あまり見ないようにもしていました。

しかし、これだけ世間にも日々のことを公表し
どのようなことが起きているか、赤裸々に伝えていたので
私も含めて、いろんな人が悲しい思いをする

いろんな批判やつまらないコメントもあっただろうけど
それでも、一人でも同じような病状の人の希望となるよう
伝えていたことは素晴らしいことだと思います。
おそらくだけれど、この行為が彼女自身の生きる力にも
なっていたのではないかとも思いました。


今日は彼女のことについて、つらつらと

書くわけではなくて、一歩進めて

この訃報から がん患者の私が思ったこと
考えたことを 少し書き残しておこうと思います。


人が亡くなるということは
もちろん彼女だけでなく、いろんな方において
今、この時にも起きていること。

私は、このがんという病気の経験を通して
ブログ内の情報や病院内などいろんな場面で
ヒトの死との距離を間近に感じることがあります。

もちろん、その分だけ悲しみもあります。

しかし、命の重みは一緒であり、尊く
そして誰にも命はあって
いつかは死がやってくるものである
ということは間違いないことなんですよね。

私も貴方も、いつかは亡くなる。

短いか長いか分からないけれど
これは避けられないことですよね


だからこそ、生きている者として
周りの死も受け入れて
私が 貴方が、今 出来ることをしっかりとやって
生きるしかないんだと思います。


家族や親族、より近くに存在した人ほど
その人の死に直面する時は悲しみにくれるだろう

しかし、生きている者として
出来ることをこれからも
続けていかなければならない

人の死によって、自分は生きることを考えると思うし
さらに自分の死を考えると、
より自分がどう生きようかと考えると思います。

小林麻央さんの死からも
私は生きること、出来ることを考えようと思いました。


私が、もし亡くなったとすると
周りにおいては、悲しんで生きるよりは
楽しく生きて欲しいと思う次第です。
(一時は悲しくなるかもしれませんが、
出来るならば笑って欲しい)

そして、私の死から何かを受け取って
貴方が生きている時間を大切にし
私が出来なかったことも含めて
目いっぱいやれることをやって
生きて欲しい

人の死は怖いものや辛いものではなく
次につながる過程の一部だと思えば
自分自身も楽になれます。

私もまだまだよく分からないところはありますが
この経験を通していろんなことを考えさせられますが
永遠のテーマかもしれませんね

影があれば、その裏に光があるように
死と向き合うことは、ネガティブなことのようで
実は前向きな捉え方もあるのだと
この経験を通して、今の私は感じるところです。


とにもかくにも
小林麻央さん

お疲れ様でした
心からお悔やみ申し上げます...

嫁さんから教えてもらいました

今日は「がん支えあいの日」ということ

 

毎日何かと「○○の日」ってありますけど

こんな日もあるんですね

 

ちなみにキャンサーリボンズというNPO法人が制定したようです

http://ribbonz.jp/index.htm

 

 

また、一緒に教えてもらった

「がんと予防について」解説する動画が

分かり易く、表現としてもなかなか良かったので

よかったらご覧くださいッ

 

説明する中身については、医療の進歩や

がんの何を伝えるかによって

変わってくると思いますが

あれこれ言わずシンプルに伝えているところが

好感を持てるので、共有します!

 

 

昨晩は術後の痛みとは違い
痒みとの闘いが
ベットの上で繰り広げられた

何故なら一匹の蚊が
我が部屋にどこからか
侵入してきたからだ


寝ている間に手の親指と
足の甲を刺されて痒くなって
夜中に起きた がばっ

悔しいから起きて成敗してやるっ

夜中に意気込むも
相手の姿はいっこうに現さず

しばし敵の動きを待とうと一人
ぼうーっと待ち続けた

現れない


これは退陣したのだ
そうだ 敵は恐れて逃げたのだ
ハっハっハっ

と思い
パチッと灯りを消して寝る


ほどなくして

プーン
っと
敵の飛行音が聞こてくる

なぬ

パチッと灯りをつける

敵はまた、消える
飛行音すらしない


ぬぬぬ

待てども敵は現れない

今までの蚊よりもどうやら賢いようだ

私には蚊取り線香という武器を
持ち合わせていなかったから
これでもどうだっ!と
部屋にあったお香をつけてみた


うーん 実にいい香りだ

リラックス リラックス
っと

効果は知らんけど寝るぞ
っと

パチッと灯りを消す



プーン

笑ってやってくるように
すぐさま飛行音が
私の近くにやってくる

もはや、お香作戦は
部屋を癒し空間の香りにしただけで
全くもって蚊という
夜中の来訪者には効果はなく
私はあきらめて枕と掛け布団を持って
部屋を出て
リビングにあるソファで寝た

わずかな手と足の痒みと胸の痛みを抱えて
明日蚊取り線香か何かで退治だな
と思いつつ、眠りについた

ふー



そんな少し睡眠の質が
いつもより悪い昨晩でした
(前置きか長くなりました すいません)

今日は
・自身のがん細胞から取り出した抗原を与えた樹状細胞 1000万個注入
・TIL細胞(腫瘍浸潤T細胞)を13億ッ!注入

以上の免疫細胞を注入しに、東京へ日帰りで
いってきましたよ。

いつもと違い
今日は腕からの点滴だけではなく
これまた初めての脇の下あたりから
皮内注射もした

この注射もけっこう痛いんだね ブスッ


さて、効き目はいかにっ

すぐにその効果は分からないけど
私の脳内イメージでも免疫細胞を活性させて
より効果が出てくれたらと思います。


ちなみに昨日は
手術の時にドレーンを刺していた
3つの穴のところの1つが痛み出し、
入浴中には
膿がトロッと出てきた!

何事かっ!
と思い
今朝、主治医に電話で聞いたらば

よくあることなので気にしないで

とのこと

ふむふむ

そう言われたら大丈夫な気がする

私にとっては、初めてのことなので
正直どこまでの痛みが良かったり
症状としてどこまでのことが悪いのか
分からないので、気になったら
聞くしかないかな

そうやって、知るしかないかっ


さてさて、またまた話は変わりますが
(以下は、治療と関係ない話なので
治療の話以外に興味ない人は
スルーください)

この週末は
長男の幼稚園の土曜参観日と
日曜日は父の日だったので
最近、入院やら胸の痛みやら治療やらで 
子どもとの触れ合う時間が少なかったけれど
子どもの成長を垣間見ることができた


大したことないけど
長男が幼稚園という集団の中で
ちゃんと整列したり
歌をみんなと歌ったりする成長した姿をみて
周りのお父さんお母さんが楽しそうな中

実は一人嬉しくてうっすらと
涙してしまったなぁ

3ヶ月ほど前の一時保育で
預けていた卒園式では
みんなが前で私達保護者に向かって
歌っている中、長男だけは
何故か一人だけ前に出ず、聴く側に座り
まるで自分は
オーディエンスのようにしていた長男。

まさか卒園式で自分の子が前に出ず
保護者と同じように座って
まるでプロデューサーのごとく
園児が歌う様子を聴くとは想定してなくて
卒園式だからそこそこ泣く予定を
していたけれど
その行動に驚き、
我が息子のマイペースぶりに
どうしたものかと
考えあぐねていた頃とは変わり
この数ヵ月でしっかり適応して
成長してることが嬉しかったなぁ
(まぁマイペースぶりもまだまだ残ってるけど
それはそれで残っていてもいいかな)

また、その次の日の日曜日の父の日には
以下のような似顔絵をプレセントしてくれた



今までぐちゃぐちゃな殴り描きだったり
電車しか描かなかったのに
お父さんを描いてくれる日が来るとはね

うるうる
(手術の時の麻酔事件以来、
私の涙腺は崩壊したようです)

妻と作ったクッキーや蒸しパン
(材料制限もあり、あまりうまく
いかなかったみたいだが…)や
また、かつて庭で一緒にした焚き火が
楽しかったようで、焼きいもをしようね
と約束をする手紙のようなものまでもらった

考えてみたら
初めて父の日に子どもから
プレセントを貰いましたッ

見た目にはあまり嬉しいとか
喜んでいる様子が現れにくい私ですが
心の中で感動してました


お父さん長生きするから
焼きいも一緒に焼こう!
焚き火も一緒にしような

心の中で決意した


そんなこんなの週末を過ごし
今日は今日で治療を終えて
新幹線は関西に向かって走って帰る

梅雨の時期なのに、いい天気だ

復活劇は続く…

退院の日と合わせて、治療計画通り
免疫細胞療法を行った内容を残しておきます。

今回は
・NK細胞
・ガンマデルタT細胞
・アルファベータT細胞
を注入。

30分ほどの点滴ですぐに終わり
その後の副作用も特にない。

また、次回の樹状細胞の注入の為にも
成分採血(アフェレーシス)を行った。

針が少し太いので痛いことは痛いが
もはや、手術の時の痛みに比べたら
どうってことはない

しかし、この病気をしてから
何度針を刺されたのだろう…

私よりも治療歴が長い人はもっと
刺されているんだろうけど
もう既にブスブスと刺された回数は分からない

看護師さんの「チクッとしますねぇ」の言葉と共に
少しの痛みがくる、あの瞬間
何度経験しても良いもんではないですね

痛みのない針が開発されているはずだけど
もっと普及して欲しいものです 

ちなみに
ベテランの看護師さんの方が針を刺すスピードが早く
新米の看護師さんほどスピードが遅い傾向がある

早くにブスッといく方が痛みがましな気がする

今度刺される時に見てください
迷いがない人ほど経験値が高いような気がします

そんな針の話はさておき
免疫細胞療法の話に戻りましょう


TKクリニックから連絡が入り
手術の際に摘出した私のがん細胞から
TIL細胞(腫瘍浸潤T細胞)と呼ばれる
腫瘍組織に食い込んでいく細胞を
今回投与出来るまで培養出来たとのこと

貴重な一回限りの投与ですが
やりますか?と

そんなことが出来るとまで聞いていなかったけど
貴重な1回とか言われるとやりたくなりますよね

でも調べたら
最近の研究では腫瘍に入り込むだけで、
がん細胞を傷害しないことも
取り上げられているので
効果に疑問符がつく部分もある。

その効果に疑問があろうとも
今の医者の言うことも信じ
自分のがん細胞に集まっていた
TIL細胞彼らの力も信じて
貴重な一回をやらないという選択をせず
やろうッと思っている。

ということで私は
・NK細胞
・ガンマデルタT細胞
・アルファベータT細胞
・TIL細胞(腫瘍浸潤T細胞)
・自己ライセートで刺激をかけた樹状細胞
という免疫細胞療法の布陣で
身体に残っているがん細胞に挑むことになる

ちなみに各免疫細胞の役割を
知らない人の為、私の頭の中の整理も含めて
簡単に記しておくと

・NK細胞とは
ナチュラルキラー(natural killer)細胞のことで、
文字どおり生まれつきの殺し屋で
全身をパトロールしながら、がん細胞や
ウイルス感染細胞などを見つけ次第攻撃するリンパ球のこと

・ガンマデルタT細胞
異常な細胞全般にみられる別の分子を単独で見分けて、
それらを目印としてがん細胞を認識し、
攻撃を加えるT細胞の一種のこと

・アルファベータT細胞
この細胞は、自分が戦うべき敵がどんな目印をもった細胞か
ということが明確にならないと、戦いのモードにならないが
しかし、その目印が分かった時の攻撃力は高い免疫細胞

それがアルファベータT細胞
(以下、樹状細胞との関係で力を発揮し易くなる細胞)

・TIL細胞(腫瘍浸潤T細胞)
すでにがんを認識し、攻撃に移っている免疫細胞だから、
あらためてがんの目印(抗原)を教え込む必要がなく
これを培養して数を増やし、活性化させて体内に戻せば、
すぐにがんを攻撃する実戦部隊になるT細胞と言われている。

・自己ライセートで刺激をかけた樹状細胞
樹状細胞は、がんという指名手配犯の顔や特徴を
T細胞たちに伝える役割を担い、いわば司令塔の
ような存在。
そして、今回はその樹状細胞に
自身のがんからがん抗原(目印)を取り出した
ライセート(溶解液)で樹状細胞に刺激を与えて
よりターゲットを明らかにした状態の樹状細胞を
投入することになる。

詳しく話をすると
もっと長くなってしまうので
ざっくりとした説明ですが
そんなところです。

今回の免疫細胞療法の布陣を
サッカーのフォーメーションで例えて言うと
トップのフォワード(FW)に
どんな相手でも手あたり次第
あの手この手でアタックして
点を取りに行くNK細胞と
ペナルティエリアにぐいぐい
ドリブルで押し込んで、
点を取りに行くTIL細胞

トップ下のミッドフィルダー(MF)に
司令塔として相手の特徴や
試合の流れをくみとって
ゲームメイクする役割の樹状細胞

その司令塔のパスワークをもとに
サイドのMFにアルファベータT細胞

ガンマデルタT細胞
という超攻撃的な布陣で挑む

って言っても
分かりにくいかッ


えっ?ディフェンス陣はどうするかって
「攻撃は最大の防御なり」という言葉知っていますか?

攻撃し続ければ、防御は要らない
ということで免疫細胞療法は
守りは一切行わない

というのが
私の治療戦略における
免疫細胞療法の立ち位置です

まぁ実際には
がん細胞が体を攻撃するということはなく
増殖をしながら、臓器や器官に浸潤し、
その機能が低下したり、炎症を起こして
胸や肺、心臓に水を貯めこんだり
と様々なことが起きて、
体に変化が出てくるのだ

がん自体が体を
痛めつけているわけではないので
その増殖を抑え、かつ数を減らし
最大の目的は消滅させ、
次に現れないようにすること

それががんとの闘いであり
共存して生きていくやり方なのだ

がん予防やがんが
住みづらい体にする為に
日々の生活の中で食事や睡眠、
運動等に気をつけること
それが守りの行為かもしれない

守りももちろん必要だけど
私の今の状況ではその守ることばかりに
目を向けていて、守りきれなかった時
えらいことになってしまうので
守りよりも攻撃が必要な時期と捉えている

という風に話をしていると
何やら免疫細胞療法というのは
非常に有用で何やら効果がありそうな
そんな気もするかもしれないけれど
あくまで免疫細胞療法は
現在、標準治療ではなく、
一部先進医療として
扱われているものもあるが
その効果はデータとして乏しい。

だから、今回これをやったから
必ずしもがん細胞が縮小したり、
消滅したりするかは分からない

むしろ効果がなく、
がんが成長してしまうかもしれない。

しかし、やってみないことには分からない

化学療法に関してもそうだけど
効果が出るかどうかは
やってみないと分からない部分が多いのだ


標準治療を行う医者からすると
今までの実績からくる
生存率や奏効率の確率の話から
間違いなく化学療法を勧められる

それも間違っていない。


現状、免疫細胞療法は自由診療なので
かかる費用に対して
効果を得る可能性が低いともいえる

その効果を高める為に私は
自分のがん細胞を用いることにも挑戦し
免疫細胞を単独ではなく
総合的に働きかけて、挑むつもりだ

どの免疫細胞が効いたか分からなくても良い

何かが作用して、少しでも効果を
上げてくれることを望む

自分がエビデンスの一つを作る気持ちで
挑みたいと思っています。


その免疫細胞のサポートを受けて
私は私で体を整えながら
今まで行ってきている代替療法も
日々続けながらやるしかない

後でやっておけば良かったぁ
と思わない為にも
周りのサポートも受けて
続けていきますよッ と


しかし、10年程前にはこのような治療法も
ほんの一握りで、治療の選択肢として
かなり限られていたことを考えると
有難いことなのかもしれない

免疫細胞の治療も日々研究が進み
5年後、10年後には新たな治療法や
画期的な免疫細胞が
発見されているかもしれない

今の免疫に関わる研究のトレンドというか
スピード感をみたり、がん治療全体の
研究の情報を見ていると
きっと、がん治療のイノベーションが
近い将来に起こると期待も込めて信じている。

それらによって、
同じような境遇の方も
病気が治ることを願いつつ
今、この時代に生きている患者として
出来ることをやるしかないッ

研究者の地道な努力によって
花が開くことを患者として願ってやまない


ステージが進み、末期になればなるほど
治療の選択肢は狭まり、
生存率も低くなっていく

しかし、そこに希望がある限り
あきらめない

その覚悟を持っているかどうかも
生き続ける力のカギだと思う

いつもより真面目に長い文章に
なってしまったけど

それらを証明する為にも
復活劇を続ける…

先日の手術の内容を入院中
回診の時にヒアリングはしていたけど
術後かなり痛い状態で

メモも出来ずにいたので
退院時に情報提供書をもらっておいたので
今後の為にもその内容を残しておきます。

【傷病名】
原発性不明肺癌

【備考(記載)】
左肺門部肺癌の術前診断で2017年6月5日

腫瘍切除術を施工しました。
腫瘍上縦隔に存在し、

大動脈基部に浸潤を認め、

心嚢内にも播種性病変を認めました。
残念ながら完全切除は困難であり、

可及的な腫瘍切除術となりました。
左の縦隔神経、迷走神経、反回神経、

心嚢、縦隔胸膜にも浸潤を認め
合併切除を行っております。

 

しかしながら肺には病変を認めず
肺の切除は行っておりません。
 

リンパ節につきましては、

左鎖骨上リンパ節、

傍大動脈弓リンパ節、

および縦隔リンパ節にも

転移を疑う所見を認め摘出しております。
 

反回神経の合併切除を行ったため、

嗄声(サセイ)をきたしておりますが
誤嚥なく経口摂取は可能な状態です。


ということで
改めて、テキスト情報で

診療情報提供書をもらうと
そんなとこまで浸潤していたんだ
とか
リンパの転移もけっこう進んでいたんだと
詳細のことがよく分かり良かったと思う。

2週間後の次回の受診時に詳細の話や
今後の治療に関して

話をすることになるだろうけど
事前に知っておくのはよく
また、改めて進行がんを

なめてかかってはいけないな
と思いました。
 

別になめているわけではないですけど、

忘れるぐらいの気持ちも大事ですからね

切り替えというか、

バランスが大事なんでしょうかね

また、傷病名が
原発性不明肺癌ということで
これは、とりあえず入れている

状態とのことで

未だ確定していない私の病名


今回の手術で摘出されたがん細胞や
手術の結果などから
病名を明らかにしていくらしいけど
時間を要するとのこと

病名に関して、もやもやする部分は残るが
ソレはソレで、おいておいて
やることをやっていこうッと

痛み止めの薬と胃の薬を4種類ほどもらい
さらに座薬までもらい
今はそれらの薬で痛みを

コントロールしています。

一種類の薬は睡眠薬のように
薬を飲むと確実に眠くなります。

痛いことは痛いけど
普通に生活しています。

声は出にくいけど
コミュニケーションはとれます

リハビリを行い
着実に一日一日体は良くなっている

しかし、大笑いしたり、咳をしたり
大きく息を吸いこんだりすると
胸が痛いので出来ない

寝たり、起き上がろうとするにも
上半身や首が痛いから
どこに力を入れたらいいか分からず
のろのろと一人試行錯誤しながら
寝起きをしている。

子どもの抱っこや重い荷物も持てないので
父親としての機能も低下

いろんな制限がありつつも
この外傷は一ヶ月もすれば

治ることだからよく

それよりも身体の中のがんぼっちたちを
どうするか ですよね

引き続き、やれることをやっていきます

次回に続く…

読んでいただきありがとうございます

今回の手術を終え、退院にあたって
思うことを帰り道の新幹線の中で
残しておこうと思います。


闘病生活をすると
苦しいとか不安とか痛みとか
もちろんにょきっと現れたりします

ないわけがない

しかし、そればかりにとらわれても
良くなるわけないッ パシッ

苦しいあとには楽しいことが待っていると
希望があるからやれるわけなんですよね

がん治療に限らず闘病生活というのは
時に孤独な闘いもしいられます

しかし、その裏にいっぱいの励ましや
応援があることが
何よりも生きる力になることを
私は今回の手術を受けて
身をもって知りました。

今まで病院とは縁がなく
健康な体で育ってきた私ですが
そんなことわかってるよ
へへへと思ってたけど
ぜんぜん分かってなかったんだなぁと…

こんなに有り難いもんなんだと
改めて分かりました。

忙しい中、仕事の合間や
他の予定と都合をつけたり
病院まで何度も足を運んでくれたり
貴重な休日にお見舞いに来てくれたりと
おかげさまで私は回復期に
暇をすることなく
話をして元気をいっぱいもらいました。

そして、距離に関係なく
メールやメッセージ、プレゼントなど
での応援も本当に励まされました
力になりました


私のブログでの経緯や内容を
ご覧いただくと分かりますが
がんと告知されてから
生活に、感情に、自分だけでなく
身近な人にも
ダイナミズムを引き起こします

しかし
そのギャップが激しいからこそ
分かることや大切なことが
見えてくることもあるんですね

面白いもんです

もちろん自分で育てたがん細胞ですから
自分で責任をもって向き合いながら
付き合っていかなきゃならんのですが
その道中にいろんな仲間がいることも
大切なんだなと思いました。

もちろん家族や親族、
一番身近なパートナーである妻もしかり


甘えるわけではないですが
周りに頼れる部分は頼り
自分で闘う部分は闘う

役割分担というか
医者も含めて治療は
チームプレーなんだなぁと思ってます。

余談にはなりますが
まぁそんなこともあり
私は退院する日の朝
お世話になっている主治医と
電話で話したり、病室で話をしたり
いろいろと対応してくれている
担当の二人の先生と私とで
スナップ写真を撮った

これは術前の説明の時にも
私からのたった1つのお願い
として
術後元気になったら
「一緒に写真を撮ってくださいッ」
まるで中学の女子が憧れの先輩に
お願いするかのように
少し恥ずかしながらも
お願いをしていたのだ

嫌だ とか ツッケンドンに言われたら
どうしよう もぉ どうしよう とか
乙女な私をよそに

やや半笑いで
もちろん良いですよ と
主治医はオッケーしてくれた


こんな患者も 珍しいか


でも、何か感謝の気持ちというか
しばらくの間、一緒に闘ったというか
いろいろ話をしながら
よりよい治療を考え、お世話になった
関係でもあるので
残しておきたかったから…

ということで
病室の前で撮影した写真は
やや皆 はにかみながらの写真だったけど
私にとって大切な、貴重な写真になった

写真とさらにラブレターならぬ
感謝の気持ちとこれからの
治療への想いや質問、確認、お願い事項も
書き込んだ手紙を主治医に渡して
私は病院を後にした

ありがとう 先生たちよッ!
そして、徐毛をはじめいろいろと入院期間中
お世話になった 看護師さんたちよっ!
アディオスっ


といっても別れるわけではなく
これからも話はしていくんだけどね

まっ1つの区切りってことでね ねっ



この手術をするまで
私にとっては、手術はまだかまだかと
かなり焦る気持ちも抑えつつ
心マイルドにして
首を長くしているのを
あまり見えないようにして待っていた

途中に心タンポナーデも発症して
一度は遠退き、諦めた手術

しかし、ようやく私の想いは叶い
手術を受けることが出来ました

もちろんこれが正解だったかは
誰も分かりません

がん細胞も一部残っていますし
声も機能が低下してますし
傷も残ります

でも、よかろう

自分が選んで決めたことですから…


むしろ、これからの闘いの方が
私にとっては本番かと思ってます。

手術は医療の力を借りて
一部取り除いただけであって
根本的な解決には至ってないですからね

私の体には、全身に散らばった
小さながんぼっちもまだまだ存在している

がんを抑制する力をつけないことには
転移というかたちで他臓器に
住みつき、育つかもしれない
悪さだっていろいろするかもしれない

だから治療は既に前から始まってるし
これからも長期戦で治療は続くのだ

てな具合に
移り変わる景色を新幹線から眺めながら
おかえりぃと 子どもたちも待つ
家に帰るのさ

そして
復活劇は
第三章から
第四章へと続いていくとさ


しかし
一週間前の手術直後のこの時間
地獄のような時間だったなぁ
本当に痛かったぁ

喉元過ぎれば…
じゃないけど
一週間で もう遠く昔のことのようだ

良くも悪くも
人間忘れるのも素敵な能力のようだ



皆様、今回の手術ではご心配ならびに
励ましの言葉等々
本当にありがとうございました

まだまだ、続きますが
この場をかりて感謝申し上げます。

術後4日にして

退院してももう大丈夫かな

と言われているぐらい私は回復し
歩いたり、ご飯食べたり、お風呂に入ったり
人並みの生活に戻りつつある。

もちろん、痛みは薬で抑えていないと痛いし
重いものを持ったり、上半身に力を入れると痛く
寝返りをするのも、まだ辛いけれど
痛みについてはしっかりと薬を飲んでいたら
緩和され、術後すぐの痛さに比べたら
何てことはないッ!

ただ、声に関してはガラガラ声で
声量が少ない状態が続いている。

これは一時的なものではなく
これからしばらく付き合っていくことになるだろう

今日はタイトルの通り
その原因である「片側反回神経麻痺」について
お話しておきます。

片側反回神経麻痺
そんなこと聞いたことないですよね?

とかいう私も聞いたことがなく
術後に初めて聞いたので
びっくりしたところもあったんですけど…

まずは経緯からお話を…

私は縦隔の位置にある原発の大きながんだけでなく
鎖骨のリンパ節にも転移していたのは
前々からPET検査で分かっていたのだが
その転移先のがん細胞が
私の左側の反回神経に絡みついていたのが
手術で開胸し、術中に直接みて判明したのだ。

よって、その神経を切除しないと
転移したがん細胞は摘出出来ない状態だったのだ。

①片側の神経を切除する=
ガラガラ声になるけど、がん細胞は確実に摘出できる
②片側の神経を切除しない=
元の声と同じだけど、がん細胞は残ったままになる
さぁ貴方はどっちを選択しますか?
という判断になる

①は目に見えるがん細胞を摘出できる代わりに
声という機能が低下することになる

②に関しては、がん細胞が残るが、声の機能は残る
(この場合、がん細胞を手術ではなく、もちろん
他の治療法でやっつけにいく方法もあるだろう)

術中、私は全身麻酔で寝ているので
私に聞くわけにもいかず
ここは主治医の判断で①が選ばれたわけだが
私は、それで良かったと思っている。

術後、声がガラガラだったのは
正直びっくりしたけど
声を失ったわけではなかったし
元通りとまでにはならないけれど
今の状態よりはある程度は
改善されていく可能性もあるということを
術後に聞いたので、安心していた

さて
そもそも声を出す仕組みというのは
どんなんだったけなぁ
と調べたところ

のどぼとけと呼ばれる軟骨の中にある声帯という
大きさ1~1.5cmほど左右に1本ずつある器官が
空気を吸う時などにV字型に開き
声を出す時は閉じている。
その閉じている声帯を通る空気が
振動することで声が出るそうな

その声帯を動かす筋肉を操り、
発声をコントロールしている神経を
反回神経と言うらしい。ほほぉ

なので、その片側の神経が

機能していないということは
片方の筋肉が動かない

=片方の声帯が動かない
振動が起こりにくいことによって
声が出づらくなる
ということらしい
※これが片側だけでなく、両側になると、
声が出ないということにもつながる。

だから、私は片方の神経を切除されているので
筋肉が動かず 空気の調節が片方でしか
出来ていないから、ガラガラ声というか
空気が抜けたような

力強い声が出しづらいわけですな

あと、声の機能低下だけでなく
食べ物や飲み物などを飲み込む時に

鼻に逆流したり、

気道の方に入ってしまい、むせたり
肺の方に入ってしまって、

肺炎の原因になったりするそうな むむむ

でも、この飲み食べに関しては
この入院期間中に私は

病院食でいろいろと挑戦した

初め、水を飲もうとしても うまく飲めず
逆流して ブハっと出していたので
粉状のとろみをつけるものを看護師さんに教えてもらい
さらさらのものをドロドロにして慣らして飲んだりしたり

恐る恐る固形物での食べ方も

試行錯誤したりしていた

やっているうちに早い段階でコツを掴んだッ!

液体物も飲み込む角度など
うまく飲むコツもやっていくうちに分かったので
結果、この一週間で
通常よりちょっとだけスピードは遅くなったけど
食べたいもの、飲みたいものが
口から喉に、そして胃へと
送ることが出来るようになりました。ヨシヨシ

このようなことなので
声に関しても下を向くことなかれッ


まずは6か月程頑張ろう!

リハビリを行い、発声の訓練をしたりしながら
自然治癒で治る可能性がないわけではない

また、コラーゲン注入や脂肪注入
喉頭(こうとう)形成手術など
現在調べているところだが
治療法もないわけではない

とにもかくにも声に関しても
焦らず、時間をかけて
治していきたいと思う。


ちなみに今日、術後初めてお昼に
病院に外出届を出して、

一週間ぶりに外へ
一人昼ご飯を食べに行ったわけですが

騒がしい店内で「刺身定食一つ」という声を
店員に届けるのに必死になっていた

何なら拡声器でも持ち歩こうかと思った


問題はいろんな試みを行って

解決していくプロセスも面白い


「刺身定食一つッ!」

何でもないその一言が
店員に通るようになるように
声の復活劇も続けることになる…

投稿を読んでいただきありがとうございます。
 
重い話が多くてお腹いっぱい
だと思いますので
少し、気楽な話をしましょうッ
 
術後、個室から相部屋に移動した
 
我が病室には夜にイビキのうるさい
大合唱団員2名のおっちゃん(60代)と
今日入院してきた風邪をひいた状態の
おじいちゃんと私の4名で構成されている
 
イビキ大合唱団員2名は日中も
挨拶もあまりしてくれず
病室ではカーテンでシャットダウン状態が
基本なので話がしづらい
 
病棟内には60代以上のおっちゃんがやたら多いが
他の病室でも、けっこう
シャットダウンモードの人が多い
 
私はいつでもウェルカムモードで
カモォーンとカーテンを
オープンにしているけど
誰も話をしてこない
珍しいのかもしれない
 
というか
強面だからか
あっそうか
 
年齢もかなり違うからね
話したくないか
そうか そうか

ただ、今日来たおじいちゃんは
挨拶もしてくれるので
話がしやすそうだけど
 
何せゴホゴホと風邪ひいてて
マスクしてるぐらいだから

そんなしんどそうな状況で話しかけるのも何だし
私は私でこの状況でうつされても
咳が止まらなくなったら
 
胸の痛みの悲劇ですからね
 
考えただけでコワイコワイ
 
ということでおじいちゃんとも
少しお互いに距離をとっています
 
ということで
我が4人部屋は今、そんなこんなで
イビキ以外は大変静かな病室なんです
 
明日にはイビキ隊長は
(私の前のイビキが頗るうるさいおっちゃん)
退院するので、明日の夜には
合唱ではなく、独唱になるので
幾分マシになるのかな

しかし、おっちゃんというのはよく寝る
朝や昼過ぎやらスキがあれば寝ている
(その時もイビキはもちろんありです。)
 
私は病室にいるよりは
眺めの良いとこや
コンビニや支援ルームやら
出来るだけ病室とは違う他のところで
時間を過ごしたり
歩いたりして、リハビリをしている
 
薬のせいで途中眠たくもなると
逆らわずにしばらく寝たりもするけど
出来るだけ運動はしたいし
リハビリしたい方なので
積極的に院内を歩くようにしてます。
 
歩いて病室に帰ってきたら
 
ぐごぉおおぉ
 
いやぁ、よく寝るわ おっちゃん
 
かたや隣の女性の病室の方はというと
全体的に明るい
 
というか良い意味でうるさいと思う
 
彼女たち(熟女の方とでもいいましょうか
おばあちゃんたちも含めて)
よくしゃべっている
 
もちろんカーテンはオープンだ
 
なんだったら私も男だけど
そこに交わって熟女とがんトークでも
しようか とまで思う
 
いや でも待てよ
今、片側反回神経麻痺によって
私は声が出にくいんだ
(この声帯の神経麻痺については
後日書くようにします)
 
コミュニケーションが少し
うまくいかないんだ
 
彼女らのマシンがんトークに
ついていけないぞッ 
と気付き
 
まずは話が出来るように
発声のリハビリだな
 
ということで
発声のリハビリ法を調べて
即 やってみる
(私の病院ではこの領域は
 専門外のようなので、ネットで調べてみた)
 
あー
とか
 
いー
とか 一人ぼやいてみる
 
うーむ ボリュームがでないし
安定しない
 
これは時間がかかりそうだ
もともと声が大きくないのにさらに
小さくなってしまった
 
どうにかして乗り越えたい課題が
また1つ出来ましたな
いやはや

そんなこんなで夜を迎えたら
 
なんということでしょう
 
あのおじいちゃんまでも
イビキ隊員の一人になっているではないかッ!
 
ふごぉおおお
 
もはやイビキルームと化した
我が病室は夜は大変賑やかである
 
カエルの大合唱ならぬ
おっちゃん、おじいちゃんの3人の
イビキアンサンブルは凄いッ
 
こんなことも初体験だ
 
消灯された病室でイビキをバックに今
この投稿を書いているわけだが
私は用意しておいて心底良かったと思う
耳栓をして、その合唱を遠くで聴くように
眠りにつくのである
(皆さん 入院する時は耳栓もお忘れなきように…)
 
でも、飲んでいる痛み止めの効果が弱くなる
夜中には痛みが激しくなり
起きることが術後続いてるので
その時は夜中に座薬イベントが開催される
 
看護師さんにお願いして
座薬を入れてもらうのが
術後の毎夜のイベント化している
 
座薬はよくキクッ のである
 
そのように座薬で痛みをコントロールしながら
イビキマイルームの夜は過ぎていく

座薬とイビキと共に夜は深まり
復活劇も続く…
術後私は
・胸に3本の管
・口に酸素マスク(その後、鼻に酸素フック)
・両手に点滴管
・左手首には動脈に刺さった管
・背中に麻酔の管
・尿道にも管
・指に酸素計
といろんなものとつながりを持ちました。
 
管だらけの体でした
 
術後一日は身体が痛みでほぼ動けないので、
背中痒くなったりしては
看護師さんをナースコールを押して呼び
ちょっと横にしてもらったり
(この横にするのもけっこう痛みと闘いが必要)
掻いてもらったりもしました。
 
さらに初めての経験として
痛みを抑える座薬プレイも開催され
私は看護師さんにお尻を攻められました
 
恥ずかしいったら ありゃしない
 
しかも 尿道にも通された管は
全身麻酔中に入れられたのですが
抜く時も 看護師さん
でした
 
あぁ 恥ずかしいぃ 恥ずかしい
 
また、抜く時も痛いこと何の
はひぃいい
 
その後のオショウスイをする時も
しばらく痛いのなんの
ふひぃいい
 
これは女性には味わえない痛さですよねッ
男性諸君ならではの痛みですばい

そんなこんなで私は
恥ずかしいことも一通り経験したので
全てまるっとみせます私の体

もはや開き直ってしまい
恥ずかしさがあまりなくなってしまった
 
恥ずかしい思いもするもんだな
 
人は恥ずかしいことを経験して
さらに強くなることもある
 
治療というのは
初めての経験が多いけれど
こうやって日々 成長させてもらっています
 
って良いように言ってるけど
 
見ようによっては
ただの変態プレイですので
あしからず

術後2日が経ちましたが
おかげさまで回復力の早いらしい私は
今は、ほとんどの管も一気に抜かれていき
背中の麻酔の管だけになりました
 
上半身には縦に10cmほどカットした傷
その傷の下の左右と真ん中に管を通していた
穴を塞いだ1cmほどの
生々しい傷が今は服を脱げば直接見れます。
(その手のフェチの人はどうぞ
見に来てくださいね)
 
もちろん胸の痛みや
喉あたりの痛みなどはあり
声はガラガラで声量は少なく
しゃべる力が低くなっています。
 
しかし、身体も動くようになり
痛くても出来るだけ歩き、発声もして
リハビリをしています。
 
傷は時間が経てば治るもんだと思います。
 
ただし、がんを摘出したのは
あくまで目に見える細胞を取ったまでのことで
まだ残っているがん細胞や
これから生まれてくるかもしれないがん細胞と
付き合っていかなければなりません
 
今後も引き続き
今まで行ってきた食事療法や温熱療法
免疫細胞療法を行い、その効果をみて
結果によって、効果があまりみられない場合は
化学療法や放射線治療も
選択していかなくてはならないだろう

私の回復力がすごく良いので
「月曜日に手術をしたけど
 頑張れば金曜日には退院出来ますよ」
と医者から言われた
 
術後4日で退院ッ!
 
まさに医者の言う最短コース
 
しかし、私はそんなスピードを
競っているわけではないので
この痛みの中で
東京から関西まで新幹線に乗ったり、
駅の人ごみの中を動いたりするのは
さすがの前向きな私も
この体に関しては不安だったので
来週月曜日にしてもらった
 
また、退院と合わせて
免疫細胞療法を行う予定の
TKクリニックでの調整もあって
来週月曜日予定とした
 
それでも胸骨正中切開の術後
7日で退院なのだから
回復期間としては良い方だと思う。
 
一ヶ月程は痛み止めを
飲みながら経過を見つつ
体を動かすことに制限がかかりますが
リハビリしながら元の体に戻していきます。

免疫年齢18歳もあるのかな
免疫細胞療法のおかげかな
食事や栄養補助のおかげかな
皆さんの応援の力のおかげかな

もはや何が効いているか分からないけれど
私はそれで良いと思っています
 
目標は 一日でも生きて 復活して
いろんなヒトやコトに
恩返しすることですからね
 
いろんなことに前向きに挑戦して
これからも復活し続けます…
 
とにもかくにも
手術に向けた皆様の応援
ならびに術後の暖かい
メッセージ等の数々の言葉がけ
本当にありがとうございますッ!
 
感謝してもしきれないぐらい
 
本当に有難かったです
 
こんなに心強いものは
ないんだなと思いました
 
周りの人に弱っている人や手術を受ける人
病気になっている人が特に身近な人でいたら
一人でも多くの励ましの言葉を
かけていきたいと思いました
 
人によっては、言えない事情や
なかなか受け入れづらいことなど
いろいろあると思いますが
心強い言葉や行動は
人を動かすもんだと思う

私の場合
ステージ4だろうが
心タンポナーデ発症やら
大動脈へのがん細胞の重度の浸潤やら
声帯の神経の片側切除による
声が出にくいことや
食べにくい、飲みにくいやら
いろんな問題は起こるけど
前向きにやるしかないッ
 
何故か、このように危機的な状況に陥ると
より人生に対して肯定的になるように
人はなっているようです。
 
本当に痛みや苦しい時は
そこまで余裕はないけれど
それを少し乗り越えた時
心がしっかり保っていられれば
何も怖いことはないのだと
 
人生とは非常に面白いものだなぁ
と思いながら
手前のおっちゃんと隣のおっちゃんのいびき
による二重奏で大合唱の
うるさい病室から投稿し
 
復活劇は続く… 
ぐごぉおおおおっと