7月1日の高知新聞です。
新聞を読んで
もがりにもがる宣言
コピーライター 池田あけみ(南国市)
ふーんと横目で見ていた生成AIに関する記事に、やおら急ブレーキをかけて立ち止まるようになったのは、監督である父親に暴力を受けたと娘さんがチャットGPTに相談した結果の逮捕劇がきっかけだった。
「ええっ、親子げんかも今はこういう時代なが?」と、親と子のジェネレーションギャップの大きさに衝撃を受けた人も多いだろう。
社会をぎくっとさせ、立ち止まらせる問題提起となった。
実際、私の周りでも生成AIを使っている人は多く、先日も50代半ばの友人から相談メールがあって返信したら「ちなみにGemini はこう言っています」と、その内容が送られてきた。
彼女が傷つかないように言葉を選び、上手に慰めながらアドバイスをし、やさしく寄り添うような回答だった。
どうせ私は嫌なことしか言わん。
60~80代の友も毎日、生成AIと話をしたり、スマホの中に架空の家族を作ったり、もはやトシヨリですらこうである。
誰にも言えない悩みや心の内をAIに明かすことで心が軽くなり、孤独が救われるのかもしれず、一概に一蹴できるものでもない。
で、かくいう私は今のところ、生成AIは使っていない。
なんぼ言うたち、ライターを生業にしながらAIに文章を作ってや!と頼むわけにはいかん。
しかも子どもの頃から妙な小理屈と反抗心で何でも反対したい土佐弁でいう「もがり」なので、時代遅れと言われようが頭を抱えてうんうん唸り、言葉の神様が天から降りてくるのをじっと待つのである。
本紙の学芸面<日記 小さな歴史>という連載(毎週火曜日)は私のお気に入りであるが、6月9日付はルポライター鎌田慧さんの「自動車絶望工場」というルポルタージュがテーマだった。
54年前、トヨタ本社の季節工として半年ほどベルトコンベヤーの前で仕事をしていた時の日記の一節が載っていた。
連載の筆者は、この一節の背景を通じて、AIが取って代わろうとする時代を控え、「働くとはどういうことか」「人間とは何か」という本書の問いはますます重みを増していると結んでいた。
日記全体の流れが分からないので、ここは不必要にもがらず、電子書籍で買って読んでみた。
さらに過酷で絶望感にあふれていた。
6月16~18日付の本紙<デジタル時代の認知戦>(聞き書きによる全3回の連載)に、中国には「制脳権」という言葉があると書かれていて、興味が沸騰した。
人間の脳を直接的な戦場とみなし、戦わずして勝つために偽情報や世論誘導、AIを用いた情報操作で大衆の感情や認識、意思決定を意図的に操作して認知空間を制することらしい。
そうか、私の脳みその中にも戦場があって、すでに脳を制する仁義なき戦いが始まっているのだな。
ますます、情報をうのみにせずに疑い、もがり抗う精神が大事である。
ついでにもう一つもがりたいのは今、国会でも論議されている皇位継承策や皇室典範改正作業についてで、愛子天皇待望論もよく耳にする。
国会は男尊女卑だともがりたいところだが、高市早苗総理は男系維持を推している。
そこは初の女性総理がもがってくれんとねえ。
しかし、「もがる」はよい土佐弁だ。
頑固で理屈こきの「もがりもの」を受け止める土佐人の寛大さが同居している。
というわけで当面、もがりにもがって、何かと無駄に戦うつもりである。
池田さんの文章、面白いです。
「もがる」(動詞:理屈を言って反対する)
「もがり」(名詞:「もがる」人)
モガリビト、コピーライター、イケダアケミさんに今後も期待します。
