戦国時代の関東地方において、南方勢力(小田原北条氏)と、北方勢力(太田資正や上杉謙信)の係争地となった、武州松山城。
この城の戦略上の重要性は、以前にも整理したことがあります。(→武州松山城を歩く

先日、森林公園(国営武蔵丘陵森林公園)に行った際に、川越街道(256)をクルマで走り、この街道と武州松山城の関係を地図で確かめたくなりました。

いつものように、地理院地図で作成した図が↓。
やはり、武州松山城とその周囲の松山領は、川越街道を扼す場所にあるんですね。

武州松山城と川越街道256


今更ではありますが、
・太田資正が北条氏を抑えるためにこの城を奪ったことも、
・北条氏が武田信玄の助力を借りてでもこの城を奪い返そうとしたことも、
こうして見てみると、納得ですね。