放浪大工のニッキ


我々職人は請け負い先が変わってもおかしくは無い、
私もその例外に漏れない一人で、1年ほど経つと
移籍して望月君の会社とも長らく遠ざかっていた。

ただ、この業界「非常に広いようで狭い」もので
悪いにしろ良いにしろ噂というものは直ぐに広がる業界だ。
望月君との現場が終わってから1年後ぐらいだったか、
彼の好成績が認められて
上福岡営業所から西東京の本社に転属(いわゆる出世コースだ)
したのはすぐに知った。


本社に転属して半年後ぐらいだっただろうか?
「あの子は変わった」といった余り、よくない噂を聞く様になった。
言わずも無く、本社の上の人間のいわゆる「洗脳教育」だろう、
現場サイドの事を考えるという、かつての面影は薄れていったらしい。

今から思えば、望月君も私と出会った当初は
自分なりの「理想の現場」なるものがあったのだろうと思う。
それは同じ現場にいた時に皆が感じていたし、
彼なりの汚い大人の世界(馬鹿な会社の上役)に対する
反骨心みたいなものもあっただろう。

が、そこら辺りはこの不景気に東証一部上場して生き残る企業だけあって
いらないものは切り捨て、合理的に会社の利益だけを上げるように
あの望月君を自分達の考えに染めてしまったのだと思われる。
もっとも、その頃の私はとうに移籍していてあまり実感はなかったのだ、
実際に会わなければ人の変化などわからぬものだ。
何事も自分の目で確かめるのが一番いいのだろうと今でも思う。



「人は変わる それは良くも悪くも・・・・」

半分は本人の意識ならば、残り半分は今の企業の問題だろう。



さて望月君の本社は本部だけあって監督の数も多い、
あの時は各班7名の3班ぐらいで構成されていたはずだ。
時も経てば望月君は一つの班の班長となっていた。。。。



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正直、現場に「学歴」というものは役に立たないと思う。
それは「監督」という業種においても例外では無いと思う。

ただ、彼に出会って少しだけものの見方は変わった事がある。
常々アクシデントが起こる現場に必要な「応用力」というのは
お世辞にも合格点!!とは言えなかった。
ただ、「暗記力」に関しては感服するところがあった、
それは今でも忘れられないぐらいだ。
材料の搬入の日づけ、外壁工事の段取りの工程等、
彼は手帳を見なくても頭に入れていた、
数多くの現場を抱えていたにも関わらずだ。
受験勉強で培われただけであって、
あの時は流石に「あっぱれ」と思った。

そう、彼は「立命館大学院卒業」というヘマをしなければ
出世コースを約束されていた人間だったのだ。

同じ現場にいるとはいえ現場監督もなんだかんだ言って
「サラリーマン」という事に変わりは無い。
すでに崩壊しつつある学歴社会とはいえ、
未だにこびり付いている会社は多いらしい。
もっとも我々職人には関係の無い話なのだが、
今回の主人公の望月君には「出世」という意味では
大いに影響する要素になってくるのだ。


さて そんな望月君だが、彼の場合は学歴に驕る事無く
仕事に取り組んでいたように思える。
そう思ったのは私が「これだけは覚えておくように」
といった事はすかさずメモを取った事だ。
前回述べた通り私は「職人の心構え」みたいな事ばかり
話していたのだから、おそらく会社側からすれば
「そんな事メモする必要は無い」
と言われておかしくない事ばかりだったし、
彼の記憶力ならその場で覚えれただろうだからだ。


あの時、私は「この子は将来、現場から重宝される人材になる」
そう思っていた。


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今から大体5年ぐらい前の事だ。
まだ東京にきて地に足が着きかけた頃の思い出。
あの頃の私はガムシャラに仕事をしていたものの、
一応の「一人前」として一人で現場をこなしていた。

現場は川口市と鳩山市の境目辺りだった。
確か当時の私は26歳、
監督の望月君(仮名)は27歳(大学院卒)。
年はそれほど離れてないが、
現場でのキャリアは私の方が遥かに長い。
20代で現場を一人でこなす大工は少なかったから、
自然と話はしやすかったのだろう。
なんだかんだでこの業界(大工)50代60代が多い。

あの頃の彼はまだ会社に来て1年半、
現場を指揮するにはまだどことなく頼りない。
と言っても「監督」という職種はいつでも人材不足だから、
彼のような短期間のキャリアで現場を持つのは
当たり前の世界なのが今の現状だ。


思えば23歳から独立して以来、
「人を育てる」立場になる事はあまり考えた事がなかった。
というのも、前述の通り20代で一人でこなす者は少なく
「お前みたいな若造に一棟できるのか?」
といった舐めた目で見られる事が非常に多く、
監督というのは「敵」という認識の方が強かったからだ。


彼の特筆すべき点は「純粋」という一点だっただろう。
自分のプラスになるものであればなりふりかまわず
取込もうとしていったところだ。
そんな彼だから私もいつもより笑顔が多く仕事をしていたと思う。

一現場で教えられる事は限られてくる、
だから私は仕事の納まり云々などよりも
「現場のイロハ」や「職人間での暗黙の了解」
みたいな方に重点的に話すだけ話したつもりだ。
もっともそれは結果的には無意味なものになったのだが・・・・・



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