放浪大工のニッキ


今から大体5年ぐらい前の事だ。
まだ東京にきて地に足が着きかけた頃の思い出。
あの頃の私はガムシャラに仕事をしていたものの、
一応の「一人前」として一人で現場をこなしていた。

現場は川口市と鳩山市の境目辺りだった。
確か当時の私は26歳、
監督の望月君(仮名)は27歳(大学院卒)。
年はそれほど離れてないが、
現場でのキャリアは私の方が遥かに長い。
20代で現場を一人でこなす大工は少なかったから、
自然と話はしやすかったのだろう。
なんだかんだでこの業界(大工)50代60代が多い。

あの頃の彼はまだ会社に来て1年半、
現場を指揮するにはまだどことなく頼りない。
と言っても「監督」という職種はいつでも人材不足だから、
彼のような短期間のキャリアで現場を持つのは
当たり前の世界なのが今の現状だ。


思えば23歳から独立して以来、
「人を育てる」立場になる事はあまり考えた事がなかった。
というのも、前述の通り20代で一人でこなす者は少なく
「お前みたいな若造に一棟できるのか?」
といった舐めた目で見られる事が非常に多く、
監督というのは「敵」という認識の方が強かったからだ。


彼の特筆すべき点は「純粋」という一点だっただろう。
自分のプラスになるものであればなりふりかまわず
取込もうとしていったところだ。
そんな彼だから私もいつもより笑顔が多く仕事をしていたと思う。

一現場で教えられる事は限られてくる、
だから私は仕事の納まり云々などよりも
「現場のイロハ」や「職人間での暗黙の了解」
みたいな方に重点的に話すだけ話したつもりだ。
もっともそれは結果的には無意味なものになったのだが・・・・・



放浪大工のニッキ