やさしい嘘 出会い/5
数日後、秋人と流人は旅館風月の前に立っていた。
「秋人のせいだ。」
「まぁいーじゃん。時間通りに着いたんだし。」
そおいう秋人を横目に見ながら、流人はハーッと大きな溜め息をつく。
「着いたけど!」
必死に秋人を起こした上に、出かけの準備をひとりで全てこなした流人は不満タラタラだった。
「秋人が手伝うっていうから、裕子さんに断ったのに!」
「まぁまぁ。大丈夫だって!ほら、ちゃんと着いたし。ね。」
まだ気持ちが収まらない流人をなだめるつもりなのか、まったく気にしていないのか秋人はハハッと笑っている。
「あ!秋人、流人着いたか。待ってたよ。」
そう言って旅館の中から幸太が出てきた。
「父さんは少し出かけるから、先に中で待っていてね。」
そお言うと幸太はじゃあと言って歩き出す。
「えっ、俺たちはいいけど…。」
「ねぇ。俺たち紹介するために、お客さんまたせてるんじゃないの?」
秋人と流人は、幸太に声をかけた。
「いやいや、着くの遅れるかと思って、二人には約束の時間より早く来てもらったから平気だよ。」
って、おい…。
二人は幸太の性格に呆れてしまった。
「本当にもうっ。うちの父さんは肝心なことを言わないから…。」
「何時に約束かぐらい言って欲しいもんだよなぁ。」
なんか抜けてる人なんだよねぇー…。
「…じゃあ、はいるか。」
「…はぁ。うん、行こっか。」
これから風月でバイトするのに、自分の親とはいえ大丈夫なのか不安になりつつ、二人は風月の門をくぐった。
やさしい嘘 出会い/4
流人の言いたいこともわかるんだけどねぇ…。
それに、あいつにとっては麻紀さんは過去の人じゃないし。
「いやぁー、俺にとってもか。」
麻紀は幸太の前妻で、流人の血の繋がった母親だった。
秋人にとっては血は繋がっていなくとも、年の離れた姉のような存在だった。
夫婦仲は上手くいっているとばかり思っていた二人は、突然麻紀が離婚届を見せた日には心底驚いた。
麻紀は満面の笑みで息子たちに「離婚するから」と言ってきたのだ。
それはもう、迷いも躊躇いすらもない幸せそうな笑顔で。
そのせいで、最初は二人とも悪い冗談だと思ってしまったのだ。
「じゃあまたね。」
そう言って去って行った麻紀は、二度と帰ってくることはなかった。
そればかりではなく、爽やかに去って行ったあの日以来、連絡などは一度もこなかった。
風の悪戯で玄関のドアが軋むたびに、流人は扉の方を振り向き瞳を曇らせていた。
秋人はそのことに敏感に気づいていた。
いやむしろ、秋人だから気づいたのかもしれない。
秋人は、母親がいなくなる悲しさをすでに実母で経験済みであった。
その時の失望感を自分自身が忘れられなかっただけに、流人が心配だったのだ。
俺は流人が産まれた日のことは、ハッキリ覚えている。
赤ちゃんはこんなにも小さいんだって驚いたんだったなぁ。
麻紀さんの腕の中でスヤスヤ眠っているのに、一度つかんだ俺の服をなかなか離してくれなかったんだっけ。
幼稚舎で異母兄弟だってからかわれて、あいつ派手に泣いてたんだよな。
あの時も俺の手を握ったまま永遠泣いて、手離してくれなかった。
だから俺は、「あぁ、いつでもこいつの味方でいなきゃな。」って思ったんだ。
「…父さんのことは深く考えないことが、一番いんだろおな。」
あの人は、いつも肝心なことは俺たちには話さないしな。
もし何か理由があったとしても、俺にはどうにもできないし。
「まったくいい兄ちゃんだよなぁ。」
我ながら…と一人つぶやく秋人。
俺の時は一人だった。
だから流人には、そんな思いさせちゃいけない。
やさしい嘘 出会い/3
コンコン
ドアをノックする音が響いた。
「はーい。」
そう秋人が言うと、ガチャっと扉が開き流人が部屋に入ってきた。
スリッパを履いた流人はペタペタと足音を鳴らしながらベッドにドカッと座った。
「痛っ。…って流人どーした。」
読んでいた雑誌から目を離すと、そこには不機嫌そうな流人の顔があった。
「…なんでもないっ。」
つっけんどんに言い放つ流人に、秋人は優しく笑った。
「なんでもないじゃないだろー。ほらほら兄ちゃんに話してみろって。な。」
何で流人が不機嫌なのか予想は付いていたし、何よりなんだかんだ弟が心配なだけに頼ってこられると悪い気はしなかった。
「…もうやだよ。秋人はこのままでいいんでしょ。」
「だから何がー。あー…、裕子さんのこと言ってるなら俺はいいよ、別に。」
そう言うと、流人は首をふった。
「違うよ…。裕子さんはいいんだ。他の誰かが父さんと結婚するなら、裕子さんでいい。」
「んー。そうだな。偉いな流人。」
「本当にそうじゃないんだ。じゃなくて、…父さんのことだよ。」
流人は躊躇いがちに話し始めた。
「最近…やっぱり父さん変だよ。裕子さんとは何度も会ってたけど、もう絶対結婚はしないって言ってたのに急だったし…。」
「それにっ…今回のことだって。今まで旅行だって危ないからって禁止してきたのに、都合良すぎるし。なんか…企んでる気がする。」
そこまで聞いて、秋人は流人の背中をポンポンと叩いて、安心させるように笑った。
「そんな訳ないだろう。考えすぎだって。流人だってちょっと位旅行楽しみだろ。」
「そうだけど…。」
まだ流人は納得できていないようだった。
「まあ、父さんだって新婚気分楽しみたいんだよ。俺たちが毎日いると新婚って感じにならないだろ。だから、今回は我慢してあげよ。な。」
そう言って笑う秋人の笑顔に安心させられたのか、流人は自分の部屋に帰って行った。