大学生期からの続きです。
兄は、就職活動時は、解が見出せないことに精神的にまいってしまって、通院もしていたようです。
最終的に、ある県の、地方公務員になりました。
ピカピカの最終学歴を考えると、パッとしないかもしれません。
しかし、これを聞くと、どうでしょう。
仕事は、ほぼ残業なしで、安定収入、退職金は2000万円強見込み。
同じ職場の連れ合いと共働き(その地方では、公務員共働きが最強パワーカップル)。
生活費は、東京に比べると、驚くほど安く、海の幸も山の幸もあり、美味しい食事処がいっぱい。
若い時にマイホームを建てて、すでにローンは完済。同時期に資産運用を並行して、自分のお小遣いを増やしている。
家事育児は対等にコミットし、子育てがひと段落してからは、趣味のサッカー観戦やドライブを楽しむ日々。
(ちなみに、一人息子は、兄と同じく最難関国立大学に現役合格)
一方の私。
背伸びして入った企業なので、優秀な同僚についていくのに必死。
またしても「ガンバリズム強迫症」になり、みんなの倍の努力をしなくちゃ、と、サービス残業しながらノルマ達成に追われる日々(若い頃だけでなく、いい歳して、いまだに必死ですよ…)
生活費も税金も高いし、可処分時間もほとんどない…。
…兄の生活の方が、豊かでよくないだろうか?
先見の明がある人生の選択をして、時代も兄に追いついた…。
やっぱり、兄には敵わないなあ、と思っちゃいます。
さて、「十で神童 十五で才子 二十過ぎれば只の人」という言葉があります。
確かに、兄も、今は只の人。
でも、今も博識だし、いろいろなことをインプットしながら、あれやこれやと思考しているようです。
でも、もう、日常生活の中で偏差値などの数値が出ることはないし、特別に出世しているわけでもないから、社会的にはタダの人…。
そもそも、子どもの頃も、成績がよい以外は、どこにでもいる、普通の物知りオタクなお兄ちゃんでした。
もしかしたら、10代だけが人生の中で特殊に、学力に注目比重が偏り過ぎているのかもしれないですね。
勉強の才能に恵まれていただけで、神童やら、凡人やら。同じ人間なのに、勝手に持ち上げられたり、落とされたりするのも、気の毒な話です。
私が10代のころ、「天才兄の妹なのに」の圧を感じてきたように、兄も10代のころは「○高校、○大に受かって当然」というプレッシャー、20代は「○大出身なのに」「あれ、就職は…」という圧で苦しんだこともあったと思います。
お互い、大変なときもあったけど、頑張ってきたね、と、握手したい心境です。
…まあ、私は若干、もらい事故的に巻き込まれた気もしなくもないですが…これも運命。
兄に伝えたいこと。
さて、思いの外、長編になってしまったこのシリーズ。
長々と付き合っていただき、ありがとうございました!
次からは、今まで書いてきたような子ども期を過ごすと、自分の子どもやパートナーに対して、どんなことを思うのか?
影響があったと思うことを、可能な限り、赤裸々に書いて、終わりたいと思います。
(次回から、娘・夫の話に変わります)