学童期からの続きです。



神童「じゃないほう」としては、中学生時代が一番大変でした…滝汗

多分、中学受験で、周囲からの期待と自分の成績のギャップに苦しむ小学生の気持ちは、この時期の私の気持ちと近しいんだと思う。


私中1、兄高1。

入れ違いで、兄の通っていた公立中学校に入学しました。

入学直後に実力テストがありましたが、まあ、冴えない成績でした。

…とは言っても、中の中とか、中の下くらいの位置だった…はず…ですが。


その実力テストの「社会」で、「日本海」と「太平洋」を逆に書いていたのに、親がえらくショックを受けていました。

当時の私は、

「海と川を間違えたならまだしも…そんなにショックを受けること?」

と思ってたんですけどね…ニヒヒ

(今なら母のショックもわかる)


母は、このときの成績で、早くも、

「この子は、一般受験で大学に行くのは、厳しいかもしれない。就職に強い商業高校を検討しよう」

などと、いろいろ考えを巡らせたらしいです。

(高校入学後、そう思っていたと告白されました)


そして、中学校の先生。

私の苗字と顔で気づくわけです。

「お!(兄)の妹か!こりゃ、楽しみだ!」


兄の成績が良かったため、しばらく、いろいろな先生から「お!(兄)の妹か!」ビームが放たれました。

私は、幸か不幸か、「天才の妹」として、めちゃくちゃ注目されたのです…居心地が悪い…!


そして、中1中間テスト結果が廊下に貼りだされます。

(大らかな時代だったので、順位を貼り出すのが恒例だったのです)


「…あれ?? (兄)の妹の割には…ガーン

という先生方のガッカリした空気感。

「周囲の期待値に到達していない」と嫌でも気づきました。

親は、露骨にガッカリすることはありませんでしたが、目の奥の光が消え、そーっとため息を逃がしているのはわかりました。


そう、みなさん、子どもは、思っている以上に、自分に対する期待・失望を感じ取っているのです。

プライドもあるので、気づかないフリをするけれど。

(私も娘に対して出してしまうことがあるので、気をつけねば!)


別に学年最下位とかではなかったけれど。

全体偏差値50くらいにはいたんだけど。

「天才の妹の割に」ってだけで、偏差値30の扱いですよ。


辛かったけど、姉・兄が足跡、道筋を残してくれている「勉強がんばるコース」以外は、「ヤンキーコース」しか思いつかない。

「ヤンキーコース」は、私、無理だろ…ガーン

「勉強がんばるコース」をがんばるしかないな…。


目には見えない、「『天才の妹』にふさわしい成績への期待」に、背中を押され、勉強を頑張り始めました。




中学校期の妹が、天才の兄に言いたかったこと。




(中学生期②に続く)