本日、いよいよ、サピックス最後のテスト、
第4回合判SO。
また夫が、
「僕が行こうか。」
(待ち時間にラーメン屋に行きたいから)
と言ってくれました。
前回、その発言で付き添ってくれた
学校別SOの結果がよかったので、
験(ゲン)担ぎのような感覚で
またお願いしてしまいました。
↓学校別SOの朝の様子
…が、これは、本番の試験では
再現できないゲンかもしれない…と、
送り出してから思いました…。
(基本的には私が付き添う予定だから。
でも、いっそ本番も頼もうかしら…)
ゲン担ぎを考えていたら、
昔、私の親がやってくれていた
「願掛け」のことを思い出しました。
1つめは、母が姉の受験のときにやっていたこと。
大好きな珈琲断ちをしていました。
で、毎日紅茶を飲んでいたので、
私が、
「お母さん、珈琲やめて紅茶飲んでる

なんか意味あるの!?

(嗜好飲料という意味では一緒じゃん
)」

って笑っちゃったんですよね。
(今、考えると、笑って申し訳なかった…
)

母は、それがとても印象に残っているらしく、
今回は孫のために、
珈琲と紅茶断ちをしてくれているそうです。
2つめは、父が私の受験のときにやっていたこと。
これは願掛けとはちょっと違うのですが、
毎晩、こたつで寝ていたんです。
「寝るなら布団で寝ればいいのに」と
私は思っていたのですが、あとで母から
「一人で夜遅くまで起きているのは可哀想だ」
と思って、一緒に起きていたらしいと聞きました。
(厳密には、起きておらず、寝落ちてましたが…)
子どもの立場で思い出すと、
両エピソード、ツッコミどころ満載でしたが、
心が温まりました。
自分たちを、心配してくれているんだな、
私たち愛されているんだな、と伝わってきて。
苦行をしすぎず、
別の嗜好品を楽しんでいたり、
寝落ちていたりする、
抜け感もよかった。笑えて。
自分のために親が我慢しすぎていると、
子どもからすると辛かったかもしれない。
想ってくれている気持ちだけで、
充分、パワーになりました。
親になった今は、
願掛けしてくれていた気持ちも、わかる。
親ができることは限られているけど、
少しでも何かしてあげたい!という気持ちで
やってくれていたんだろうなあ。
今日は月初だから、遅ればせながら、
私も何か願掛け(~断ち、等)を始めようかと
思ったりもしたのですが、
万が一できなかったときに、
「ああ、
私ができなかったから落ちたらどうしよう」
と、落ち込みそうなので
、

止めておきます。
いよいよ師走。
朝晩、冷えますが、
身体に気を付けて、お互いがんばりましょう!
子どもたちも、試験がんばれー!