明るく賑やかに父を送り出しました。 | 恐怖のイラストレーター日記/ハマダミノル

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イラストレーターのハマダミノルです。
アート、音楽、映画、プラモデル、そして冷凍食品を愛しています。

今月の9日早朝に父が亡くなりました。なんと89歳!大往生です。
とは言っても急なことなのでやはり家族中がビックリてんやわんやでした。
 

今週の15・16日とで無事に葬儀と納骨まで一気に終えました。

葬儀は家族だけで行いましたが、ここ数年で姪っ子が結婚・出産し、義妹(義姉の妹なので僕とのつながりの呼称はなんて言うのでしょう?)が結婚・出産したりで思っていたよりも大人数の葬儀になりました。


特に母はひ孫と初対面し、テンションMAX!最後まで大はしゃぎでした。お葬式なのに。

姪っ子の赤ちゃん。

今は赤ちゃんと同じ体重のお米を作ってくれるんだって。

 

 

この葬儀までの一週間で母がぼくに対しての「デブいじり」がひどかった。その度に家族中で大笑いされる。
自分としては一ミリも太っているつもりはないのに。

 

義妹(?)の7歳になる娘ちゃんはロボットやスター・ウォーズが大好きで僕が作ったプラモ写真をスマホで見せたらエラい食いつきようw。ずっと凝視し、新参者の姪っ子の旦那が僕のプラモ写真を見て「すげーすげー」と連呼し、その声に反応したウチの実姉が「ナニコレ?ナニコレ?何なのコレ?」とまた連呼したりと、最後まで笑いのある葬儀でした。賑やかな方が父も喜ぶでしょう。

 

うちの父はもともと大手建設会社の一級建築士でその中でも積算建築のプロでした。
定年退職後も日本建築積算協会の所長を務めながら、大学や建築専門学校などで教鞭をとったり、講演会などで日本中まわったりと80歳近くまで毎日忙しそうに仕事をしていました。
葬儀を行った早稲田にある法身寺さんの本堂と繋がっている母屋も父の設計なのです。(このとき初めて聞いた!)

父が設計した法身寺の母屋内の休憩室。

 

自分が小学生の時にアフリカのケニアに数年間単身赴任していた時期があって、その頃にアフリカで皆既日食があり、なぜかうちの父がNHKのラジオで皆既日食の現状を伝える現地レポーターのようなことをやっていました。
当時その放送を家族で聴いていて「本当にお父さんの声だ!」と感激した覚えがあります。今思うとただのサラリーマンの父がなぜ?

 

建築の専門書も数十冊出版しており、父が執筆活動を行うときのペンネームがひらがなで「はまだかんじ」。
父が平仮名なので自分はカタカナで作家名を「ハマダミノル」表記にするようになりました。

 

父の著書。

Amazonで購入できますよ〜。

 

建築の専門書なら理解できるのですが、37年前にケニアに単身赴任したときの体験を書いたエッセイも出版しており、本のタイトルは「はらんベー!」。
スワヒリ語でえっと、何だっけ?ググってください。

昭和57年に出版された父のエッセイ。

Amazonではプレミア価格(?)になっちゃっています。

 

なぜサラリーマンの父がエッセイなんかを?誰が読むんだ?
と思いながらも当時そこそこ売れたらしいです。

ぼくは今だに読んでいませんが。

自分が死ぬまでに読んでおこうと思います。

 

甥っ子がおじいちゃん(父)の影響を受けて建築の道に進み、現在は大工職人になりました。

軽トラを運転する甥っ子。

 

ハマダの「ハマ」は「浜」でもなく「濱」でもなく「濵」なのです。
数年前までATOKでもことえりでも出なかった。

父の葬儀で濵田家のルーツが話題になりました。

 

濵田家の始まりは和歌山県にあるらしく、何十年前かに父が従兄弟たちと一緒に和歌山のお寺などを回って色々と調べたらしいのです。
そこで分かったのが濵田家は落ち武者が始まりなのだそうですw
落ち武者なので源氏ではなく平家の末裔ということらしい。

 

父は色々と調べ上げてメモった手帳をなんと!電話ボックスに置き忘れてきたそうです。
なので平家の落ち武者から始まってその間がすっぽり抜けて分からない!間が知りたいのに!
おい!おとーちゃん!

 

 

 

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