寒梅に「冬来たりなば春遠からじ」 | hamatarianのブログ

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好奇心いまだ旺盛な80歳になった本格的?な後期高齢者ですが
自称「好奇幸齢者!」。
身の丈に合った日々の楽しさと心身の健やかさを
色々と工夫し、健康寿命を目指します。

寒中お見舞い申し上げます

春の訪れが待ち遠しい今日この頃ですが
皆様におかれましては
お変わりございませんでしょうか
厳しい寒さと併せオミクロン株の感染拡大が
悩ましい折柄
皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます


先週20日に、一年で最も冷え込む大寒を迎え
寒さはまさに底の底も

今日はやや寒さが和らぎ、久しぶりに
ウオーキングに出掛ける。

途中、公園や畑で寒中に咲く花「寒梅」が
目に留まる。

立ち止まり、暫しカメラを向けた。

 

冬至梅が誘う

 

 

寒紅梅

 

 

併せて
コロナ禍で中止が続き、詩吟講座共々機会が
無くなって
しまった「新春吟詠大会」を偲び、
かつて吟じた
和歌入り吟詩「寒 梅」を口ずさんでみる。

 

 




作者の新島襄は1875年に京都に設立された現在の
同志社大学の創設者。

教育者だけあって、
自然の 風物 を題材として作った詠物詩であるが
人もこうありたいとした
生き方を教示している詩でもあると解る。



詩の意味を簡単に記述すると

庭の一本の梅は厳しい風雪の寒さにもめげず
まるで微笑んでいるが如く
花を咲かせている。
一番咲きを競うこともなく、力みも感じさせない。
それでいて、
あらゆる花のさきがけとなって咲いている。

(まことに謙虚な姿であり
 人もこうありたいものだと思う)

 




梅のふくいくたる香こそ、メジロのみならず

まさに春を呼ぶというか
「もうじき春が来るんだろうな」という気持ちに
なるから不思議。



コロナ禍前の詩吟講座主催「新春吟詠大会」の折
人生に重ね合わせた応援歌として吟じました。
まずまずの出来だったと自認 (=⌒▽⌒=)。

 




 

「冬来たりなば春遠からじ」

基礎疾患を有する身であるが

寒さに耐え、オミクロン株の感染拡大に耐えて
ゆったりと流れる四季の移ろいを
感じながら春の訪れと感染の収束を待つ心境。

ただし、耐えて待つだけではなく
残された心身の機能を活かし
身の丈にあった新たな楽しみを工夫、挑戦して
参る所存ですので

本年も皆様には宜しくご教示のほど

お願い申し上げます。

 

 

 


殆ど雲の無い今夕午後5時ちょうど、日の落ちる直前





コロナ禍と冷え込みが予断を許さない厳しい日々
くれぐれも御自愛下さいますよう
ご祈念申し上げます。


最後までお付き合い賜り
     誠にありがとうございました。<(_ _)>