★アメブロ開設一周年★”よろしくお願いします。”  | メンタルヘルス ~希望へ向かって~

メンタルヘルス ~希望へ向かって~

メンタルヘルスナビゲータによるカウンセリングの提供と、「ホリスティック医学」の概念を基盤とした「次世代型 療院構想」について発信しています。

こんばんは、hamano0708です。

 

今日は、アメブロ開設して丸一年が経ちました。

 

最初は「薬物依存症からの回復へ向けて」というテーマで、減薬・断薬の戦い真っただ中でした。

 

この一年間に、様々な変化がありました。

 

病は改善したのか?進行したのか?

自分を客観視してみたときに、「薬物依存症」からは回復状態にあると思いますが、「双極性障害・適応障害・自閉スペクトラム症・広汎性不安障害」については、改善はしていない。

 

むしろ、先日も書きましたとおり「病的な物忘れ」「盗られ妄想」「異常行動」という症状が現れ始め、百歩譲っても「改善」はしていないと思います。

 

精神を司る脳の機能的障害によって、薬物療法による西洋現代医療では完治はしないということが、かかりつけの医師によって伝えられ、病と上手く付き合っていくように、なるべくストレスにならない仕事に就くとか、環境を変えてみるとか、集中して取り組める趣味を持つとか、自助努力をするように言われ、障害者としての社会資源を利用するために「精神障害者3級」の認定を受けました。

 

障害年金も2か月に一回支給され、あとは障害者雇用の事業所で無理のないような定職に就き、これ以上、二次障害を引き起こさないように自分でコントロールしていくしかないということでした。

 

障害については、治らないと言うことを受容せざるを得ませんでした。何度も何度も何度も、自分が知りうる療法で、いつかは必ず治ると信じ施術を受け、様々な葛藤の末、結局は意に反して、一時的には克服したように思えても、障害自体を改善することはありませんでした。

 

とうとう諦念の心境に落ち着き、障害として受容せざるを得なくなったのです。

 

せめて、当時は現在よりは悪くならないように、自己啓発や潜在意識の開化、スピリチュアルの力に目覚め、ホリスティック医学について研鑽を始め、身体・精神・魂に対して人間まるごと、全的な健康観に立脚し、ホリスティック医学の定義の5番目にある

「病の深い意味に気づき、自己実現を目指す」ことに、その方向へ向かい始めました。
 

治そう治そうという気持ちに捉われるのではなく、自分が持っている心の病について、それが何故「おおいなる存在」によって、自分に課せられたのか。この病は自分にとって何を意味し、意味に気づきを得た時には、自分は何故生き、生かされているのかを知ることができるのではないかと考え始めたのです。

 

先日にも書かせていただきましたが、私は死ぬのは全然構わないんです。

人間誰もが、誰一人例外なく、死を迎えるのです。

人間、多くは「死」というものに対して過剰な恐れを感じているもの

です。

 

しかし、ご高齢者の方の多くは、死というものに対して「自然の摂理」であると捉えておられるもので、過剰な恐れに苛まれている方は多くありません。

 

多くは、若年層や壮年層に志半ばに癌などの病に罹り、恐れに慄く方が末期には自分の死の受容に至るまで、壮絶な葛藤をされるものです。

 

この場合においても、例えばターミナルケアの臨床の場で「病の深い意味に気づき、自己実現を目指す」心を持つことによって、死に対する心の準備ができ、死後の世界に安寧な希望をもって、安らかな最期を迎えられる方も少なくありません。

 

先日も書かせていただきましたが、私にとっては命より大切なものがあります。それは「尊厳」と「誇り」です。死から目を逸らすのではなく「どう生きたか」ということが大切なのです。

 

それが、精神的な障害の病態の進行により「病的な物忘れ」「盗られ妄想(被害妄想)」「異常行動」という症状が現れ始め、自分がこれまで培ってきた「尊厳」と「誇り」を、病によって汚していくことへの怖れで、最近は日々、このことについて葛藤しています。

 

もし、この病態の進行により、私の20年来の使命でもあり悲願でもある「療院構想」実現が不可能になったならば、それは私の使命ではなかった、只の思いよがりだったということになり

 

「精神的に弱いただの凡人が、社会不適合で職を転々としてきて、夢物語の妄想を独り善がりで勘違いしてた、幼稚で愚かで、多くの人たちに大迷惑をかけた、無様な人間だった。」

 

だけの者でしかなく、だんだん家族やヘルパーの援助なしでは自分の生活が自立できないとか、金銭の管理が出来ない、自分で買い物もできない、車の運転も出来ないなどの、QOLの著しい低下に成り下がり、何の価値もない人間として、社会に貢献も出来ず、施設などで、のうのうと生き恥を晒しながら暮らしていかなければならなくなることが予見されます。

 

先日も書かせていただきましたが、そうなるようでしたら、私は潔く自決します。「どう生きてきたか」を誇りとして、尊厳死を選びます。

 

生きていることに罪を感じなくなる前に、最期の自己実現として、自分の責任において、この世から静かに消え去ります。

 

アメブロを始めて丸1年が経ち、この一年間を振り返った時、このブログのお陰で孤独を感じることはなくなりました。

それは、とても感謝しています。つたない私のブログに、ひとりでも「いいね!」がついていると嬉しくなります。

 

ご高覧戴き、ありがとうございました。

 

                                    hamano0708