コイン好みAtoZ

コイン好みAtoZ

マイナーコイン好きなコレクターです。
いろんなコインを紹介します。
アルファベット順に目指せZまで。

長年収集を続けて来ましたが、最近は遅ればせながら所持品整理と真正保証を兼ねてコインを鑑定に出し始めています。

この度最近できた日本の機関であるCAGセレス鑑定保証にはじめて何点かだしてみました。

2年程前にNGCに出した貿易銀がQuestionnable Authenticity(真偽不明)で帰ってきた事もあり、

保証が無いと困る事が多いこのコインの為の意味合いが強くあります。

また、貨幣商組合の鑑定書では写真だけでスラブケース化されるわけでなく、電子化するには最低1.5万もするようでは出す気になれないので。

という訳で貿易銀の他に円銀2枚と50銭1枚、まがい物の多い中国円銀2枚を出すことにし8月20日に提出、9月18日には鑑定結果メール連絡が来るというスピードで無事帰還しました。

以前撮っていた写真と見比べてみます。

 ①貿易銀 明治9年

20年程前に地元の収集家が生前整理で処分した品をコイン商から譲り受けたコインで、洗浄品ではありますが真正品として所持していた品です。

予想通りAu Detail(洗浄)と言うことで安心しましたが、鑑定料5000円(時価5~10万)?でした。

写真の角度によりキズが目立つのが残念です。

 ②旧円銀 明治3年無輪 欠竜頭

入手所以は貿易銀と同じですが、状態は良いのに竜頭が欠けていた事から悪いイメージを持っていましたが、調べてみると少し珍しい欠竜頭というタイプらしいとはアタリをつけていました。

何とMS62 細光無輪 欠竜頭と正式鑑定いただきました。鑑定料10000円(時価10~50万)で貿易銀より高評価となり不思議な感覚。また米国の鑑定会社ではここまでの細分類は不可能です。

ダイの状態が悪く、細光は微妙ですが竜図の真ん中に違和感があるので分かり易いと思います。

 ③円銀 明治16年

購入記憶は曖昧ですが、1万円台と思います。円銀はほぼすべて洗浄されてた時代です。薬品?による変色が出ていました。

AU DETAIL洗浄 判定で当時購入したコインはなかなか難しいです。妥当と思います。

 ④旭竜大型50銭 明治4年

30年位前に5千円位で買ったコイン。MS61との評価でしたが満足です。

⑤孫文ジャンク1円 ⑥袁世凱1円

30年位前に3千円位で専門店購入後ほぼ放置状態。紙ホルダー破れでビニールコイン袋で保管

⑤はAU DETAIL 縁修正 ⑥はXF DETAIL 残留物で真正品とは認定されましたが、気づかない欠点を指摘される結果となりました。CAGセレス鑑定のページで番号を照会すると両方とも親切にエッジの拡大写真が撮影されており理由が明確に示されていました。

 総じた感想としてはAWが関係した会社が運営しほぼ妥当なラインで評価しているようですし、鑑定料3000円からと安く早いのでもっと認知されてくればと感じます。

穴銭や古金銀も日本独自の評価基準を採用し、独自スタイルの取り出せるスラブを使っているので日本銭中心に利用が広まれば面白いです。

※鑑定料は税抜きで記載しています。他送料が必要です。

 地中海トルコ沖の島国。

ギリシャ系住民の地で(東)ローマ時代以降は12世紀末に十字軍の拠点としてカトリック系独立王国となった後、継承したベネチア共和国領時代にオスマン帝国の侵攻を受けて1571年属領となりトルコ系住民が支配者として進出しました。

ギリシャ独立戦争等で衰退したオスマン領より1878年イギリス統治となった後、1960年に独立を果たしましたが、ギリシャ系トルコ系の対立が強く、1974年以降分裂状態にあります。

ギリシャ合併推進派によるクーデターに対抗する為トルコ共和国軍が占領して作られた北キプロストルコ共和国では、住民の島内移動によってトルコ系イスラム教徒の純化が進んでしまい、元の一つの国には戻れそうにない状態となっているようです。

トルコ以外の承認も無い孤立状態ですが、意外にも現在は治安もよく住民の往来も可能な状態にあり、通貨はトルコリラが使われているとの事です。

通貨はイギリス進出後に1ポンド=180ピアストルで導入され、すぐにコインが作られはじめました。

ポンド導入時のオスマン通貨は銅貨と銀貨では相場が違い、当時安くなっていた銅貨ベースで新通貨が交換されたようです。

金、銀貨は本来はトルコリラ(100ピアストル):英ポンド=0.9:1であり、わざとオスマン金銀貨の流出を誘いポンドを使い易くする意味合いが強く(高いレートでは弱い通貨の流入が激しくなり良貨と交換されてしまう)、当初銅貨のみで1901年までピアストル単位銀貨の発行をしなかったのもその為でしょう。

英国と同額のコインをピアストルに置き換えた為、不思議な額面コインが発行されています。

その後1955年に10進法化され1ポンド=1000ミルとなり、現在はユーロが使われています。

独立後はギリシャ調のデザインで2ヵ国語表記ですが、鳩の紋章はトルコ系市民の作ですが両地域で使用され続けています。

*今回、変な分数コイン等を追加、文章もかなり追加変更しました。

※1/2ピアストル青銅貨 1949年

※1ピアストル白銅貨 1938年

※4・1/2ピアストル銀貨 1938年       ※9ピアストル銀貨 1940年

※18ピアストル銀貨 1921年

※45ピアストル銀貨 1928年 英国統治50年  2頭のライオンの紋章(イングランドは3頭)

※1シリング白銅貨 1947年

※3ミルス青銅貨 1955年         ※5ミルス青銅貨 1955年

※100ミルス白銅貨 1955年

 ☆キプロス共和国

※50ミルス白銅貨 1963年 プルーフ貨

※100ミルス白銅貨 1963年

※500ミルス白銅貨 1977年  古代コインのリバイバルデザインヘラクレス像

※20セント ニッケル黄銅貨 1989年 古代ギリシャ(キプロス出身)の哲学者ゼノン

カナダ/プリンスエドワード島1/2ペニー商業トークンです。写真が古くすみません。

子供の頃から家にあった品で長い間何ものとは分からずいたコインですが、10年程前偶然に判明してから暫く詳しく調べておらず、昨日グーグルレンズで探ってみたら一発で出てきて驚いている所です。

このコイン、複数の民間鋳造所が製作したためバリエーションが50種類以上もあり1冊の本がある程、numistaで見ても全く判別出来なかったのですが、標準タイプのPE-10-27ではとの回答が出てびっくりしています。

分類上この島の分類に入っていますが、19世紀初頭の通貨不足時代のカナダ東海岸を中心に広く使われていたコインで、船乗りのお守りにも使われたともいわれ外洋船の日本船員に渡って持ってこられた品です。

グーグルレンズはかなり優秀で、判別不明インドの読めないコインも判別可能でした。

機会あれば後日紹介したいと思います。

 

昨日は8月15日の終戦記念日でしたが、いろいろ思う事も多い日でこのコインをじっくり眺めてみました。

収集を始めるきっかけとなった家に残されていたコインの中にニュージーランドの1シリング銀貨とこのコインがあり、祖父が海外で使い残したコインだと言われて貰った形見の品です。

1945年6月に周防灘で船とともに亡くなった祖父は海辺の村にある農家の次男として生まれ、商船の船乗りとして海外にも出ていたようです。当時には珍しい恋愛結婚で結ばれた祖母でしたが実子はなく、戦後再婚の話も断り苦労しながらも祖父の姪である養子の母を育てあげ、一途な一生を終えています。

2回も乗船が沈没した中で助けられた命であった話、還ってきた骨入れの中は木札1枚のみだった事、一周忌の席に突然祖父の兄(母の実父で戦争の話を一言もしなかった)が戦地から帰還し酷く狼狽した話など伝え聞いた事を思うといたたまれない気持ちになります。

年に一度とは言え今自分が存在し平和に暮らせる事への感謝とともに、彼らの無念の想いを受け止め戦争の無い世界を祈りお盆の墓参りに行っています。

 ルピーの意味はサンスクリット語で美しい形から転じ銀貨を意味する言葉といわれます。

ルピー銀貨の歴史は16世紀中頃インド北部スールsuri朝シェールシャーSher Shahにより発行された178グレインの銀貨が元とされ、ムガル帝国、英領インドでも引き継がれ流通しました。

インドに進出したイギリスはポンド導入と金本位制をもくろみますが銀ルピーの流通を止めることは出来ず、銀本位体制を維持せざるを得ませんでした。

銀貨であるルピーの価値は銀価格の低下とともに下降の一途をたどり、1850年公式相場英1ポンド=10ルピー(2s相当/1$=4s2d)が、第一次大戦前には公式1ポンド=15ルピー(1s4d)に低下(実質相場は更に下)、その後13¹/3(1s6d)に修正され1966年の切り下げまで続きました。

英ポンドの低下による1949年の対ドル切り下げ(1£=4.04→2.8$)時も連動して価値を下げており、ルピーの価値は100年で米ドル換算48¢→21¢に下降しました。

とはいえ、インド洋沿岸地域の通貨として広く流通し、通貨の名前として多く使われている他、第二次大戦までAg.917 180Gr(11.66g)の基軸銀貨としルピー銀貨は製造されました。

またペルシャ湾沿岸等の英領地域(UAE等)では戦後(1959年~66年は湾岸ルピーとして)1966年まで使用され、各国通貨単位の元となっています。

 歴代銀貨と各国で発行されたルビー硬貨を紹介します。

未収集品では、中国(清)領チベット(四川省名義)のルピー銀貨が欲しいところです。

※ムガル帝国/アーメダバード AH1108(40)年=1697年

※インド アーホーム(アッサム) 王国1698(1776)年

1826年英領インドへ併合の独立ヒンドゥー王朝。各地の多くの独立領主が発行しています。

※英領インド ジャイプール藩王国1891/12年

英直轄地域以外の各藩王国でも多くのルピー銀貨が作られました。

※英領インド ベンガル総督府(ムガル帝国シャー・アラム19年名義)(1793-1818年)

numistaによると1800年豪州ニューサウスウェールズ州で2s6dの価値で流通させたという。

※英東インド会社 1835年 EAST INDIA COMPANY

※英領インド 1862年(0/5 B) QUEEN

※英領インド帝国 1885C EMPRESS

※コンバウン朝ビルマ 1853年 1チャット

通貨はインドルピー同制度で等価でしたが1886年英領インドに併合されました。

※ポルトガル領インド 1898年

※モンバサ 1888年 IMPERIAL BRITISH EAST AFRICA COMPANY銘

※独領東アフリカ 1892年

※モーリシャス 1951年  1950年~白銅貨 

※セイシェル 1939年 品位.500

※サウジアラビアAH1354年 リアル 

1935年リアルの切下げ時インドルピー銀貨と同質の銀貨を1リアルの本位貨幣とし流通させた。

なおサウジリアル通貨は1953年の巡礼許可書発行まで紙幣の流通はされませんでした。

※英領インド 1947年 ニッケル貨

 1939年品位.917→.500に下げられた後、1947年ニッケル貨

※インド 1950年 ニッケル貨

※パキスタン 1948年 ニッケル貨

 コインの額面に使われる数字で変わった数のものを調べてみます。

現代のコインの額面は、使い勝手が良いように日本円貨は1、5、10、50、100、500、ユーロの1、2、5、10、20、50或いは米1、5、10、25、50といったパターンの数が使われるています。

分数では1/12,1/10,1/8,1/5,1/4,1/3,1/2,2・1/2又はそれに対する数は考えられる額面でしょう。

奇数の使用は少ないですが3,15は釣銭にする際枚数を少なくするのに優位であるようです。

欧州の10進法以前の単位体型が最後まで使われ続けた(~1971)イギリスでは、1ポンド(ラテン語libra)=20シリング(solidus)=240ペンス(denarius)であり、約数が多いため3,4,6とかの額面数字が普通に発行され続けました。

領邦が複雑に入り組み、地域毎にそれぞれ違う通貨体系を敷いていた欧州ドイツ方面などでは10進法では不可解な額面のコインや2重額面のコインも多く存在し、支配者の変更で通貨制度が変わった地域などでも、不思議な額面コインが多く見られます。

1700年代後半のオーストリアで、7,17クロイツァー貨があり不思議でしたが、レートをよく調べると、7クロイツァー=1/12プロイセンテーラーに相当する通貨であった事が理解できます。なお17クロイツァーはいろいろ調べましたが不明のままです。また北ドイツの2/3テーラーは1ギルデン(1/2コンベンションテーラー)と等価として知られます。

以下あまり見かけない額面を写真に上げる他、一部国別にも紹介します。

※中国 清朝~中華民国

秤量貨幣として銀は重さ1両(約37.3g)単位の銀錠等の塊で流通しており、スペインドルと同等の重量で作られ始めたた元(円)銀貨には両単位に沿った額面が表示された。

7分2厘(1角)                  1銭4分4厘(2角)              3銭6分(5角)                      7銭2分(1円)

※ロシア領ポーランド王国

ポーランド分割で国は実質消滅、北ドイツテーラー=6ズウォティの価値であった通貨はロシア領地域で0.15ルーブル=1ズウォティで併用され、その後ロシアルーブルに統一された。

15コペイカ                                         3/4ルーブル                                       1・1/2ルーブル

 

イギリス王室属領ジャージー代官管轄区(Bailiwick of Jersey)

フランスノルマンディー領の一部であった地域で、1204年以来本土と分離されイギリス王領地として支配されるものの、フランス系住民で結びつきが大きい仏通貨が流通。1834年ポンドが通貨に採用時、1シリング≒仏26スーであった事でシリングの分数表示のコインが作られ、その後英ペニー等価のコインが発行されても1971年のデシマル時まで継続された。1/52,1/48,1/26,1/24,1/13,1/12,1/4シリングのコインがあり、ペニー単位は発行されていない。

1/48シリング1877年                      1/26シリング  1861年                   1/13シリング    1858年                 

イギリス王室属領ガーンジー代官管轄区(Bailiwick of Jersey)

ジャージーと同様な歴史を辿りますが、それぞれ2つの地域に分けて統治(代官が別)されたため、通貨体制の変更も別々に行われています。隣の島との仏フランレートの微妙な違いも奇妙です。

当初フランス通貨が流通していた為、英ポンド導入で硬貨を作成する際、広く流通していた2(ダブル)デニエ銅貨を単位として採用、1/80フランに相当する額単位でコインを発行しました。

1870年のレートは8ダブルス(1ガーンジーペニー)は24/25英ペニーの値で評価され流通、その後フラン下落で1921年フランス通貨の使用中止の際、硬貨のみ8ダブルス=1英ペニーで再評価流通が認められデシマル化まで継続発行されました。

4ダブルス1889年               8ダブルス1834年

※英領キプロス

1878年オスマントルコからイギリスの支配下に入り、翌年より銅貨の発行が始まっています。

1英ポンド(20シリング)=180オスマンピアストル(1.8オスマンリラ)のレートで交換されたため、9ピアストルを基準に額面が決められ、4・1/2,9,18,45ピアストル硬貨が生まれています。

なお当時の金本位平価では1オスマンリラ(100ピアストル)=9/10英ポンド(18シリング)ですが、交換レートを銀貨ベースで下げられた可能性が高いようです。(1881年まで金銀複本位制採用)

9ピアストル                                      18ピアストル                              45ピアストル

※ポルトガル領インド

インド半島西海岸の植民地では長らくルピーが通貨として使用され続けましたが、1958年本国通貨エスクードを採用し、1ルピー=6エスクードで交換され、変な額面硬貨が誕生しました。

しかし僅か3年後にインド共和国の侵攻により吸収され、再びルピーに戻される運命でした。

30センタボ                          60センタボ                  3エスクード                      6エスクード

※ポルトガル領ティモール

東インド諸島ティモール島の半分を占める植民地で、地域がら墨$→海峡$由来のパタカから1958年1パタカ=5.6エスクードで交換され新硬貨を発行。

硬貨の額面はインドに合わせたのでしょうが、すぐに切りのいい額面のコインに変わりました。

3エスクード                             6エスクード