コクリコ坂から | 浜田真実*文筆と朗読「まほろふ舎」

浜田真実*文筆と朗読「まほろふ舎」

昭和の終り頃、シャンソン喫茶「銀巴里」にて歌手デビュー。平成の中頃に、心と身体を整えるボイトレ教室「マミィズボイススタイル」オープン。「声美人で愛される人になる」「説得力のある声をつくる」等出版。この頃は「しげのぶ真帆」名義で、文章を書き朗読もしています。

コクリコ坂から (角川文庫 み 37-101)/高橋 千鶴

¥620
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夏休みの娘(小5)にせがまれて、スタジオジブリの映画・コクリコ坂からを観に行った。
舞台は1963年の横浜。
今から、48年前。

登場する女子高生は、ひとりで下宿屋を切り盛りし、対する高校生男子は、学生運動風の討論集会などでアジテーションをしてる。

この設定は、現代の小学5年生には少し厳しかった。

だって、彼女の生活や感覚とリンクするところがどこにもない。
何が何やら、まったく分からなかったようだ。
だいたい、「私、〇〇新聞のガリ切り担当です」なんてセリフ、意味わかんないだろう。

小学校でパソコンを使う時代の子どもだもの。
ガリ版刷ってるシーンだって、たぶん何をしているのか分かってないと思う。
それに50歳の私だって、「?」となるシーンも多々あったから。

大学紛争が盛り上がっていた頃は、たぶん60年代後半から70年初頭にかけて。
当時、私は小学生。
中途半端に、その時代の空気を吸っている分、何だか、余計に細かいところに引っ掛かるし、主人公の父親が朝鮮戦争で亡くなったという時事的な関連や、その前後の時代背景がピンと来ない。
おまけに、私ですら、分からない言葉がポロポロと出てくる。

こりゃ、小5には無理だ。

だったら、時代劇やファンタジーはダメか?
ということになるのだが、登場人物に共感ができて、ストーリーや構成が面白ければ、子どもにだってきちんと伝わるし、楽しめる。

だけど、この作品に出てくる48年前の日本の高校生は、あまりリアルに感じられなかったなぁ。
初恋とかね、人を思う気持ちの切なさは、ありなんだけど…
顔の大きな魔女が経営する風呂屋でバイトをしている、龍が友だちの10歳の女の子の方が、もう少しリアルに感じられたかも。

それから、テーマソングになっている「さよならの夏」。
この曲は、35年前くらいのヒット曲。
当時から、大好きな曲。
今でも、名曲だと思う。

そこで気付いたのは、作品の中で、テーマを歌う手嶋葵さんの声は、現代の声、現代の歌い方だなぁということ。
たぶん48年前の日本人は、彼女のような発声で、彼女のような歌い方はしなかったと思う。

だからといって、48年前の日本人の歌を彷彿とさせるような歌手じゃないと、という意味ではなくて、主人公のキャラクター設定と、彼女の声の雰囲気が合わなくて、何だか違和感を感じてしまったのだ。

雰囲気のある彼女の声よりも、もっと真っ直ぐでスコーンと抜けた明るさのある芯の強い声の方が、主人公のたたずまいともマッチして、このテーマ曲には似合っているように思う。

それと、映画を観ながら、ふと感じた。

今、大変な状況にある日本人が戻るべき地点は、48年前じゃないなと。

戦後の焼け跡から見事な復興を成し遂げ、国民全員が前を向いて、上を向いて、国力を築き上げた高度成長期。
その勢いは、きっと素晴らしかったのだと思う。

でも、今の私たちが戻るべき場所は、そこじゃない。
その延長線上に、原発がある。
心を失わせた何かがある。

高度成長期に育った私たち大人は、これから、かつてとは違う、新しく懐かしい未来を創るのが役目なのかもしれない。

映画を観終わって、ぼんやりとしていた娘と、ぼんやりとそんなことを考えていた私は、黙ったままで、ぼんやりと帰路に着いた。