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出光佐三の魂が宿る“出光丸”がホルムズ海峡を無事通過!

パナマ船籍で日本所有の超大型原油タンカー「出光丸」が、サウジアラビア産原油200万バレルを積載し、ホルムズ海峡を通過して名古屋に向かいました。


同船には、1953年に英国によるイラン封鎖を突破したのが日本の石油精製会社である出光興産であったことを示す標識も掲げられています。
 

「出光丸」は5月18日に日本に到着する予定です。
 

 

1979年のイラン・イスラム共和国樹立以来、イランとの関係を控えめに維持してきた日本政府は、過去2カ月間、イラン当局者と敵対行為の終結と海峡開放について水面下を含め協議を続けてきました。
 

そうした努力の成果が実を結び始めていると言えそうです。
 

思い起こせば、1951年、新たに選出されたイラン首相モサッデクによる英国石油権益の国有化を受け、英国海軍はペルシャ湾奥に位置するイランの石油港アバダンを封鎖しました。
 

1952年、アメリカ主導の日本占領が終結し、日本の石油産業が再建を目指す中、出光興産はカリフォルニアから高オクタン価ガソリンの輸入を開始。
 

しかし、日本市場の支配権を維持しようとする米国の大手石油会社は供給を停止。
 

窮地に立たされた出光興産の創業者、出光佐三はイランに目を向けたのです。
 

難航した交渉の末、出光興産所有のタンカー「日章丸」は1953年3月、ペルシャ湾奥に位置するイランのアバダン港に向けて出航。
 

無事入港するや、「日章丸」は熱狂的な歓迎を受け、その様子は世界中に報道されました。
 

その後、「日章丸」は満載の状態でアバダンを出港し、海上封鎖をかいくぐり、英国海軍の猛追をものともせず、同年5月、日本へ無事帰還。
 

 

後に『海賊と呼ばれた男』のモデルになった出光佐三の先見性と反骨精神のなせる技に他なりません。
 

今日現在、いまだ40隻以上の日本船がペルシャ湾に取り残されていますが、歴史を紐解けば、「出光丸」が封鎖されたホルムズ海峡を抜けることを許されたのは、決して偶然ではなかったことが分かります。
 

 

 

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