口武士節(くちぶしぶし)
一 口から先が 生まりたら
口ぇーカンスイ 切り勝てぃ
吠びーる犬の 人喰らん
※ジントーあぁージント
汝や口武士どや 口武士節
二 武士ぬ子孫が やみせぇーら
クーサンクーに ナイファンチ
さーれー三貫 そーぬぎ者
※
三 パーぬだんだん 吹ち飛ばち
銭持ち金持ち 又やしが
千円模合や ちゃーすがや
※
四 置ちかっとーる 銭どぅやる
持たりるうっさー 持っち行き
ねーらなそーてぃ 大物言ぃ
※
器量知恵 人勝い
油口から 褒め殺し
体や動かん 居ぃちょてぃ
※
伊是名アイランド
一 いひゃぬ島々や 浮上てぃ見ゆせ
くじ渡てぃいかな 語れぶしゃぬ
※りかりかいかやー 伊是名アイランド
二 伊是名う城ぬ 石くぶぬ水や
何時ん涼しだと 流り清らさ
※
三 ギタラ森登てぃ 海ギタラ向れ
打ちあぎる波ぬ 匂いすらさ
※
四 逆に水流る 逆田原稲や
黄金実ゆ咲かち ミルクゆがふ
※
五 潮平井(すんざが)ぬとぅない 金丸が屋敷
世々ぬあるかじり 沙汰ゆ残ち
※
てぃんさぐぬ花
親(うや)ぬ寄(ゆ)し事(ぐとぅ)や 肝(ちむ)に染(す)みり
天(てぃん)ぬ群星(むりぶし)や 読(ゆ)みば読(ゆ)まりしが
親(うや)ぬ寄(ゆ)し事(ぐとぅ)や 読(ゆ)みやなら ん
夜(ゆる)走(は)らす船(ふに)や 子(に)ぬ方(ふぁ)星(ぶし)目当(みあ)てぃ
我(わ)ん生(な)ちぇる親(うや)や 我(わ)んどぅ目当(みあ)てぃ
宝玉(たからだま)やてぃん 磨(みが)かにば錆(さび)す
朝夕(あさゆ)肝(ちむ)みがち 浮世(うちゆ)渡(わた)ら
誠(まくとぅ)する故(ゆい)どう 後(あとぅ)や何時(いち)までぃん
思事(うむくとぅ)ん叶(かな)てぃ 今日(きゆ)ぬ栄(さか)い
なしば何事(なにぐとぅ)ん ないる事(くとぅ)やしが
なさぬ故(ゆい)からどぅならぬ要(かなみ)
思てぃ通らば!
沖縄県南大東空港から福島県郡山駅まで何キロ離れ、所要時間は何時間だろうか?路線情報で調べてみた。
路線距離にして約2350km、所要時間約7時間かかるようだ。逆のパターンだと、もっと時間を要するが、福島から南大東島まで6回も旅行に来てくれていた悦さんの住む福島が、東日本大震災後の情報や原発問題の報道を見る度、気にかかっていた。
震災直後は支援物資、ボランティア活動支援も多く、被災者に希望と元気を与えてきたと推察するが、2年経過してくると徐々に薄れて風化してくるような気がしたので、僕も産業課から人事異動の節目の年、友人の住む福島に何かやってあげたいと思う気持ちが強くなり、公私共に交流のある、JA南大東野菜部会に「かぼちゃを福島へ贈ろう」と相談を持ちかけたら、会員全員が賛同し、かぼちゃ約500kgを贈ることになり、感謝、感謝である。
こう話がトントン拍子に進むと、僕も発起人として同行しなといけなくなり、少ない年休行使、自費でのボランティア参加に躊躇するも同行を決意、3月21日に東京1泊経由し、3月22日-24日は福島と、「かぼちゃ寄贈し隊」の旅に出た。
八重山民謡の代表曲「トゥバラーマ」の歌詞に「思てぃ通らば千里ん一里・・・」と歌われているいるが、遠い福島も近くに感じた。
「2013・ふくしま再興祭り」には悦さん~友人~友人と伝わり立派なブースも設置されて、新しい仲間の協力で、かぼちゃを配ることができ
本当に来て良かった。
打ち上げの夜は異業種交流会におじゃましました。
参加者の多くは、社長、会長の肩書を持つ方だったが、違和感は微塵もない。遠くから来てくれてありがとうとの感謝の言葉をいただき気分は最高、さらに大東のかぼちゃが本当に美味しいとの福島の方々の声、僕らは、「そば打ち名人栗原氏」のそばが忘れられない味になった。
栗原氏の計らいで三線を弾くことができたので「あきらめないで!」を歌いながら島もPRでき自己満足、その夜は遅くまで交流しました。
来年は「かぼちゃ・・・kg」と大きく出た言葉、継続を誓い、参加者の再会を約束し「かぼちゃを寄贈し隊」の旅は終わった。
ブログからも感謝を述べたい。
悦さん、菅野さん、栗原さん、大野さん「ありがとよ!また来年。」
福島の再興祭りへ行こう。
旅の合言葉は「大東島で会いましょう!」
旅立ちの島唄~十五の春
島のグリーンベルト
私の意見:治山研究会発行、月刊誌「治山」2012年7・8月号に投稿した「島のグリーンベルト」を掲載します。
本村の歴史を顧みますと、大東島は、古くから「うふあがりじま」として琉球人の間でその存在が知られていた。沖縄には、いにしえの時代から「東の海の彼方には、幸せをもたらす神がいる」と信じてきた。それが「ニライカナイ信仰」である。また、別名ボロジノアイランドと呼ばれ親しまれていますが、ボロジノ諸島という名称については、文政3年(1820年)ロシアの海軍佐官ポナフィディンが南北大東島を発見、その位置を北緯25度56分東経131度15分とし、彼が指揮した艦船ボロジノに因んで命名したとされ、昔は無人島でありました。明治33年東京都八丈島出身の玉置半右衛門氏等によって開拓され、無人島から有人島になって一世紀余という歴史の浅い島でありますが、本村の造林事業については、無人島時代はうっそうとした大森林に覆われていましたが、開拓以来、樹木はたちまち伐採され、いたる所赤土が露呈し荒涼とした島と化してしまいました。大正9年に大東島製糖所長として着任した江崎龍雄氏が、この有様に深く憂慮し大正9年から植林10カ年計画を立案して樹木の苗を育て、昭和4年までに50万本もの植樹を完了しております。今日、島の二重、三重と囲む美しいグリーンベルトの景観が眺望できるのも江崎氏の功績が大であります。こうした先達の植林にかける情熱を継承し、昭和61年に村制施行40周年植樹祭、平成12年に開拓100周年を記念して沖縄県植樹祭、平成18年には村制施行60周年植樹祭、平成20年には「おきなわの名木」として塩屋の松並木と大東神社のビロウ群落が認定されており、現在も毎年本村の「さとうきびの日」に合わせ植林を行っております。私なりに、沖縄の琉歌サンパチロク「8・8・8・6」で保安林の多面的機能と重要性、植栽の継承を詠っています。「樹木ゆ植い習てぃ 潮風ん防ぎ 島ぬ基でむぬ 世々ぬ務め=キギユイイナラティ ウスカジンシヌギ シマヌムトゥデムヌ ユユヌチトゥミ」翻訳:樹木を植え、風水害から財産を守ることは、島の基礎であり、子々孫々へ継承する大事な務めであります。たしかに、島を二重三重に取り囲むグリーンベルトは立派である。しかし、近年、その立派な保安林も、後継木の成長が遅いのが気になり始めたが、原因は、我々人間が豊かさだけを追求し、ひたすら歩んできたからにほかならないのが残念だ。昔の生活様式を思い出してみよう。子供の頃、保安林帯に行き、樹木の間伐、枯れ枝や枯葉を取り、五右衛門風呂を沸かし湯につかり、底板を踏み外しては、アチチ、アチチと騒いだ懐かしさ、それが、おのずと後継木が育つ環境をつくり、自然界の循環を維持、保全してきたことを改めて知らされる。エコの時代がやって来た。「3R]、ごみを減らすことReduce(リデュース)、くり返し使うことReuse(リユース)、資源として再利用することRecycle(リサイクル)の一環、循環型社会づくりが保安林の再生にも繋がる。CO2削減のために、木を植えるというのは、緑=自然を増やすようなイメージがあるので分かりやすいため、多くの人の支持を得やすいのだが、CO2を吸収して、酸素を出す光合成によって栄養分を作って木々は成長していくが、ある程度成長した木は、あまりCO2を使わなくなるそうで、除間伐など定期的に木を伐採し、また、新しい苗木を植えることでさらにCO2の吸収力を上げることが期待できる。これからの保安林等森林の管理においては、治山事業や造林事業により、下草刈り、施肥などの育苗管理後、適期に除伐、間伐を実施するなどして、後継木を育てる環境の維持保全を図り、立派なグリーンベルトの整備を行いたいと考えている。我々も、今の時代にふさわしい新しいフロンティアスピリッツで、コツコツと保安林の保全活動を継続していきたい。親から子へ、子から孫へと永遠にバトンは渡されていき、いつまでも生まれ育ったこの島の、あの素晴らしいグリーンベルト景観を守るために!
島嶼防衛知られざる南大東島レポートDVDシェア
沖縄渡名喜島の無人島、入砂島で離島奪還訓練を日米が検討している。
尖閣諸島を想定しているらしいが、これとは関係なく、国土防衛には、南大東島も重要拠点にあるという。
中国は南大東島まで押し寄せてくるのか?
