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日本とメキシコの絆
横浜から千葉県御宿オンジュクへ出航する日のクアウテモック号の登檣トウショウ礼は忘れられない。15年前このブログを書いていて、なぜメキシコ大使館がアメリカ大使館より好立地なのかを知った。列強諸国の不平等条約に苦しむ日本と最初に平等な通商条約を締結してくれたのはメキシコだった。そのきっかけはハレー彗星、舞台は横浜だった。
悲しいメキシコ帆船事故
アメリカニューヨーク州ブルックリン橋にメキシコ帆船が接触して死傷者が出たニュースはショックだった。15年前新型インフルエンザでWHOがパンデミック宣言した最中、日本・メキシコ友好400周年に横浜に寄港したクアウテモック号だったから😢
15年前に書いたブログを読み返す。
横浜情景(41)アイスクリーム発祥の地
今日はアイスクリームの日。アイスクリーム発祥の地は横浜馬車道だった。15年前に書いたブログを振り返る。1931年創業の馬車道の老舗レストラン相生。横浜に実在した伝説の娼婦メリーさんのティーカップをキープしていた。相生はオーナー引退により2015年2月、84年の歴史に幕を閉じた。メリーさんを舞台化した『横浜ローザ』をライフワークとする地元横浜の女優、五大路子さんがティーカップを引き継いだ。
日本一のグルメスタジアム
ゴールデンウィークになると思い出す。昔は連休中の試合日がフレンドリータウン「銚子の日」だった。

カシマサッカースタジアムでは初夏はマグロ解体ショー、秋はアンコウの吊りし切りがコンコースで実演され無料で振る舞われる日本一のグルメスタジアムだった。(保健所の指導が厳しくなりできなくなった)


03年入団、40歳になる現在も町田ゼルビアで現役の中島裕希選手は果敢にアンコウに挑戦するも05年入団した新人田代有三選手はビビりまくり近づきもせず(笑)
引退後オーストラリア在住の田代氏にツイッターで『覚えてます?』と、この写真送ったら『レアな写真ですね!よく覚えてます!とにかく生臭かったんですよ!』とお返事もらったのが懐かしい。

地元の横浜、関内は入船通の祭りでアンコウ吊るし切り実演販売あった時、料理人務めたこの方にカシマスタジアムの写真見せたら『大洗ホテルの加藤卓志総料理長ですね!私もこの方からアンコウの調理講習受けましたよ』スタジアムに毎年来られてた方、偉い人だったんだ😯
現在は大洗ホテル退職後、大洗で『青柳』開業。どぶ汁アンコウ鍋(アンコウから出る水のみ。加水しない)が有名で予約困難とか。
食肉のSさんとは06年から個人的に付き合いが長く、地元の人しか行かない料理屋に連れて行ってもらったり食肉事業協同組合の忘年会に呼んでもらったり。S精肉店から安心してA5ランクの常陸牛をお歳暮に送ってもらっていた。2年前Sさんが急逝、会えなくなってしまった😭
カシマスタジアムへ横浜から行く気力がなくなってしまった一因です。
横浜情景(40)ガス灯物語

日本で初めて夜のそぞろ歩き始めたのは横浜。文明開化でガス灯が点灯するまでの日本は、日没後は漆黒の闇だった。蠢ウゴメくのは夜盗か夜鷹しかいなかった。夜盗の押し入りを恐れる商家は雨戸を閉めて部屋のローソクの灯り(行灯)で夜を過ごした。
ガス灯は庶民に夜を解放した。現代の感覚でいえば24時間営業のコンビニ誕生に該当するエポックメーキングだった。
~日本ガス事業発祥の地~
明治3年、高島嘉右衛門によって中区花咲町のこの地に、ガス会社が設立された。高島はフランス人技師アンリ・プレグランを招いて、明治5年9月29日、神奈川県庁付近および大江橋から馬車道本町通りまでの間にガス街灯十数基を点灯した。これがわが国ガス事業の発祥である。
明治25年4月、横浜市瓦斯局となって昭和19年11月、東京ガス株式会社となりました。
明治25年4月、横浜市瓦斯局となって昭和19年11月、東京ガス株式会社となりました。
文明開化の象徴、ガス灯は海岸通りと馬車道通りに復活して当時の面影を遺す。馬車道の生き字引、明治3年創業の平安堂薬局のお爺さんが言った。『昔のガス灯は青く光ってたんだよ。』
ダニーさんの思い出

今日はJリーグ創設93年からアントラーズのスタジアムDJ務めたダニー石尾さんの11回目の命日。
『勝利の原動力。今日も頼むぜ!No.12、アントラーズサポーター!』のシャウトが今でも脳裏によみがえる。

(2014年の私の文章)ホーム試合後鹿嶋に宿泊する時には神宮駅まで歩くのですが、渋滞にハマったダニーさんのモスグリーンのフォルクスバーゲン(2台目)と追いつ追われつ目が合う度に笑って会釈してました。
08年2連覇した年、ダニーさんはスタジアム探訪の取材中、私とハグすると試合に勝つからと、メインコンコースに出て私を見つけるなりいつもハグしてました。(私たち夫婦は開場と同時にいつも8番食肉さん付近でモツ煮を食べているので見つけ易かったのでしょう。ちなみに食肉さん前の写真パネルは全部私が撮ったものです)鹿ユニ着てカシスタに向かう横浜の桜木町駅前の交差点で、みなとみらいから高速に乗ってカシスタに向かうダニーさんのスタッフとバッタリ会いお互い驚いたこともあります。
天王洲アイルでのダニーさんのライブを聴きに行ったこともあります。私はカシスタのサッカーミュージアムのレジェンドルームに選手以外で入るとしたら、ダニーさんが最初だと思っています。ダニーさんには治療に専念してもらって、ナビスコ決勝で秋の晴天に向かってシャウトしてもらいたい!と切に願ってます。2014年Jリーグ開幕の日、ここに掲載します。
三陸海の幸(2)毛ガニ編

陸前高田の漁師さんが獲る三陸の海の幸。
水揚げした時私の顔が浮かんだ時は平日でも朝一番に発送してくれる。私が魚捌けるのを知っているので『今日送ったから』と言うだけで何が来るのか教えてくれない(笑)
クール便だと翌昼2時に着くので午後半休とって自宅で待機するのだが、活きた毛ガニを茹でることになるとは思わなかった。
自宅の大鍋とパスタ鍋で塩分5%にした湯をたっぷり沸かし毛ガニがたぷたぷに浸かるよう各2〜3杯ずつ甲羅を下にして(カニ味噌が溶け出すから)投入、落とし蓋して20分〜25分釜茹でにする。
カニが入っていた発泡スチロール箱のフタに鍋から取り出したカニを並べ外気で冷ます。以上繰り返して毛ガニ全部茹で終わると夜9時過ぎに。カニ足もいで日持ちしない甲羅の中身だけその日の内に食べる。
三陸海の幸(1)ウニ編
14年7月4日、陸前高田の漁師Kさんから活きたウニが届いた。三陸のウニはトゲが長いムラサキウニ。ホタテや牡蠣は捌いた経験あるが(牡蠣剥きナイフ持っている)、ウニは初めてだった。
殻を割って食べかけの海藻を取り除くのが結構手間がかかる。

寿司屋でよく見かける小さな木箱に整然と並んだウニは酸化防止にミョウバンを使用している。ミョウバン使わない生ウニの味を知ってしまったら寿司屋のウニが食べれなくなる(苦笑)
陸前高田の漁師さん

14年6月に陸前高田でホタテ耳吊り作業をお手伝する前の週に東京で陸前高田の漁師Kさんの写真展がありご本人にお会いした。
翌年Kさんの民宿に泊まった。自分の船で獲りたての魚を宿泊客にふるまう漁師宿。
ブログテーマ「酒・グルメ」を書いているように日本酒と魚をこよなく愛する私。
https://ameblo.jp/hama-penguin/entry-10583714565.html
私が魚捌けることを知ったKさんから電話で「今日、送ったから」と魚がとどくように(笑)


20年来御用達の関内の酒屋から“十四代” を定価で譲ってもらったので開封。舌の上で溶けるサクラマスの刺身の味、最高でした。
片腹だけで3000円はする。

震災後は海底の地形が変わってしまい魚が逃げてしまうのと、津波で沖に流された廃物が漁の障害となり漁が元に戻るまで10年はかかると言われた。元に戻る前に海水温上昇で網にかかる魚の種類が変わってしまい、ここ数年三陸の春告魚、真マス(桜鱒)の姿を見なくなったとのこと😢残念でならない。













































