実は先月、あっしのパパりんが亡くなりました。
80歳でした。
父が亡くなったコトを知っているのは、まだ一握り、
家族葬でコッソリ見送りました。
父が亡くなったコトを知った人たちは、皆さん、
大変でしたね、
こう元気づけて下さったのですが、
実は、生前のほうが大変だったのにゃ(-"-;A
事実、うんざりするほど大変でした。
父はアルコール中毒で、
お酒がきれると更にお酒をあおる、
あおればブツブツと、
自分のコト、家族のコト、自分の身の回りのコト、
自分のこれまでの境遇のコト、
自分が不満に思っている(た)コトを寝てしまうまで愚痴りました。
愚痴るというよりは怒鳴ってました。
毎日毎日、ずうっと怒鳴っていました。
話をしようにも、お酒を呑んでいるので話にはなりません。
お酒のせいで、
周りのヒトたちにもずいぶんと迷惑をかけていました。
5年前、父に癌が見つかったのですが、その時既に手遅れで、
父も、治療をするそのお金が勿体ない、
それくらいなら、そのお金でお酒を呑む、
更に飲み続けました。
愚痴ると、
自分の子どもの頃の事を話し始め、
俺がどれだけつらかったか、お前らに分かるかっ!
父の生まれて育った環境は、
確かに娘のあっしでなくても、聞けば気の毒に思えましたが
戦後の初めの頃って、どこの家庭でも、
大体似たり寄ったりではなかったのでは?
とも思ったり。
今は戦後ではないけれど、
あっし、言ってないケド、今の職場だって大概、
ヒドイ待遇さ~、
頭がガッチガチのエリート集団ほど、たちの悪いモノはない、
まぁ、良いヒトたちもいるから、頑張れる。
ンだけど。
負けたくなーいっ!!!
意地を張り倒して、毎日通っとります。
あっしは相手の態度が不愉快に思ったら、
口に出して言うようにしています。
むこうの言い分が正しくても、
あっしがその態度でどれほど傷つくのか、
相手は全然気づかずに行動してますから、
はっきり言うようにしています、
我慢の尾が切れたら。
相手は、あっしがそう思っていたコトを知ると、
うつむいて恥じてくれますが、
一部のおバカ達の態度はよけいにヒドくなるので、
今でも結構な程、嫌な思いしてるンだよ、お父さん。
父は、思ったコトを相手に伝えるコトが出来ないヒトでした。
周りのヒトにも、
親兄弟にも、
母にも、
モチロンあっし達子供にも。
お酒に逃げてました。
そして、言い方を知らないので、
お酒の力を借りて、あっし達家族に怒鳴ってました。
いつの頃からか、あっしは気づいていました。
父の怒りは、
あっし達家族だけに向けて言ってるだけではないな、と。
俺がどれだけつらかったか、分っているのかっ!!!
父は、既に何十年も前に他界していた、
自分の父親に向けて、怒鳴っていました。
父は富山で生まれたのですが、
成人すると、有無を言わさず、東京へ住み込みで働かされ、
半月後、イヤでたまらず富山へ戻ると、
その後、次に大阪に連れて行かれ、
住み込みの職場が見つかると、
もう、富山には戻ってくるコトはならんぞ。
父親にキツく言い渡されたそうです。
間違いなく父は、富山に戻りたかったハズなのに、
大阪でイヤイヤ働き続けるコトに。
ずうっと、
あっしが生まれる前、
そして、母と結婚するその前、
大阪に来たその日から、
父は富山に帰りたかったのだと思います。
お父さん、そういう時は、
ボクは富山で働きたい、暮らしたい、
そう言えば良かったンだよ。
亡くなった今、父は自分の父親に会っているでしょうか、
多少はちゃんと文句を言えているでしょうか、
言えないのなら、あっしに言っちくり。
自分の息子の気持ちも理解し得ないのか、この爺ィっ!
あっしは非常に乱暴なので、
自分のお爺さんであっても、
文句があれば、ちゃんと言うモン(  ̄っ ̄)
父は自分の一生涯、ついに自分がナニも為し得なかったので、
そのコトを多少恥ずかしく思っていたようでした。
お父さん、あっしは別にそのままのお父さんで充分、
好きだったンだよ。
亡くなる一か月前位から、
すっかりアルコールが抜けきった父は、ボケてもいたのに、
アルコールに依存していない頃の父に戻っていました。
今なら分かるのかな。
あっしは、自分のパパりんが、
大好きです。