今日は夕方、ハムたちのお掃除。
大きなケージが6つにもなると、まぁけっこう大変だったりします。
が、かわいいハムたちのため♪
ケージ1つずつお掃除する間は、ハムはサークルで遊んでいてもらいます(*´ω`*)
今日もとってもかわいい寝姿が撮れたので、のせようと思っていたんですが……。
やっぱり違うことについて書こうかなーと。
動物を飼っていれば、知っている方もいらっしゃると思います。
『虹の橋』 という、作者不明の詩のこと。
その前に、私自身の悲しいお別れについても、書いてみようかなと思います。
小学入ってすぐだったでしょうか?
学校から帰って、近所で遊んでいたときのこと。
お地蔵さんがあったんですが、その軒下に小さな段ボール箱が置かれていました。
開けてみると、小さな茶色い犬が眠っていました。
秋から冬にかけての季節で、このままじゃ寒さで死んでしまう、そう思って、連れて帰ります。
が、両親は「元の場所に戻してきなさい」といいました。「どうせ、飽きて世話しなくなるんだから」と。
それでもあきらめられなくて、お姉ちゃんと弟と、友達たちとみんなで、お地蔵さんの軒下でお世話をすることになりました。名前は「コロ」になりました。
少しあたためたミルクなどを与えて、毛布を持ってきてあげたりして。
ですがある日学校から帰って様子を見に行くと、ぐったりしてしまっていて、母に泣いて頼んで獣医さんへ連れていってもらいました。
「子犬には牛乳は飲ませちゃいけない」
そんなこと、初めて知りました。小学生の知識なんてそんなものですよね。
小さい子猫や子犬にはミルク。ミルクって牛乳でしょ? って感じです。
乳糖という成分が分解できず、消化不全。下痢による脱水症状と体力の低下。
結局、その子は死んでしまいました。
それから数年たったある日。それでも、小学5年生くらいだったはずですが……。
学校の帰り道で、ビーグルを見つけました。
顔のあたりの毛が白くなっていて、見るからに年をとっているのがわかりました。
背中からおしり、しっぽにかけてひどい皮膚炎で。首輪もなく、おそらく捨てられてしまったようでした。
実家のあたりは山が多く、大人たちに聞くと、おそらく「年をとって猟犬として使えなくなったから捨てられたのだろう」ということでした。
猟犬として使われ、捨てられてもそれでも、人間を信じ切った目で見上げてくるビーグル犬。
またしても親には「戻してきなさい」と言われたけれど、近くの空き家で、友達とみんなで世話を始めました。
名前は「ビック」になりました。
当時ピアノ教室に通っていて、毎週水曜日だけは別の地区へ下校していました。
なので、急いで下校して、近くのお店で犬用の缶詰をいくつか買いました。老犬だったので、固いフードは食べにくいだろうと思ったのです。
毎日世話を続けるうちに皮膚病もきれいに治って、おすわりやお手もできるようになりました。
学校から帰ったら、ビックのお世話。みんな、その空き家の前で遊んだりしました。
そんな日が続いて、お正月頃だったと思います、とうとう、
「家につれてきなさい」
とお父さんが言いました。ちゃんと世話できるなら、うちで面倒をみよう、と。
あのときの気持ちはいまだに忘れられません。
小さなときからずっと犬が大好きで、やっと、うちに犬がくるんだ! って。やっと認めてもらえた! って……。
家にきてからのビックも、やはりすごくお利口さんで、優しくて、お客様にもみんなに好かれるような子でした。
ですがある日、雨の日だったと思います。傘をさして散歩にいっていたら、血尿をしたんです。私はあわてて抱いて帰りました。
病院へ行くと、乳がんと、フィラリアということでした。猟犬ということもあって、フィラリアの予防をきちんとしてもらえていなかったのでしょう。
その日のうちに癌を摘出。高齢なこともあって負担も大きいとわかりつつ、子宮も摘出しました。転移の可能性も捨てられなかったので。
癌の方は回復したものの……しばらくして、歩くのも辛そうになりました。
散歩も、抱いていって、トイレだけしたらまた座り込んでしまうくらい。
それからはほんとうに早かったです。前よりずっと、眠っていることが多くなって。
学校の授業が、恐ろしいほど長かったように思います。終わると急いで帰って、ビックの眠る姿を見て安心して……。
ある夜のことでした。
母が言うには、夜中に高くひと声、鳴いたそうです。
そして死んでしまったと。
朝起きて、朝食の用意をする母が、こちらを振り返らずに
「ビックを見てきてあげなさい」
って。
横たわって眠っているようにみえたビックの体は、冷たく、固くなっていました。
優しかったビック。みんなに好かれていたビックが、死んでしまった。
火葬していただいて、その日は一日家にこもっていました。部屋で、ずっと泣いて。
それから数か月たったころ……お世話になった獣医さんから、1本のお電話をいただきました。
「ビーグルの子犬が産まれてるんだけど……」
ビックの最期、痛み止めのお薬をもらいにいったときに、1匹のレモンカラーのビーグルが運ばれてきたことがありました。
猟犬で、イノシシの牙で、お腹をやられたと。そのときに、その犬は妊娠していたそうなんです。
そして生まれた子供たち……ご縁を感じて、見に行くことになりました。
レモンカラーが2匹と、ハウンドカラーが3匹。たしか5匹兄妹だったと思います。
そのうちのハウンドカラーの女の子の首の後ろに、白い差し毛があったんです。
普通、ハウンドカラーのビーグルといわれれば、頭は茶色で首から背中は黒いベストを着たような柄になるんですよね。
亡くなったビックにも、その白い差し毛があったのを思い出し、
「この子、ビックだ!」
って。
それからは毎週(そのころは土曜日はお昼まで学校がありました)、土曜日に学校の帰りに両親が迎えにきてくれて、ビックを見にいきました。
その子の名前を「ビックにしよう」なんて、みんなで話し合ったわけでもありません。
それでも、ビックって呼んでみるとびっくりするくらいにしっくりきて。
あぁ、この子はビックなんだなぁって。
死んでしまったビックのかわり、とかそういうことではありません。
生まれ変わったとかも言うつもりはありません。
それでも、死んでしまったビックが、私たちのために贈り物をしてくれたんじゃないだろうか、って。
7月。
夏休みに入って、とうとうビックが家にやってきました。
サークルを飛び越えて家の中を走り回ったり、絨毯でおしっこをしてしまったり……花壇を悪戯して叱られたり。
今でもよく覚えているのが、ある夜のことです。
父が近くの公園へ散歩に連れていっていたので、その間にわたしたちはサークルのお掃除をしていました。(サークル飛び越え事件が重なって、外で飼っていました。笑)
どうやら公園に捨てられていたゴミを振り回して遊んだようで、父に叱られて、ビックはひとりで帰ってきたんです。歩いて3分くらいの距離、暗い中をひとりで。
それで、サークルの前で座っていた私の足の間に、どーん!!って。笑
叱られて、よっぽど怖かったんでしょうか?
ほかにも、夏に友達とみんなでふざけて、スイカの種を花壇にまいたら、それが大きくなって。
実が2つなったのを、ビックが1つちぎってしまって。
そのおかげでしょうか、結局、すっごく甘くておいしいスイカができたんです。もちろん、ビックにもあげました。
いっしょに大きくなって、私は大学生になって……。
ある日、友達と食事をしていたら、弟から電話が。弟から電話なんて、どうしたんだろうって思って出てみると、
「ビックがやばいかもしれへん。病気みたい」
って。
死んでしまったらどうしよう、って、その場で思わず泣き出してしまって……友達には迷惑をかけました。
「大学とかいいじゃん。帰ってあげなよ」
って背中を押してもらったのに、それじゃあなんだか、ほんとうにビックが死んでしまうくらい具合が悪いみたいに思えて。ビックなら大丈夫。姉とそう話して、ふたり、離れた場所から無事を祈っていました。
数日たった朝。
母からのメールでビックが死んでしまったことを知りました。
我慢できなくて、いっぱい泣いて……。
いっしょにいてくれた大切な人にもすごく心配させてしまいました。
10年くらいだったけど、いっしょにいて、大切な家族で。あの子がこの世から消えてしまったということが信じられなくて。
その後父が、「ビックの最期の姿です。この死を無駄にしないように、私たちもがんばっていきましょう」って写真を添えてメールをくれて。
「あぁ、ほんとうに死んでしまったんだ」
って。
その後を追うようにして、まだ子供だったのに、ハムスター「パルフェ」をなくしました。
子宮蓄膿症ということでした。
手を出せばすぐ噛みつく気性の荒い子だったけど、最後だけは大人しくて。むしろその大人しさが悲しかった。
噛んでくれていいのに、って。
もう数か月がたって、家族とも笑って、ビックたちの思い出話ができるようになりました。
それでも、やっぱりダメですね。
ひとりになって、こうして自分と向き合って文章におこしていくほど、涙がとまらなくなります。
小さな命が消えていく瞬間。それはほんとうに悲しくて辛くて……それでも、その辛さ以上に、小さな命が教えてくれた大切なことは、驚くほど多いものです。
あの子たちと過ごした思い出はどれも優しくて、宝物です。
さて、なんだか驚くほどだらだらと長く書いてしまったようですが……どうにも、短くできないものですね。(笑)
本題に入りましょう←
小さくても私たちにとってかけがえのない存在。
そんな彼らが、死んでしまったとき、私たちは何もできませんよね。
悲しくて泣いて泣いて。会いたくて、泣いて泣いて。
死んでしまえば、肉体とともに精神だって消えてしまうのかもしれない。
でも、もしそうじゃないとしたら……。
きっと、動物たちだって、心配することでしょう。
「どうしてここにはみんながいないんだろう。どうしてるだろう」
もう戻れないほど遠くに来てしまったと理解して、
「みんな元気にしているかな」
って。
飼い主の私たちが泣いて泣いて……そんなのじゃ、動物たちも安心して虹の橋を渡れません。
橋を渡れば、そこはたくさんの友達がいて、おいしい食べ物もあって、毎日が楽しくて……。
それでも、飼い主のことが気がかりで……。
悲しいし辛いのは当たり前です。泣いたっていいと思います。
でもしばらくしたら、見送ってあげないといけないんです。
「橋を渡って、みんなと遊んで待っててね。いつか、会いにくるから」
って、笑って背中を押してあげないと。
それが、私たち飼い主の責任なんですから。
こんなの、ただの慰めかもしれません。それでも、動物たちにも死後の世界があって、そこはとっても楽しく幸せな場所で……そこで走り回る彼らを想像すると、なんだかうれしくなりますよね。
病気で辛い思いをした子も、その橋をわたれば体は元のとおりに。脚を悪くしていた子は、もう一度風をきって走る楽しさを感じられるんです。
死んでしまった動物たちのために私たちができること。
わすれないでいてあげること、だと思います。
いつかきっとまた会える日まで……そしてそのときがきたら、きっと動物たちも待っていてくれるでしょう。
大切なペットを失って悲しむ多くの人たちに、もっとこの『虹の橋』を知ってもらいたい。
さきほど調べてみると、リンクフリーの和訳されているサイトがあったので、よかったら見てみてください。
http://www5.ocn.ne.jp/~select/Rainbow.html
ちなみに私は、ここのBGMで泣きました(;ω;*)
涙もろいので、どうにもなりません……。
ほんとに長くなってしまいました……。
最後はマフィンさんショットで終わりたいと思います!
今度、パルフェの動画をアップしてみようかなぁって思ってます。
見てたらまた涙出てきそうだけど。
けどきっと、パルもコロちゃんもビックとビックも(笑)虹の橋はもうわたってるはず。
お姉ちゃんはひとりじゃないからもう大丈夫だよ。みんな、遊んで待っててね。