みるということ ⑦


 香子は選択をしないことを選んだ。

このところ、淳の様子がおかしい。

私でさえ明らかに見えるような人影があるのにわざと無視したり、目の前にいる人をじっと見ていたりするのだ。11月に死体が見つかったことと何か関係があるに違いないとはわかっていたが、どうしてこういうことになっているかはわからなかった。だから遠慮しないで聞いた。

「ねえ、淳、どうしたの?」

だってあの時は私は何も聞かないでちゃんと黙っていたのだ。今回くらいは聞いていいだろう。

「は?」

しまった、唐突だった。どうも淳に対しては私はガードが甘い。淳と私の区別が付いていない感じがする。右耳の上あたりでひやりとした。

「いや、うーん、なんとなく最近、ちょっと変だなって」

「変?なにが?」

そういうと淳はやわらかく笑った。もともと穏やかな笑い方をするほうだし、私に対しては気を許してくれているみたいで、ただでさえ優しい顔を見せてくれることが多い。でも、もちろん、私のほうでも淳が優しく見えるフィルターがかかっているのだと思う。

だめ、ごまかされそう。

「うん、最近、なんとなく、何を見たっていうことを、いろいろ話してくれなくなったから・・・」

淳は今度はくすくすと声を上げて笑った。

「なによ、何で笑うの?」

「いや、そんなの聞きたいかなって・・・死んでる人の話だよ?」

「聞きたいっていうか・・・私にだけ話してくれる話題かなって」

「香子に特別な話題ならほかにもいろいろあるけど、ききたい?」

そういうと、淳は私の側にかけていたカバンを逆側にかけなおして、私の手のひらを握った。うなじの少し上あたりがぞわりとする。そして淳がわざとまじめな声で言う。

「大丈夫、下ネタではない」

かっとなった。

「もうっ!」

力任せに手を振り払った。淳もふざけていただけのようで笑い声を大きくして簡単に手を離した。淳の手のほうが私の手より暖かかったから、なんだか手の感触が残って恥ずかしかった。頭の全域で血がめぐっているのがわかる。最近淳は、簡単に手を握りすぎる。

「やっぱさ、香子手冷たいわ。運動したらよくなるかな」

「そういう問題?」

「まあ走ってる間は俺も手は冷たくなるけど、血行のいい分、ちょっとあっためるとすぐあったかくなる気がする」

「・・・手袋でもするかなあ」

「俺らは走ってる間軍手してるよ」

「軍手はいやだ」

結局、ごまかされている。次の機会を狙おう。


俺は、そのとき教頭と会ったことを香子に話さなかった。俺は、自分が今回は積極的過ぎることに違和感を覚えていた。だからこの先は、俺が今までやってきたやり方を保っていこうと思った。つまり、死者に頼まれたら、死体を見つけてやったり所在を知らせてやったりする。でも、誰かの犯罪を暴いたりはしない。

教頭の話が本当かなんて、確認しない。

11月に入ってすぐ、旧体育館の土台のコンクリートがはがされた。小林の遺体が発見され、大騒ぎになった。しかし、ほぼ白骨化していたため、死因は頭蓋骨に陥没があるのでおそらく脳挫傷であること、その遺体が着衣や持ち物で小林であることがわかったのみで、誰が殺害したかなどはまったく手がかりもなかった。その上、小林の両親はすでに亡くなっていて、兄弟もいなかったために、叔父だという人に遺骨が引き取られて尻すぼみに終わった。

俺は何も言わなかった。普通の反応をした。当時の友人だったと名乗り出た教頭が、しかし、当夜学校にいたことはいわなかったことにも何もいわなかった。

香子は、俺と一緒に教室の壁を元通りにしただけで、何か言いたそうだったが、何も言わなかった。香子は、このことについては、言いたそうにしているが黙っていることが多い。俺のやり方をはじめてみて、どう思っただろうか。

そう思っていたところ、12月に入ってすぐ、小林に会った。はじめて立っている姿を見た。市原は居なかった。俺は少し考えて、市原も出てくるはずだと思った。走り出す前に止めよう、と思って、小林を差し招いて、もと渡り廊下のあったところに連れて行った。言葉には出さなかったが、小林はわかったようだ。多分、小林は、市原を止めるために出てきたのだろう。

案の定、10分ほど待っただけで、市原が走り出してきた。俺が市原に声をかけるよりも早く、小林が腕を広げて市原に通せんぼをした。小林が躍り出た瞬間、市原が立ちすくんだ。

市原には、俺は見えていなかったようだったが、小林は見えたのだ。そしてわれに返ったように、俺を見た。俺は、結局いなくてもよかったんだなとため息をつき、手を振ってそこから離れた。後ろから、二人がじっと見ているのがわかったが、振り返らなかった。

俺は無力だな、と思った。中途半端だな、と思った。

もうやめよう、と決めた。

そして顔を上げた。

道の向こうに古臭いツーピースを来た女の人が見えた。何事もなかったように、俺はその横を前だけ向いて通り過ぎた。

「・・・それまで、待っていろということなら、僕はどちらにせよ何も言うつもりはないです」

「そうか」

「知りたいのは、どうしてそれを先生が知っているかです」

「・・・どうして知りたい?」

「知りたいだけです。もちろん、二人のために何かできればそうします」

「そうか・・・。そうだな、もう38年も前のことなんだ」

「・・・先生が15歳のときのことですね」

「そうだよ。3年だった。僕は、受験生でね・・・その頃は高校に必ず行くわけではなかった」

「はい」

「僕と小林は高校にいけることになっていた。小林はもう推薦で高校に受かっていた。僕と市原は受験勉強の真っ最中だった。小林は成績を落とさなければいいというところだったから、むしろ僕らに付き合ってくれていた。僕らはクラスの中で一番成績がいい部類でね、仲もよかった。親友だと思ってた」

「はい」

「でもね、市原の家は、実は進学させるのが難しい経済状態だった。お父さんがちっとも働かない人でね。小林が推薦を取らなければ、市原が推薦入試で奨学金をもらえていたかもしれない。もちろん市原は文句なんていっていなかったけれど、小林はすこし申し訳なく思っていたようだった」

「・・・仕方がないことですよね」

「ああ。でも、推薦のことが決まった直後に市原の家がやはり高校にはいかせられないことになった。それで、市原が親と大喧嘩してね、家出をすると言い出した。そうすれば、住み込みで働いて、自分の給料を自分の夜学、高校の夜間部だよ、それに行くために使えるとね。僕たちは心配だったから、付いていくことにした。そうしたら、市原も、そのまま失踪するわけに行かないから、家出をやめてくれると思ったんだ。学校の、工事現場に荷物を隠して、深夜に待ち合わせをした。本当は3時に学校に集まって、4時の貨物列車にもぐりこむつもりだったけれど、僕は寝坊してね、30分遅刻した」

教頭は、そこでいったん言葉を切り、深呼吸をして目を閉じた。まぶたの裏の、そのときの映像を見るように。

「・・・言い訳をするつもりではないのだが、着いたときには、小林がもう倒れていたんだ。その横で、市原が真っ青な顔で、返り血を浴びて立っていた。僕は驚いて市原、と呼びかけた。そうしたら、市原は、どこかへ走り出していってしまった。・・・どこへ行ったのだろうと思ったがまずは小林の様子を見ようと思ったら、もう息をしていなかった。頭が真っ白になった。そこへ鈍い音が響いてね、工事現場から外へ飛び出したが、その頃は街灯なんて立っていなかったから、何かわからなかった。でも、もし死体が見つかれば、市原が殺人犯だとわかってしまう。・・・いや、正直になろう。僕が殺人犯だと思われてしまうことも、怖かったんだ。だから、小林の死体を埋めた。その後はまっすぐ家に帰って風呂で体を洗って何事もなかったように寝たふりをして、次の朝、学校に行った。本当は、夜のうちに市原を探すべきだったんだ・・・僕は、自分のアリバイ工作をしたんだ」

「・・・混乱をすれば、そういう風にするのも仕方がないと思います」

教頭は、目を開けた。

「後はもう、みんな大騒ぎだ。市原が自殺して小林が失踪。僕が一番仲がよかったから警察にも教師にもそれぞれの家族にも、質問攻めだった・・・でも、わからないで通した」

「話しても、仕方がなかったとは、思います。子どもが子どもに殺されたなんて、誰も聞きたくなかったでしょうから」

「どうしたらよかったんだろうな・・・」

「わかりません、けれど、今度は、間違えないようにするほうが、大事だと思います」

「・・・今度?」

「小林君の遺体が見つかるときのことです」

「・・・ああ、そうだ。そうだな」

そのとき、3時間目が終わるチャイムが鳴った。