次の日、俺はドアのまん前の席に変わってもらった。するとその日にもう効果が出た。

3時間目は国語で、面白いともなんとも感想の持ちようのない詩をクラスの誰かが読んでいた。俺は今日も早起きして学校に来ていたこともあって、睡魔と闘っていた。すると、そいつが走ってきた。後ろから、足音もなくやってきて、気配を感じた瞬間に俺の前を走っていった。

「先生、すみません、トイレ!」

俺は非常手段を使って教師の返事も聞かず、ダッシュで教室から駆け出した。暑いからドアは開け放たれたままだった。そいつはすぐにF組の向こうの上り階段を登っていった。俺も追いかける。多分すぐ後ろの席のヤツには俺の行動は見られていただろうが、まあいい。

そいつは3階もそのまま素通りして屋上へ出た。そいつが本当に外に出たのは、鍵がかかっていなかったころだから、すんなり外に出られたことだろう。今は鍵がかかっているから、俺は出ることができない。

と思ったら、鍵が開いていた。なんでだ、と思い、ラッキー、と思う。屋上に走り出した。まぶしい。

目をやると、丁度柵を乗り越えていくそいつの姿があった。そして、もうひとつ。

「あれ、君、授業中じゃ」

教頭だった。

気を取られた隙に、そいつが飛び降りた。俺は駆け寄って、後で設置された柵の外のフェンス越しに下を覗き込む。そいつが、落ちていき、地面にたたきつけられると思った瞬間、消えた。多分それが、そいつの死んだ瞬間なのだろう。本当のそのときは、多分明け方だ。ある意味、あいつの死体も見えるのだったら、結構えぐいものが見られてしまっていただろうから、見えなくて助かった。

「君?」

俺が走ってきていきなり下を覗き込んだから、驚いているようだった。

「どうした?」

俺は、教頭に向き直った。

「ここから飛び降りた人、なんていう名前だったんですか?」

教頭は驚いたようだった。俺としては、話をするために名前を知りたかっただけだったんだが。

「・・・市原道雄だ」

「じゃあ、体育館で死んでいたのは?」

教頭は目を見開くようにして、答えなかった。

「あ、体育館、作ってるときでしたよね」

「・・・どうして・・・」

「見えるんです、そういうの。信じてもらえなくてもいいし、誰にもいうつもりはないけれど」

ちょっと安心させるために嘘をついた。

「・・・小林武弘だよ」

教頭は、考えることを放棄したようだ。俺から3mほど離れた横に来て、俺と同じように柵にもたれかかる。

「この間、先生が線香を上げていたのは、小林君のためですね」

「・・・ああ、そういえば、あのときの君か」

「そうです」

「・・・そうだよ。あそこに、小林がいる」

「・・・どうして、先生はそれを知っているんです?」

「聞いてどうする?」

「二人を、やめさせてやりたくて」

「なに?」

「小林君は、もうずっと、死ぬか死なないかの境目の状態で、あそこに横たわっている。誰かが助けに来てくれると思ってたんでしょうね。で、死んでしまった小林君を、市原君は見下ろして立ち尽くしていた。そこに誰かが来て走り出して、ここに来て飛び降りている。何度も何度も。アトランダムだけれど・・・多分、もう何百回も。もちろん、二人とも、本当に死んでから」

「・・・そういうのが見えるというのか?」

「信じなくてもいいです」

「・・・信じるつもりはないよ。でもね、君はよく知っているようだね」

「はい」

「・・・もうすぐ、体育館のあったところのコンクリートをはがすことは知っているね」

「はい」

「あそこのコンクリートは、ブロックで仕切られて、順番に固められた。そのうちのまだ固められていないところから土を横に掘ってもう固まっているところの下に小林を入れて土をかけた。次の日には掘ったところも固められた。だから、コンクリートをはがせば小林が見つかる」

俺は香子の提案にしたがって、家に帰ってから4月に配られた教職員紹介のプリントで確認した。教頭だった。名前は石川幸彦。53歳。今年京町中に赴任。京町中出身。

「この先生だね」

翌朝、香子はプリントを見て言った。

「そうだね」

朝の教室で、一瞬二人とも沈黙する。周りのクラスメートは二人が話していても聞こえない振りをしていてくれるけれど、当然聞こえているし聞いているはずだ。教室で二人で話しているのは珍しいくらいだから。

「続きは放課後な」

放課後、香子は図書室ではなくあえて教室で待っていた。

 「おまたせ。…まず棚動かすんだろ、どいてろ」

 「え、あ、え、淳、わかってるの?」

 「多分。ここの壁、拭いて、通れるようにするんだろ」

「そう、そう」

「考えてみれば、教室棟の階段上ればいいんだもんな、旧実習棟の階段上らないで。だから、通る頻度なんて少なかったはずなんだ。なんでこんなに通る?俺が見るのはその場所に関係のある死人だけだ。俺が見たのは男で生徒ばっかりだった。ここで死んだヤツなんて、そんなに多くない。あの渡り廊下を走っていたのは、あいつだ」

そこまで話したところで棚を動かし終わった。俺と香子はほうきを出して棚の後ろを掃き、きれいに塩を取った。それから壁に書いてあった格子模様を消した。4月に香子が書いていて、消すつもりだったのが消すのを忘れていたもの。

「さて。・・・後は待ち?」

「・・・そうだね」

「あのさ、おれ、ここのドアの前の席に変えてもらう。そしたら、そいつが走ってきたら、わかるだろ」

「いや、あのね、そうじゃなくてね、もっと決めておかなくちゃいけないというか、問題があるんだけど」

「何?」

「今、淳、教頭先生が怪しいって思って行動しているでしょ」

「怪しいじゃん」

「そのために教頭先生がなにやったのか、その人に聞こうとしているでしょ」

「まあ、話せるわけじゃなくて身振り手振りだけどね」

「で、どうするの?」

「・・・」

そうだった。そういえば、考えてなかった。

「いや・・・もし教頭がなにかしたんだったら、やっぱ罰とか・・」

「なにかって、殺人とか死体遺棄とかでしょう」

「難しい言葉でいうなよ」

「でもどっちももう裁判できないよ、30年だよ、時効が成立しているもん」

「・・・別に裁判がどうとかじゃないんだ」

「・・・あのね、もし本当に、教頭先生が何かしているなら知りたいって、そういうことだよね」

「それもある・・・それだけじゃないけど・・・」

「うん・・・?」

 俺は、もう死んでいる人から頼まれてその人の頼みごとを聞ける限り聞いたりしてきた。自分から聞くのは初めてだ。

「あの二人は、俺たちに目もくれなかった。俺たちに見えているって、たいてい向こうがわかってこっち振り返ったりしてくるよな。でも、あの二人は目もくれなかった。まだ、おんなじいやなことをずっと繰り返している。だったら、それをとめてやりたくないか?」

香子は、何か反論がありそうだったけれど、もう何も言わなかった。

俺はその日の帰り、香子に朝会った先生の話をした。

「学校で?生徒かな?」

「中3のときの友人って言ってたかな」

「・・・いくつぐらいの先生?」

「さあ…50歳くらいかな」

「・・・あのさ、この学校で自殺があったのって知ってる?」

女子の情報網ってこういう怪談の類がすきなのよね、と香子は独り言のように言った。

「先輩のお母さんのころの話だからもう30年以上前なんだけれどね、生徒が一人飛び降り自殺して、一人が行方不明になったの。二人は結構仲のいい友人同士で、家に旅にでるって書置きを残して夜にいなくなった。自殺したほうは推薦で夏休み明けに高校が決まったんだけど、もう一方は高校入試の前だったから大騒ぎになって。もしかしたら飛び降り自殺じゃなくてもう一方が突き落として殺して逃げたんじゃないかって話もあったんだけど、結局残る一人は見つからなくて」

「きついな・・・」

「うん。ね、時期あってるでしょ」

「そうだな。ここの卒業生でここの先生になることってあるんだ」

「でもねえ、その飛び降り、あの教室棟からだったはずなんだけど」

「え、いや、旧体育館のところにいたよ?」

「うん、だから変だなと。その事件、教室棟ができて、旧体育館が作ってる最中ってころだったらしいもん」

「・・・何でそんな詳しくしってんの?」

「出来立ての校舎でまだ夜も出入り自由だったのにそんなことがあったから鍵が全館付いたんだって。鍵つくまではデートスポットだったらしいよ。だからうわさになってた」

「・・・すごいな、怖え」

ねえ、と香子は言ったが多分俺が女子の情報網に恐れをなしたこととは違うことだと思っての相槌だろう。

それにしても。変だな、と俺も思った。その先生が花を手向けていた場所には、昼にはもう花はなかった。線香の灰は残っていたが、そんなの誰も見ない程度だ。そしてそこは、俺が二人の男子生徒を見てうちの一人が死んで寝ていたまさにその場所だったのだ。

それを言うと、香子はうなるように言った。

「それ、最重要の情報じゃない。なによそれ」

「なんで?」

「なんでって・・・死んでいた一人がそこで死んだことをその先生が知っていたとするでしょう?そしたら、なんでその先生は、そこで一人が死んだことをしってたの?行方不明のはずだったでしょう?それに、その一人が死んでいたのなら、死体はどこに行ったの?」

「あ」

「・・・あじゃないよ。その人、本当に先生?」

「・・・多分」