平和島の全国古民具骨董まつりに初めて行って見ました。


車で行ったのですが、しばらく車に乗っていなかったので、

バッテリーが上がっています。

この日のために充電しておきました。

最近、あまり車に乗らないので、たびたびエンジンがかからないのです。

なので、充電器は必需品です。

普通に、ガソリン車なのですが、EV車より充電してるかも汗

でも放電充電を繰り返しているので、エコではないです。


ところで、この骨董まつりは、これまで行っていた骨董市とは一風変わっていました。

古民具というだけあって、古美術や和骨董といった感じで、風情があって良かったです。


ぜんまい仕掛けの時計が壊れていたのですが、ぜんまいだけ売っていたお店があったので、購入しておきました。

あとで直そうっと。


会社の制度で、住宅手当をわずかながら頂いている。

それが、今年の半ばで権利を剥奪されてしまう。

そこで、このまま賃貸すべきか、家を購入してしまうか、

果たして、どちらが損しないのか考えてみた。


結果から言うと、現状の私の計算だと、賃貸ということになった。

頭金をいくら出せるかに尽きる。

最低でも500万円を用意しないとダメだ。(現状、用意できない)

何がダメかというと、いかに損しないかを軸に検討してみると、選択肢が減ってしまうことが課題だ。

いい物件を探すなら、そこそこいい値段の所まで射程距離に入れたいものだ。

私は残念ながらローンを組まないとこんな高額商品に手を出すことができない。

ローンを組むということは、時間を買うということだ。

故に、返せる能力があるのかを見極める必要がある。

そこで頭金なわけである。現状、用意できないのであれば数年で用意できるようにすれば能力があるということだ。

まずは、これを頑張ろうということで決着した。


持ち家の良い所、私の意見としては、自由に間取りをカスタマイズでき、多少騒いでもご近所に迷惑にならないくらいか。

だとすると、なぜ持ち家がいいのかと問われると、自己満足の世界かなー?なんて思ったりする。

冷静に考えてみると、別に賃貸でいいや。と思ってきた。

とすると、冷静な判断ができてなかったんじゃないか?それは、なんだろう。


日本の持ち家と賃貸の比率は、現在6:4だそうだ。

一昔前は、2:8だった。なぜこんな逆転現象が起きたのか。

歴史を追ってみよう。

戦時中、兵士が帰国したときに住家がなくて困らないよう、地代家賃が上がらぬように政府は制限をした。

これが地代家賃統制令だ。

しかしその後、地価や建築費が上昇するわけだが、家賃を上げることができなくなったため、家主は借家経営で儲けることができなくなってしまった。

借家を増やす意味がなくなってしまったが、戦後の復興で地価はどんどん上昇していく。

だから家主は、入居者を立ち退かせて、土地を売って儲けたのである。

これは、まずいと政府は借地借家法を改正し、正当な理由なしに入居者を立ち退かせることを禁じた。

これで、家主は家賃も上げられないし、土地も売ることもできなくなってしまった。

だから、家主は借家自体を入居者に売ってしまって、不動産経営から手を引いていったわけだ。

こうして、持ち家率が逆転していき、持ち家の方がいいね。と思うようになっていった。

さらに、住宅金融公庫法を機に住宅ローンが供給され初め、持ち家が良いことをアピールしていく。

政府は経済政策に住宅政策を取り入れ、年功序列で年収が上がるからローンを組んでも安心であると住宅ローンを推進していった。

例えば、住宅ローン減税、住宅取得資金贈与の特例、長期金利が固定されるフラット35・・・など。

人口は減っていくばかりなのに、住宅購入を促進させている。なぜか。

それは、誰かが儲かるからに決まっている。

ここまで記載すれば、分かるよね。

最近だと、耐震化工事への助成、住宅エコポイントもある。

とにかく、家を買って欲しいんですよ。


と、これに気付いてしまったので、

とりあえず頭金を揃え、地代が上がる方向の物件を見つけることが出来ない限り、購入は控えることにした。


さらに冷静に考えると、ほとんどの人は、自分で借金して家を手に入れて、他人に貸せば収入を得られるのに、それを放棄して自分に家を貸して住んでいるわけだ。

一方、不動産投資は他人に貸して収入を得るわけだからローンしてまで買っても意味がある。

まさに、儲けるための投資だから、それはそれでアリだと思うけどね。


「自由」という言葉は、歴史は短く最近の言葉だから、

時代劇で「自由を手に入れるぞー」なんていうセリフは有り得ない。

と、小学校で習った。


辞書で調べてみると、だいたいこんな感じ。

『他のものから支配・拘束を受けず、自己自身の本性に従うこと』

なのだそうだ。


私は、時間に支配されている。とつくづく思う。

ながらゲームが流行っている。ちょっと空いた時間にできるゲームだ。

何かアクションをすると、時間に比例した数値を消費する。

その数値は実時間経過すると回復する。といった具合だ。

例えば、RPGで一回冒険に出ると、エネルギーが10消費する。

5分立てば、自動的に10回復するといった感じだ。エネルギーがないと冒険できないのだ。

しかも、勇者は冒険に出て帰ってくるのに、実時間かかる。

ゲームが好きな私なんかは、どんどん進めたいので5分間ボーっと待ってしまう時がある。

あー、なんて時間の無駄なんだ。

大きなアクションを起こすと実時間で10時間かかったりするので、さすがに待っていられず、睡眠前に操作しておいて放置しておく。といった生活リズムに拘束されている。

だが、これがまた課金制度がしっかりしていて、リアルマネーを支払うと、このエネルギーを瞬時に回復できるアイテムが買える。勇者もすぐに帰ってくることも可能だ。

さすがに、この手のゲームは無料になっていて、私は到底課金するに至らないわけだが、まさに時間をお金で買うことができるのだ。

素晴らしい。


現実社会も、時間に支配されている。

ほとんどの人々は時給で仕事をしているだろう。教育現場では時間割が設けられているだろう。

1時間待たないと報酬はないし、時間割に間に合わなかったら遅刻のレッテルを貼られるだろう。

時間を全うしなかったから、減給だったり、減点だ。

ローンなんかは、時間を買ってるわけだ。カード払いなんかは翌月払いだとすると1ヶ月ワープさせてるわけだ。

成人向けビデオやギャンブル、嗜好品なんかは、年齢制限があったりする。

その年齢になるまで、ただひたすら待つしかないのだ。地球が太陽の周りを回るのをただひたすら。


その点、赤ちゃんは自由だと思う。

眠たくなったら寝ていて、泣きたい時に泣く。

拘束・支配も受けず、本性に従っている。まさに自由だ。

しかし、だんだん人間社会が自由を奪っていく。

眠たくなくても「はい、夜遅いから寝ましょうねー。お外暗いでしょー。」

眠たくても「はい、朝ですよー。起きてくださーい」

物心付く頃には、お腹が減ってもお昼まで待たされ、時に間食をすると怒られる。

でも、老後になるとボケという症状に見舞われることもある。

「おじいちゃん、さっきお昼食べたばかりでしょう?」

・・・いや、彼はお腹が減ったから食べたいのではないか?

お昼という時間は、人間社会が構築したものであり、通例のように洗脳されているのではないか。

さっき、お昼を食べたかもしれないが、お腹が減ったから食べたい。これって、自由だと思う。

自由人とか、憧れるわけだが、なんだか妬みの対象にされがちだ。

時間というレールから外れてしまった人を正当に評価してくれない風潮がある。


私は、赤ちゃんでも老人でもないので、時間に支配されちゃってるわけだが。

この現実をなんとか打破したい。

明日があるから、もう寝なきゃ、とかって、なんだか空しい。


そんなことを、思ったりする。とはいえ、不毛だなぁ。