もう降りてもいいですか? | 自分らしくしなやかに

自分らしくしなやかに

自分の人生をいきたいと願いつつ還暦になってしまいました
母の縛りはますます強固に、介護という名で重くのしかかっています

今日(もう昨日だけど)の大阪は

暖かくて過ごしやすかった

 

何も予定の無い母を連れて

相変わらずのデパートへお出かけした

 

朝一番、母の部屋の前を通ると

トイレ帰りの母が車椅子に

だらしなく座りながら廊下にいた

 

開口一番「目が見えへん」

 

あぁ、また始まった

 

「目が見えない」

 

これで何度

眼科に行き

眼鏡を作り

白内障の手術までして

 

なのに未だ「見えない」を繰り返す

 

元々眼が良くて

老眼以外に不自由の無かった母にとっては

老化でおきてくる色々な不自由が受け入れられないようだ

 

そうして

眼鏡は10で済まないくらい作ってきた

 

最後に行った眼科では特に問題は無い

乱視もあるし年相応に調節機能が落ちてるから

眼鏡で補うようにと処方箋も書いてもらった

(お母さんよりはるる♪さんの方が

検査して下さいと言われた)

 

まぶたが力なく下がってきているので

それで見にくいのであれば

ちょっと切って上げれば良い

いわゆる眼瞼下垂

 

いつでもすぐできますよ

と言われた

 

今朝の母は

左目のまぶたを

わざとらしく半分閉じて目を塞ぎ

見えない見えないを繰り返す

 

「だったら買い物に行ってないで

眼科に行こう

切ってもらえばすっきりするから」

言う私

 

「いや、もう手術はしたくない

しないと決めた」

と言う母

 

「外来で10分ほどで終わる手術と言うほどのもんちゃうやん」

 

この繰り返し

 

もういやや

 

何一つこちらの言うことは受け入れず

 

毎日毎日

 

目が見えへん(見えてるやん、見づらいのは私もです)

 

耳が聞こえへん(突発性難聴になったのは可哀想やけど、片耳はしっかり聞こえてます)

 

立たれへん(麻痺があるわけではにので、自分のリハビリ次第です)

 

歩かれへん(同じく)

 

毎日、することも無く

自分の不幸を嘆いて

と言って

それを改善すべく努力をしたり

工夫をしたりもしないのだから仕方が無い

 

今日もどこに行くか

何を食べるか

 

自分で決めるまで

私の口からは言わなかった

 

母の思いを忖度して

色々考えていっても

違ってたら後から

「本当○○の店見たかった」とか

「○○は歯のせいで食べ難いねん」とか

言われて

散々イヤな思いしてきたから

 

母が決めるまで何も言わないと決めた

 

「どこでもいいから

それくらいあんたが決めて

連れって行ってくれたらいいのに」

 

なーんていうけど、

自分で考えるのがめんどくさいだけ

に決まってる

親の行きたいところ食べたいものくらい察しろ

って?

 

後付けで文句を言うのはいつものこと

 

でも、最近ちょっと

頭の方が緩くなってる・・・

だから楽な面もちょっとだけ有る

 

そう思って気を緩めると

容赦の無い言葉が飛び出して

 

余計に貶められるけど

 

もういい加減

 

私の精神もボロボロ・・・

 

母と向かうことから降りても

いいかな?

 

ひとりっこだと

背負わないといけないのかな