わたしの活動の目的についてなど
今回は、わたしがなぜこういった活動をしているかについて、お話したいと思います。
それは「わたしの使命だから」ということなのですが、実の所、わたしは現在皆様にお伝えしているような研究結果を、誰にもお話しするつもりがなかったのです。知ったことは自分ひとりで知って終わりにして、墓場まで持っていくつもりでいました。
しかし、主に二つの流れがあったために、自分が知ったことをわかった範囲で皆様にもシェアさせて頂くくだりとなったのでした。
今回のもくじです☆
◆1 人生の往復ビンタ
◆2 仏性だもの
◆3 ゼロで死ぬ!
◆4 出会うべき人とは何もしなくても出会うもの
◆5 ズレズレなるままに・・・ではダメかもよ?
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その前に、摂食障害についての本の出版が大変遅れておりますことを、お待ち頂いている皆様には大変心苦しく思っております。現状をお伝えしますと、やむを得ない事情により、同時にほかのテーマについても着手する運びとなっております。本当に申し訳ありません。内容については「インナーチャイルドのワーク」といったこと等、本ブログと重複している部分がありますので、ご参考にして頂きたく存じます。できるだけ早くとは思っているのですが、いつになるのか著者本人にもわかりません。この場をお借りしてお詫びをさせて頂きたいと思います。
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◆1 人生の往復ビンタ
一つは「使命から逃げようとすると人生から笑顔で往復ビンタを喰らう」ということです。人生の強制終了、人生の強制STOPが、次々に起きるのです。人知を超えた不思議な事象が次々に起きてしまうのです。
もっとも大きかった出来事は、「遊ぶ」を選択したとたんに、普通ではあり得ないことが起きて開放骨折を喰らい、救急車で運ばれたことです。ちなみに傷がふさがり普通に入浴できるようになるまでの数か月間、「感謝の乱れ打ち」を行うことにより一切テンションを落とさなかったことと、そのためか痛みをほぼ感じなかったことから、看護師さんや周囲の人に薄気味悪がられていました。
(;^_^A
医師の先生は「神経が切れた可能性がある」と心配してくださっていましたが、そんなことはありませんでした。今では、無理をするとごくたまに骨の痛みがあるものの、もう何事もなかったかのように元通りです。
このような訳で、使命から離れようとすると必ず何かが起きたり、また精神的に落ち込んだり、あるいは詳しくはお話しませんが乱れたりして、どうしても引き戻されるのです。
こういったことの詳細についてはブログが長くなることを避けるために別の機会に譲りたいのですが、使命にたどりつくのにわたしの場合は「わくわく」ではなかったということがおわかり頂けるかと思います。
(;^ω^)
◆2 仏性だもの
使命のたどり着きかたが「わくわく」という一般的なものではなかったとは言え、わたしの中には「やりたくない」という気持ちしか無かった、という訳ではありません。
「わたしは確かに救われて“幸福”にたどりつくことができたけれど、でも、あの人達はどうなってしまうのだろう?」と、どうしても気になってしまう気持ちが一粒、自分の中にあったのです。ほかはほとんど「これからはもう人生を普通に謳歌しよう!」とわくわくして思っているのに、です。そして「わくわく」を選択しようとすると、人生にビンタを喰らうのです。
( ;∀;)こういった経験も今は血肉となり、貴重なデータとして取り込んでいるのですが、当時は訳がわかりませんでした。
そんな折に出会ったのが、まずはエイブラハム。次にバシャールでした。
こういった多次元スピリチュアルを教えてくれる存在達との出会いは、わたしの自力の研究と実践で虐待被害の後遺症などから抜け出したあとのことだったということは、すでにお伝えしてある通りです。しかし、彼らの言っていることが、自分のつかんだことと酷似していることと、またそれ以上の情報であることに、驚愕しました。
「だったら先に教えてくれよ!そうしたらこんなに一人で苦労して研究なんかしないですんで、そして人生をもっと早く自分らしいものにできたのに!」と腹が立ってうんざりし、運命を呪いました。しかしそれすらも含めてすべてがわたしにとって必要な人生経験だったということなのでした。
ともあれわたしの中にあった「自分は確かに救われて“幸福な日々”にたどりつくことができたけれど、あの人達はどうなっちゃうんだろう」という一粒の気持ちについてお話しますと、あれは「仏性」という、すべての人が持っている仏様の心だったと思っています。わたしは虐待被害から抜け出すためにご神仏のお力をお借りしていますので、このような皆様への御恩に報いるためにも、こういった活動をすることは定めとなったのだと思っています。
◆3 ゼロで死ぬ!
何をやってもうまくいかずに使命に引き戻され、落ち着いてちょっと考えてみると「これは使命を生きないと、ケガだけでなく、大きな事故や事件にも巻き込まれたりするかも・・・」と気が付き、命の危険もありうるとゾッとしたわたしは、今回の人生のパートナーであるゑRくんと話し合うことにしました。
「わたしは、自分の経験や自分がつかんだことをこの世に残すのが使命みたい。この使命が将来何につながるかはわからないけど、一対一のカウンセリングやコーチングをするのはわたしの場合違うようだし、これについての活動ではお金についての意識を一旦外したい。結果を意識したくないということもあるし。これからは専業主婦をしながらの作家活動をしてもいい?」と聞きました。
この選択は、わたしにとっては恐いことでした。近所には「いいなぁ♪ここけっこう好き♪」と思う職場がありました。そこで働かせて頂いて、休みの日は趣味の植物チャネリングにお出かけして、そしてちょっとずつ貯金して・・・という、世の中の理想とされるとおりの楽しく穏やかな人生を、自ら放棄することになると思ったからです。一体どのような人生になるかまったくわかりませんでした。
しかしゑRくんは快諾してくれました。今回の人生はお金とどれほどご縁があるのかわからないけれど、ゼロで死ねるのならそれもいいかもね、というのが現在の共通認識となっています。フリーエネルギー時代が到来するかもしれませんしね!
( *´▽`) 勿論「いらない」というのではありませんョ!来るもの拒まずで、エネルギーを動かした後の結果は楽しみです。
◆4 出会うべき人とは何もしなくても出会うもの
活動はこのような状態でやらせて頂いております。また、わたしはお金を頂いてのカウンセリング経験は一度もありません。わたしがお伝えしているのは、自分の研究にてつかんだことを、無料での、と言うか、友情で、とかボランティアで、と言いますか、人生で出会ったたくさんの皆様にご相談頂いたことに対して、自分がつかんで機能したことをお伝えしてみて、他者さまにも機能すると確認できたことを中心にお伝えしています。
そして今後もカウンセリングをさせて戴くことは今の所考えていません。現在も引き続き、ご縁があって出会ったかたに、無償で、覆面で(自分の正体は明かさずに)やらせて頂いていており、今後もそのつもりでおります。それは「地球人のリアルな生の、ありのままの反応を経験することによって確認したいことがあるから」ということも、理由のうちの一つです。
そしてこれが本当に不思議なことに、わたしの場合、出会いについては、出会うべき人とは、何もしようとしなくても出会うのです。これは身体意識であるわたし達にはわからない、「上」同士の事情により引き起こされます。そして自然とそういった話になり、お互いの用(学ぶべきことなど)がすんでご縁が切れた時に、これまた自然とお別れの時が来るのです。
何回かお伝えしましたように、人が幸福な人生を送るための基本的な心理の仕組みは同じであり、時間は要するかもしれませんが、方法はシンプルなものです。ですので、そういった基本的なことを様々なケースからお伝えしていこうと思っています。それが何年かかるのかはわかりませんが、その後は使命が終われば死ぬかもしれないし、宇宙人とのオープンコンタクトがある未来に行くかもしれないし、そうではないかもしれませんが、なんでもいいのです。全我の自分が決めたことですので、身体意識のわたしには、今のところわかりません。自分の身体の死期は上(ハイアーセルフ達)とつながって生きていれば、自然にわかることでしょう。いずれにせよ、今やるべきことに出来る限り誠実に向き合っていれば、魂の自分にとっては最高最上の人生となるものです。そのように決まっていることなのです。
◆5 ズレズレなるままに・・・ではダメかもよ?
お読み頂いておわかりになりますように、わたしは魂の喜びと身体意識の喜びが相当ズレていた人間です。こういった、わたしのようなかたもおられると思うのですが、そういうかたは、魂と一致する生き方を選択しなければならないかもしれません。これもよくお話をうかがってみないと言い切れないのですが、もしも身体意識である自分の都合や喜びを優先したときに人生からビンタを喰らうようであれば、魂の側に合わせなければならないのです。
魂からの喜び以外のものはすべて“仮そめの快”であると自覚しなければならないという、なかなか厳しい要求をされているのかもしれません。とは言え、わたしは人間的な“仮そめの快”も割り切って楽しんでいます。その程度は自分でコントロールできている限り問題はなく、許されますのでご安心ください(^_^)
このような点からも「それぞれの人が苦悩から卒業して幸福になるためにはどうしたらいいのか」を今後もお伝えしていこうと思っています。
そうそう、今、
「それぞれの人が苦悩から卒業して幸福になるためにはどうしたらいいのか」と書きましたが、これはわたしが若い時からずうっと考えてきたことでしたので、やはりこれがわたしの使命だったのでしょうね。
以上が、わたしという人間のそのまんま(の一部。長くなるためCUT)です。このように、あるがまま、人生で起きた出来事を受け入れていくと、人生がうまく流れ始めるのです。
おおまかな活動の目的も同時にお話させていただきました。お読みくださりありがとうございました。
最後になりますが、わたしは今では、このように思うのです。もしもこの地球にだけしか意識体がなく、そしてスピリチュアルも何もなかったとしたら。
この世界に一体何の希望と楽しみがあるだろうか?と。
いつか皆様のお話もお聞きしてみたいと思いつつ・・・ではまた・・・。