皆様は、失敗したと思しき他者や、自分の好みではない「それはないでしょう」と思うような振る舞いをしている他者を見た時に、どのような反応をしておられるでしょうか?
一般的に多く見られる反応は、非難、攻撃、断罪、嘲笑、冷淡な無視といった「攻撃」であったり、また「見ない。見ない」という押しのけるような拒絶といったものです。
しかしこれらは「反発」を招く可能性があり、自分が飽きて興味を失いそこから離れるまで(あるいは離れることすら許されず)、終わりなく繰り返される攻防となりかねません。このサイクルの中にいる時というものは、自分らしく楽しい在り方からは外れているという人のほうが圧倒的に多いのです。
勿論どのような反応をしたとしても、各人の自由です。とは言え、もしも「なんだか罰しているような感じがしてイヤだな」とか「もっと優しい視点が持てたらなぁ」といったようなことを思うようであれば、今回の記事はお役に立てるかもしれません。
今回の目次です。
◆1 ① 一つ目・・・人にはそれぞれ事情がある
◆2 ネガティブ・ブラックボックス
◆3 ② 二つ目・・・他者の失敗は「教えてくれてありがとう」
◆4 親による「呪い」の正体
◆5 大きな出来事にも対応できるようになる
◆6 心の境界もできる
◆7 さらっとまとめ
目次は多いですが中身はそれほど長くはありませんのでご安心ください(^_^)
それでは参りましょう。
◆1 一つ目
先述のように、失敗したように思われる他者や、自分の好みの言動ではない振る舞いをしている他者を目撃した時に、どのように考えたら苦しくなくなるのかを、今回は二つお伝えいたします。まず一つ目です。
①「人にはそれぞれ事情がある」
これまでも「人にはそれぞれ事情がある」ということを繰り返しお伝えしているのですが、それは「許し」や「統合」のための核心ともなる大切な視点だからです。
結局は、人は分かり合えないものなのですが、だとしても、他者をジャッジしたり、決めつけてわかった気になって非難したり、嘲笑したりという領域から抜けだしたほうが精神的に楽であることに違いはありません。
楽で、軽やかで、現実にいちいちネガティブに反応しない自分になりたいのであれば、「人にはそれぞれ、事情がある」という言葉をアファメーションするなりして自分の思考回路に取り込んでしまうことです。
◆2 ネガティブ・ブラックボックス
ちなみに、「人にはそれぞれ、事情がある」という言葉を聞いたときに、中には怒り出すような人がいます。これはいつもお伝えしている「ネガティブ・ブラックボックス」化した人です。つまり現実にいちいちネガティブに反応するようになっているということです。
この場合のブラックボックスとは各人の信念体系や思考のパターンを言います。「なんでこんな普遍的なことを聞いただけで怒り出すのだろう」と思うような言動をとる人たちの頭の中身、つまり信念体系や思考パターンとは、他者から見たらわからないもの、つまりブラックボックスなのです。このブラックボックスを含めて、その人の置かれている現状や、その人がそのようになる成育歴といったものを含めて、「事情」と呼んでいます。そのような人の背景は、どんな有識者や霊能者でも直ちに全てが見えるわけではなありません。ですので他者というものは「基本的にはわからないもの」であって、分かり合えない部分があって当たり前なのです。
それでは「人にはそれぞれ、事情がある」という普遍的な言葉を聞いた時に怒り出すような人たちのブラックボックスの中身、つまり信念や思考パターンをのぞいてみましょう。
一般的に言えることに限られますが、例えば
「自分には事情を理解してくれる人はいなかったのに、なんで自分が他人を理解してやらなくちゃいけないんだよ」という心の傷や、
「愛を感じさせるような優しい言葉なんか、自分には無関係なんだよ!」といった無自覚の心の叫びがあるのです。
このようにブラックボックスの中身を知ってみると、怒っている人々がいかに傷ついているかを知ることがおわかり頂けるかと思います。こういった人々こそが、「人にはそれぞれ事情があるよね」と、せめてそっとしておくという配慮を受けなければならない人たちであるということが言えるのです。
ブラックボックスの中身である心の傷や過去といった事情など、他者にわかりようもないものですし、本人たちもすっかりネガティブな感情に飲み込まれているために、自分が何をしているのか、何を言っているのか、もはやわかっていないということが多いものです。とは言え「違和感」という感覚はあるかもしれませんから、この感覚を決して自分で無視せずに突っ込んで追究してほしいと思っています。
以上、こういった人たちのブラックボックス、つまり信念や思考の癖、過去についてといった事情を手短かに解説しましたが、こういったことは、他者にはわかる訳がないのです。ですので、「一体なんなの、あの人⁈意味わかんないんだけど!」と、いくら考えても、本当のところはわからないと思います。それよりも引き寄せポイントとなってしまいますので、他者のこと、しかもよくわからない他者についてあれこれ考えることはできるだけ速やかにやめることがおすすめなのです。
「一体、何なんだろう?」と思うような言動をとっている人がいたら、
「人にはそれぞれ事情がある。あの人もなんらかの事情持ちなんでしょう」とでも脳内でつぶやいて、自分は自分の事情に戻り、自分の仕事なり家事なり雑用なり趣味なりといった自分の世界に戻って、それらに集中することです。
◆3 二つ目
それでは「失敗したように思われる他者や、自分の好みの言動ではない振る舞いをしている他者を目撃した時に、どのように考えたら苦しくなくなるのか」という二つ目についてお話します。
それは、
② 他者の失敗は「教えてくれてありがとう」
という考え方を身につけることです。
これは「ありがとよ。おかげでこっちは得したよ。へへへ」というネガティブな反応をしましょうという意味では勿論ありません。
だいぶ昔に観た、子どもが芸能人になるためのオーディションのドキュメントのようなものを例に挙げたいのですが、最終的に残った5~6人の子どもとその親の言動から、こちらも色々と思うところがありました。
ある親子の場合、例えば、ほかの子どもが歌のテストの時に歌詞を忘れてしまったといったような時に、母子で、踊るようにして喜ぶのです。そして喜んでいる子どもが直接、失敗したこどもに追い打ちをかけることを笑いながら言うのです。
「あらら。アンタ、やっちゃったね。アンタはもうこれでおしまい。さようなら。」
言われたほうは歌詞を忘れてしまっただけでもショックなのに、他者にもそのように言われ、当然ショックを二重に受けて落ち込みます。そして何も言って来ないほかの親子やスタッフ、審査員たちも、自分を嘲笑っている親子とまったく同じことを考えているのではないかと疑い、苦しみ始めるのです。
◆4 親による「呪い」の正体
そして苦しみ始めた我が子に、その子の母親が追い打ちをかけるつもりもなく、追い打ちをかけます。
「どうしてうまくできなかったの⁈あなたっていっつもそう!肝心な所で失敗するのよ!」
これは母親が自分のストレスを我が子にぶつけているのですが、そもそも「子どもを使って自分が良かれと思って立てた計画どおりに事を運びたいという「外部コントロール」の意識が原因です。そしてこういった「外部コントロール」を持つに至った経歴はこのお母さんの信念や過去といったものからであり、他者からは「ブラックボックス」ということになります。
「あなたは肝心な時に、いつも失敗する」と、身近な、そして誰よりも大切なお母さんに叫ばれた子どもはどうなるでしょうか。お母さんとしては「そうあって欲しくない」という一心で叫んでいるのですが、これは言われた側にはネガティブな暗示となり、逆効果となります。この出来事が記憶として信念体系にとりこまれ、強烈な信念(思い込み)となってしまうのです。これが「親による呪い」です。この信念はほおっておくと一生ついて回り、自分らしい楽しく健康的な生き方から遠ざけます。
こういったものを手放すためにも、わたしは一つにインナーチャイルドのワークをおすすめしているのです。癒しと開放の過程において、この子は、たくさん、たくさん怒って、そして泣く必要があるでしょう。そしてこのお母さんも同様なのですが、そもそも子どもをタレントにしたいのは誰の望みなのか?本心から来たものなのか?といった自分や子どもの「本心」や「欲求」にも立ち返り確認する必要もあるでしょう。このお母さんの信念体系には相当「本来の自分らしくないもの」がひっついてしまっているからです。
さて次に、他者の失敗を見て小踊りして喜んだ母親と子どもについてです。こういった態度は、多くの人にとって「不快」な態度に映るのではないでしょうか。つまりある意味で大多数の他者から見て「失敗」ともいえる態度を気が付かずに取っているということです。しかし、この親子のように無自覚にこのような反応をする人たちは、一定数いるのです。
自分がそうだという場合は、その喜びは“仮そめの快”ではないかということを誠実に自己チェックして頂きたいと思うのですが、中にはやはり「他者の失敗が、もう、心から嬉しい。嬉しくて嬉しくてたまらない」と自分で言う人もいるものです。
こういった人の心理についてはここでは長くなるために深く言及しませんが、わたしが出会った人々のうちには①でお話したような「事情持ち」の人もおられました。しかしそういうことは他者からはわからないものですから、他者の失敗を見てどうしてそんなに嬉しいと感じるのか、正確なことは「ブラックボックス」にあるため、わからないものとしていいものです。ですので、一緒にいて楽しくないのであれば、そっと離れて行ってもいいと思います。
二つ目の方法である②「学ばせて頂いてありがとう」という言葉についてですが、こちらの言葉も、もう思考回路に取り込んでしまうことです。すると、失敗したと思われるような他者を見た時に、
「そうか。ああいうことをすると、うまくいかないのか。
それを知った自分は同じ失敗をしないですむのだな。
とすると、あの人は自分の代わりに失敗してくれたという考え方もできる。
ありがたい。
では遠くから幸福をお祈りしよう」
という感情や思考の流れになったりして、少なくとも攻撃したり、押しのけたりといったことをしなくてもすむようになるのです。
もしも、他の子どもの失敗を見て拍手をして喜んだ親子に、この②のことを教えてあげたとしたら、一体どうなるでしょう。
もしかしたら最初は反発されるかもしれませんね。だからこそ、この親子が心から信頼できるような他者、たとえば祖父母が
「ほかの人の失敗を見た時はね、喜ぶもんじゃないよ。教えてくれてありがとうって思ってごらん。それは嫌味などではなくてね・・・」
と教えてあげることが効果的なのです。
とは言え、こういった他者がいなかったとしても大丈夫で、もしも母親のほうが「自分は間違っていた。他人のしくじりを指摘することで自分が優位に立ったような気がしていただけだった」と自ら気が付いたら、子どももやがてそれにならってやめる可能性が出てきます。考え方を上書きしたということです。それほどまでに親、特に母親が考えていることは子どもに影響を与えるものなのです。
◆5 大きな出来事にも対応できるようになる
①と②のようなことをお伝えすると、
「それでは、自分をいじめたクラスメイトや教師や上司、虐待親、戦場における敵、といったような相手も同様に「事情持ちだ」と思って許せということでしょうか?」と聞きたくなるという人もおられます。
このような人自身もやはりなんらかの事情持ちなのであり、こういった質問をしてくる本意とは「自分とは無関係な遠くの他者に対してはできると思うけれど、自分に直接攻撃を仕掛けてきた人に対してそのように思えるようになって許せたら、楽(らく)になれるのかな?でもそれは自分には難しいと思う」と言っておられるのです。
あまりに色々なことが起きたり、思考過多になったりしているために、自分のことに直接気が付いたり、自分のことを直接表現したりできなくなったといったような原因がその人のブラックボックスの中にあって、複雑に、大きくしてしまう思考の癖が表面化し、こういった質問となって表れているということなのです。
こういった皆様には「答えはYESなのですが、そこに至るにはある程度の過程を経なければなりません。また各人の精神的な幸福のためには、その結論にまで至る必要がない人もいます。ですので、①と②の言葉の適用は、本当に許せないと思うような相手に対してではなく、今の自分が「してもいい」と思えるような遠い相手だけでいいのです。そのようにして「今の自分ができる範囲内での適用」を繰り返すうちに、とても大きな状況を起こしたような相手にも応用できるように思考が成長していきます」とお伝えしたいと思います。
もう一度詳しく述べますと、まず、①と②の言葉を、自分とはあまり関係のない人に対して適用することから練習をしていくということです。
①については、例えば「なんであんなことしちゃったのかな、あの人」と思うような不祥事を起こした芸能人のかたや政治家の人に対して、脳内で「よくわからないけど、何らかの事情持ちなんだろうな」と考えて、あとは考えることをすっとやめて離れてしまうのです。
そもそも自分の家族でもない無関係な人がしてしまった失敗なのであれば、それでいいのです。真相の追究はその人のご家族や、検察や心理といった専門家のみなさんがすることなのです。たったこれだけの習慣で、人生は確実に自分らしく前に進む展開を見せてくれるでしょう。
失敗した他者の噂話が好きで楽しくてしかたがないという場合、それは“仮そめの快”である可能性がありますので、それこそ他者のことではなく自分のことを考えると良いでしょう。
②については、誰かが教師や上司に注意を受けている時に、「ひぇー。自分でなくて良かった。やれやれ」と思って終わりにするのではなく、もう少しだけ思考をしてみましょう。
「・・・でもあの人、自分やみんなの代わりに注意を受けるということを経験して見せてくれるのかもしれないな」と思ってみるのです。すると、少なくとも「バーカ、バーカ」という気持ちにはならないのではないでしょうか。他者が注意を受けている場面を目撃している人には必ず学びや気づきといった、自分に対するポジティブな理由があるからです。
失敗してしまったように見える人を冷たい目で見たり、嘲笑したり、または罪悪感を感じたりするのでもなく、「ありがとう」。
この「ありがとう」は、「嬉しい!ハッピー!超ラッキー‼(°▽°)」といった系統のものではありませんが、「和を以て尊しとなす」という精神の意味をポジティブに捉える(とらえる)のであれば、世界共通の「共感」という美しさが土台になったものであるために、「ありがとう」にもいろいろなトーンがあってもいいのだとおわかり頂けるかと思います。
このようなことは『幸福のための教育』の一環です。この世の全員と実際に仲良くしなくてもいいのですが、内なる平和を保つことができているという意味で気持ちに余裕を持つようになれるため、他者と自分の境界を保ったまま自己内のエネルギーを統合できていきます。
すると自分にとってはとても大きな状況が起き、どうしたらいいのかわからないという入り組んだ現実にも応用できるように思考が自然に成長していくのです。ネガティブな言葉や思考は勝手に次々とネガティブなストーリーを紡ぎ出すように、ポジティブな言葉や思考も、ポジティブなストーリーを自然に創り出すのです。脳とはそういう働きをするものなのです。こういったことを知り、ポジティブな言葉を持つ(記憶する)ということも心の修養です。心が楽になり、最もいい形の自分になっていく方向の修養なのです。
◆6 心の境界もできる
「人にはそれぞれ、事情がある」「他者の失敗は“教えてくれてありがとう”」
これらのような視点を持つと、まず自分の気持ちが楽になります。そして「自分にはわからないことがあるのだ」という謙虚な気持ちと、「わからないことがあってもいいし、そういうものだし、大丈夫」という自分への許しを与えてくれる効果もあるのです。
更には人生も好転しますよ、という話をしましたが、この「人」というものには「自分」も含まれています。自分の事情を大切にして、そして他者の事情についても、慮るということまでは不要だとしても、どうしたって分かり合えない部分があるのですから、自分にもわからないことがあるということを受けいれましょう。「お互いに分かり合えないもの」ということを受け入れると、心の健康な境界も出来ていく大きな一助にもなるのです。
◆7 さらっとまとめ
今回は、失敗してしまったような他者について、
「よくわからないけど、何か事情があるのでしょう」
「身をもって教えてくれてありがとう。あなたの経験は無駄にしません」
と思ってそっと離れ、感謝して、自分の事情に勤しみましょう、というお話でした。
ではまた・・・。