西洋占星術では2020年から「風の時代」に入ったと言われています。先日もブログでお話したように、わたしには占星術も当たっている実感があるので、「風の時代」という概念にも基本的に同意しております。また確かにここ5年における精神面や科学技術面における進歩にも、これまでにない力強さを感じています。


 そして最近では、皇室に関しても日本国民からの再評価が高まっている部分があるようです。わたしが若かったころには考えられないことで、ほっとしております。今回はそんなわたしの個人的な感想も含まれた内容となっております。


 今回のテーマについて、ここ50年ほどの傾向を、まさに日本国の象徴である天皇家について少し具体的なことに触れながらお話したいと思います。


 なお、一応念のために言っておきますと、わたしには皇室崇拝者ではありませんし、また軍国主義とか帝国主義のようなものを推進しようといった諸々(もろもろ)の意図はまったくないということをはじめにお伝えしておきたいと思います
(;^_^A


今回の目次です。

1◆ 無自覚な自虐癖(じぎゃくぐせ)
2◆ 気づきと反動
3◆ 次のステージへ

 それではどうぞ~。

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1◆ 無自覚な自虐癖(じぎゃくぐせ)
  

 雅子さまが今上(きんじょう)天皇であらせられる徳仁(なるひと)陛下とご結婚された時の祝賀パレードを、わたしは新宿アルタの大型ビジョンで、友人数名と拝見していました。


  当時の有識者の一部のかたはこのご結婚を「国家の損失」と言っておられましたが、わたしは若い時からなぜか皇室ファンだったこともあり、「皇室に優れた新しい血統が入る素晴らしい出来事ではないかな?」と思っていました。


 しかしその後の雅子さまの色々なご心痛をメディア越しに長く拝見することとなり、つらく思っていました。


 「雅子さまは、日本国の神々に選ばれたのです。あなた様にしかできない使命があるのです」と、遠方より祈りを捧げるしかない状態が続いていました。


 昔は美智子さまへの世間のいわれなきバッシングといった出来事もあり、一体どうして世の中の(一部の)人々はこのようなことをするのか、まったく理解不能でした。


 それと当時からの日本の国民性の特徴のうちの一つだと感じていたのは、大勢の人が、自分も日本人であるのに、
「日本人はダメな民族。ダメな文化」と言ってしまう、自らへの自虐傾向でした。


 当時の大人世代の一部のかたがたは、二言目(ふたことめ)には
「日本人はね~、ダメよ。世界に負けてるし。」という結論を持っておられ、いかに日本がダメであるか、その理由を色々と()(つら)ねる、ということがしばしば見受けられました。


 確かにダメな部分はあるでしょう。
 例えば日本の科学技術への投資意欲の低さのために、わたし達はコロナ()で海外の企業の言い()でワクチンを買うことになりました。勿論これはビジネスの話ですし、あちら様も研究開発だけでも膨大な資金をかけておられます。ですので「ワクチン接種」への賛否はひとまず置いておき、当時必要だと思ったものを売って頂いたことについてには感謝しなければなりませんし、あの時の教訓を活かして予算のつけかたや割り振り方などの改善を、政府としても当然しておられることと思います。


 だからと言って、
「日本はね~、一事(いちじ)万事(ばんじ)、全てにおいてダメなのよ」と言うのは少し言いすぎで、事情をくっつけすぎかと思われます。特に昔のあの「自虐が美徳や見識の高さ」とされるかのような風潮は、一体何だったのでしょう。謙遜(けんそん)というには行き過ぎていたと思います。ダメならダメでいいので、ダメ出しだけではなく具体的なアイディアを出し合いたいものです。それがなければ元気が失われるばかりで、まったく動けなくなるではありませんか。どうしたらいいのかわかりませんものね。政治家といった皆さまのことも糾弾(きゅうだん)するばかりではなく、「頑張っておられるな。及第点!」と思えるような先生がたに対しては、いい所を見てほめて育ててさしあげるくらいの度量を、我々国民側としても持てたらいいのではないかと思います。『注目したものが増える』の法則がありますしね。

 
 わたしのいた平行世界だけなのかもしれませんが、少なくともわたしの周囲にはそういった「ネガティブ・ブラックボックス」の人々が数多く存在していました。意見がまったく異なるわたしとしては生きづらくてしかたがないという青春時代を送っていました。ちなみに今ではこういった疑問を持っていたのはわたしだけではなかったのではないかと思っています。


 しかし、ようやく時代は変わろうとしていると感じます。わたし達は日本人として、日本の良い所に目を向けようとしているのです。


 他者の足を引っ張ったり、バッシングしたり、()さ晴らしのための八つ当たりで悪口や噂話をしたりしても、誰も幸福にもならなければ真の自信も身につかないのです。そういったことで多少「いい気分」になれたとしても、それは“仮そめの快”であって一時的なものであり、自分を支えてくれる魂と一致した喜びではありません。


 「誰彼(だれかれ)かまわず、弱っている人間はみんなで一斉(いっせい)に叩く(たたく)」


「誰かを悪者に仕立て上げてみんなで叩こう。こいつは叩かれて当然のヤツなのだから、構わないのだ」


 こういった思考や行動も「不幸になるための教育」のネガティブな副次効果なのです。わたし達は無自覚に行動していることに各人で気づいて、意識的に行動しなければなりません。例え弱っている人や異質の存在を、みんなが叩いていたとしても、自分だけは「それをしたいのかどうか」を自分に誠実に聞いて、したくないのであればやらないことです。

 

2◆ 気づきと反動


 今、多くの人がやっと、前回のブログ『「私らしさ」って、何?』でもお伝えしたように、「今までの生き方では幸福を実感できない」ということを、認識し始めた時代であると言えるでしょう。


 「自分を押さえつける」という「自虐行為」と、それによるストレスの無自覚な中和行動である「他虐行為」をやめて、自分で自分の長所を探して見つけ、認めて喜ぶことです。他者には何も言わなくても、そして認めてもらわなくても、良いのです。これができる人は精神的に健康です。

 
 自分や自国の良き所、嬉しい所、ありがたい所を見直して、健全な自信や誇りを取り戻しましょう。これは自信を回復させる方法の一つなのです。


 そして、何事についても多く共通する動きとして、「抑制からの解放の反動」という一時的な「喜びすぎ・ほめ過ぎ」のようなお祭り状態を経ることがあるものです。これは元気を失っているよりはずっと良きことです。前進しているのです。そこから学び、次に活かせばいいのです。


 そうして、やがて水面が落ち着いていくように、ゆらゆらと「自分らしい本当の状態」に落ち着いていくのです。

 

3◆ 次のステージへ


 今の時代のタイミングに乗って、自分らしい落ち着いた自信と誇りを取り戻して、それで終わりではありません。いつだって、今だって、時代の移行期であり、良くなっていく人生の過程を経験するためにわたし達は生きているのです。


 自分らしい自信と誇りを取り戻した次の段階には「共生」という領域があるのです。ですので自分たちだけで閉じこもる生き方をするのか、それとも心を開き、色々な皆さまや海外の皆さまからも互いに学び、「(とも)に、より良く生きる」という段階に行くのか、各人が自分で決めることになります。


 いずれの生き方を選択しても自由であり、優劣もありません。
「人によって異なる選択があり、自分はこういった生き方をする」という全我一致の喜びを伴った選択ができていれば、それでいいのです。その状態でも「()()」という形の共生が可能なのです。

 
 とは言え、自分らしさや誇り、自信がない状態なのに、先に「共生」の段階に進んではいけません。それでは形だけになってしまう可能性が高いのです。ですので、今はまだ…というかたの場合は、誇りや自信を確かに実感できる自分になりましょう。



  それではまた・・・。