前回のブログにて(こちら)、
「自分にとっていいなと思える他者をモデルにして真似しましょう」という話をしました。
しかし、こういったことをお伝えしますと、
「はぁ」
「ああ、そうですか」とか、
「でも」といったような反応が返ってくる場合があります。
そして実践できないのです。
それは一体何故でしょうか。
前者のかたがたの場合、「提案者が何を言っているのかまったく意味がわからない」ために、ピンと来ない、何をどう感じたら良いのかわからない、ということが挙げられます。それまでの人生とあまりにもかけ離れた世界の話をされているためであり、仕方のないことです。本人はそれでも精一杯返事を返しているつもりだったりします。また、その時点で何らかのネガティブな「信念」が発動している場合もあります。
そして後者の「でも」とおっしゃるかたがたの場合は、あまりに思考が強化されているためにある意味で「思考優位の感覚麻痺」となっているのです。こちらの場合は何らかのネガティブな「信念」が発動しています。
このように、シンプルな返答の中には実に様々な状態や理由があるのです。
「それは良さそうだな」と感じることができる人とは、すでに心が健康な領域の人なのです。
そして健康な人々でも良さそうな提案を実行する人はそれほど多くはなく、
「面倒くさいからいいや」と実践しません。
ですので、心が不健康だという人々が健康になるためには、健康な人々以上に色々とやらなければならず、それなりのエネルギーが必要だという訳です。
これは致し方のないことです。
このハードルを乗り越えるといつの日か、「精神的には健康だが、人生をより良くするための習慣はあまり取り入れて来なかった」という人々よりも、自分らしい人生になっていくという逆転現象が起きます。わたしも経験しましたが、仮説は立っていたにも関わらず想像以上に驚きの体験でした。ですので今の自分にこつこつと向き合って頂きたいと思います。
そこで、一体何をこつこつと向き合って行えばいいのかと言いますと、
「自分から力を奪い、動けなくしているような、苦しみを生み出すものを一つ一つ見つけて手放す」という作業です。
手放しを行う対象の例を以下にざっと挙げてみます。
・完璧主義を含めた失敗への「恐怖」
・そもそも「快」がわからくなってしまっており、前回のブログで言われるような「モデルを見つける」ということができないという「無感覚状態」
・自分らしい「快」を感じて良いという自分への「禁止」
・新しい生き方への「恐怖」
・自分が幸福な人生を歩むことへの「罪悪感」
・自分に限っては人生が良くなるはずがないという「あきらめや無力感」
・本当に良くなるのか、治るのかという「不安」
・エビデンスを示してほしいという「疑い」
・「治ったら苦しかった従来通りの生き方を継続しなければならなくなる」という「無意識からの拒否」
・提案をしている人への「否定や拒絶」
・幸福な人々への「憎しみ」
キリがないのでこの辺りでやめますが、以上のようなものが限りなく挙げられます。
ご本人たちも気がついていないことが多いのですが、カウンセリングやセッションを受けるよりも前に、先にこういったものが頭の中にある場合、どんなに回復のために良い提案をしてもらったとしても実践できなかったり、しなかったり、また実践したとしても上記のような感情や思考が活性化していますので集中して取り組むことができないために効果が出にくい場合があるのです。
ここを何とかしたいと思って治療者や支援する側が熱心に接した場合、「依存」が生まれることがあります。以前当ブログの『不足の意識は自分で満たさないと底なし』(こちら)でもお伝えした『不足の意識』がそもそもの土台となっているために、熱心に接してくれる者に対して脳内に‘’仮初めの快‘’が発生しやすいのです。
これがわたしが直接カウンセリングやセッションを行わないとしている理由なのです。
(とは言えこういったことはフィジカル・マインドであるわたしだけが決めることではないのですが・・・(;^_^A)
何よりも、わたしは皆さまが「自分一人でできるようになる」と信じているのです。
当ブログ内でも何度もお伝えすることになるかと思いますが、もちろん治療者や支援者側は、外部からお手伝いはできるのですが、しかし自分で内側から自分の心をノックして、自分で自分の依存度を含めた状態に気が付いて頂くことがとても重要なのです。
上記のように、「自分の中にある自分らしくないもの」を一つ一つ見つけて、
そして他者に対してどうこうするというのではなく、「自己理解」をするのです。
これが「統合」の行い方の一つです。
こういったことについても、わたしのブログは毎回長くて恐縮なので、どこかでもっと詳しく書いていかなければと思っています。今のところ『虐スピ』かなと思っていますが・・・。
ではまた・・・。