昔、「くれない族」という言葉があったのですが、ご存じでしょうか。
誰もわかってくれない。
やってくれない。
自分はこんなにガマンしたのに、満足いくリターンがない。
誰かにわかってほしい。誰かやってくれよ。
〇〇と言ってもらいたい。
こういったことは誰だって思うことです。わたしだって思うことがあります。
しかしこれらの言葉が口癖や考え癖になっていたら、もしかしたら「くれない族」になっているかもしれません。
こういった癖、つまり習慣を持つ人々は現在も大勢います。
これは当人がこうなる事情や歴史があり、
本当に「周囲があまりに無理解すぎるだろう!」という場合もありますので、
単純にこういった人々が悪いと断定することはできません。
ただ、こういった「くれない族」的な思考の癖や習慣があると、生き方が苦しく、重くなってしまうのです。
この「ない、ほしい、もらいたい」という語尾にあらわれるような渇望や飢えのような心理を生むものを「不足の意識」といいます。
先述のように、これはそもそも当人たちが悪いのではありません。
受けた教育に問題があったのだとわたしは考えています。
さてそのような「不足の意識」とは、
「足りない。満足できない。
なぜなら僕、私は(様々な理由で)不幸だから。
もっとちょうだい。もっとよこせ」
という思考であり、
その思考から恨みや怒りが生まれ続けるため、自分らしい幸福な人生とはかけ離れていってしまうのです。
もしも抜け出そうと思った場合、以下のようなことを致しましょう。
① ガマンして他者に尽くしていることに気が付き、少しずつやめていく。
② 理解や評価を他者に求めない。
③ できるだけ愚痴をこぼさず、自分のことはできるだけ自分で決めて、解決する。
相談した場合は、相手には(家族であっても)「ありがとう」を心から感じ、伝えるようにすること。なぜなら相手は「時間」という「自分の命」を使って、話を無償で聞いてくれているのだから。 (←くれない族はここを踏み込んでいく。何故なら自分の中が「不足の意識」でいっぱいだから。)
④ 自分の楽しみは自分で取りに行く。それを自分で喜ぶ。
上記をズバリお伝えしてしまうと、典型的な「くれない族」のかたにはえーっと驚かれ、
「できない!無理!意味がわからない!私の何がダメだって言うんですか?!」
と反応されてしまうので、これもマンツーマンで丁寧にお話を聞き、そして説明をさせて頂く必要があるデリケートな話題なのですが、先述のように、そもそも、受けた教育がそうさせているのです。
従って、少しずつ、生き方の入れ替えを行うのです。
ごく一部のレアケースを除いて、
人は色々な人々と関わり合い、お世話をしたり、されたりしながら生きています。
助けてもらって、いいのです。甘えたっていいのです。
しかし、「くれない族」という人々の場合は、他者との関わり合いがもはや依存レベルであり、ボクシングの階級で例えるなら、ライトヘビー級以上なのです。
そしてスピリチュアルで言われるところの「眠り」というグループに属しています。
すると家族の負担は増し、
周囲にも同じ価値観の人々ばかりが目につき、
本人はますます身動きが取れなくなっていってしまうことでしょう。
そうなると「無力感」が増大していき、同時に「怒りや悲しみ」をはじめ、人によっては「恨み」「妬み」「ひがみ」という感情も派生することもあります。いつもこのようなことを感じている人生とは、豊かで面白いものとは言い難いでしょう。
また全員ではないのですが、実際に何らかの「被害者」となるような現実を引き寄せてしまうことも起こりえるのです。
そうならないためにも、「くれない族」かも・・・と思うような人々には、上記④を意識して、積極的に『マイ・ワールド』を目指して頂きたいと思います。
そしてその過程の中、自分の人生の中における他者との「甘えて、甘えられて」の適切な塩梅・距離感を、自分でつかんでいくのです。
これが「自立」へのリハビリにもなるのです。
「自立」といっても経済的自立だけが自立ではありません。
何よりもまず、精神的に自立している人々は、老若男女問わず、周囲とも心地よく調和して生きていけることでしょう。
「くれない族」かどうかといったことは家族や友人は指摘しづらいことです。
ですのでわたしのような他人の分析や、ほかのみなさんの経験談等を参考にしたりするなどしながら、やはり自分で気が付くことが肝要です。そして色々な、複雑な思いを感じながらも、自分で新しい生き方にスイッチしていくのです。
これを成し遂げた人は「偉大」です。なぜならこういったことは、人ごとに異なりますが、一時的に大きな葛藤や苦しみを感じる作業であり、とてもチャレンジングなことだからです。眠りから覚醒するとは、こういった大きな変容でもあるのです。
人によっては『「なんでか知らないけど最初からはうまくいかない」の法則』が働くこともあるかもしれません。
それでも継続して、本来の自分らしい生き方に戻る作業を重ねていった時、
もはや誰に何を言われるまでもなく、自分で自分の大きな変化と、それを成し遂げた自分に対して誇りを実感する時が来ることでしょう。
応援しています。
ではまた・・・。