不安や恐れが心に差し込んできた時、
ネガティブな感情を生んでいるものは一体何なのか、その正体を具体的にすることで悩みが消えていく、ということがあります。
加齢に対する今のわたしの考え方を先にお伝えしますと、
「楽しんで 努力はするけど 気に病まない」というスタンスです。
年齢のことを考えて憂鬱になるのであれば、年齢のことは考えないで楽しいことだけ考えるか、もしくは年齢のことを考えたとしても憂鬱にならないために向き合うことです。
今回はそのための方法の一つをお伝えします。
さて、加齢とは、不便になる場合もあったり、そうでなくてもビジュアル的にどう、といった印象を受けることがあったりするものではありますが、具体的に突き詰めていくと、加齢現象自体はこわいものではありません。
現代もだいぶ進歩してくれて来ていますが、将来的にはもっと医療が発達したり、自動運転のような便利な発明品が身近になったりして、人類はますます豊かな自分時間を過ごせるようになっていくと思っています。そのためにも研究・開発してくれている人々を応援しましょう(^_^)、と言いたい気持ちになります。
そもそも、
身体機能やビジュアルの加齢を気にせずに、自分らしく楽しそうに生きておられる人生の先輩やご高齢のかたって、すごく魅力的に感じたりしませんか?
シワとかシミとか、不便さとか病とか、色々とおありかもしれないのに、
そういったことをまったく感じさせずにイキイキしておられる人を見ると、こちらも元気になる時があります。
自分もそうなれたらいいな、と自分の未来にポジティブな希望が見えるからではないでしょうか。
しかし加齢がイヤで、心配でならず、自分の老後に対する不安が過剰で苦しいと言うかたは、加齢へのネガティブな定義づけが自分の中で強く大きくなりすぎたことで、恐怖が発生しているという状態にあります。
かつて、わたしは、加齢という現象そのものではなく、
「加齢を恐れること」が恐怖を生んでいる、という状態に陥ったという時期がありました。
まだ若いので加齢していない状態です。わたしの周囲には加齢を嘆く人ばかりが存在しており、わたしはそういった人々へのNOと、自分の思考の中に発生するようになった加齢への恐れで、過度の恐怖症に陥りました。
重ねて言いますと、これは加齢自体ではなく、加齢を恐れすぎているその心(考え方を生む定義づけ)が苦しみを生んでいた、ということになります。
しかしスピに見識の高い皆さまであればすでにおわかりかもしれませんが、当時のわたしのように「恐怖」を感じているということは、その考え方や定義が「自分らしいものではない」というサインなのであり、本来の自分からズレている証拠です。
中には「恐れを使って何かを頑張る」といったようにポジティブに転換して使っているという人もおられますので、単純に良い、悪いを論じることはできません。しかしもしも「恐怖は苦しい。窮屈だ。気にすること自体をやめたい」と、かつてのわたしのようなことを思った場合、どうすればいいのでしょうか。
この「加齢=怖いこと、イヤなこと」というネガティブな定義づけを取ってしまうこと、あるいは緩めることです。それにより、そもそも加齢自体をさほど気に病まなくなると、人生は自分らしく面白いと感じる余地がでてくるのです。
まず、現在のわたしの加齢に対する定義づけをご紹介すると、昔のように、
「年を取ることは怖いこと。避けなければならない悪いこと。何かとんでもなく悪いことを招くこと」ではありません。
現在のわたしの加齢に対する定義は二つあります。
一つは「ある程度仕方なくない?地球だし。」という考えかた。(←これはある意味、「理想的ではない自他を許す」ということです。)
これは、主にビジュアルなことに対して、熟女や高齢者を見た時に、反射で「好ましい」と思う人々の存在を知ったことが、わたしの中の「加齢=怖いこと、イヤなこと」というネガティブな定義づけをぶっ壊してくれるのに役立ってくれたのでした。そのうちの好例のひとつを後でご紹介します。
もうひとつ、こちらはわたしの実体験から来たものなのですが、今では
「メリットもたくさん♪」と思っています。
そのようにして加齢自体を過度に恐れることがなくなると、余計な思考や労力が減り、生きていて毎日が自分らしく嬉しくなるだけではありません。
逆説的ではありますが、人によりますが、加齢現象そのものが減少したり、中には「若返ったね」と他者に言われるようなことも出てくるかもしれません。
とは言え、結果には期待せず、どうなるのかは考えないで、他に色々な楽しいことを次々に行動して過ごすことがいいでしょう。そのように生きていると、結果という目の前の現実がどうでもいいというか、現実を無視して楽しい気分を保つことができるようになります。
「でも、どうしても気にしてしまうのです」というかたもいらっしゃることと思います。これは「思考の勢い」というものがありますので仕方のないことです。わたし自身、若かった頃、恐らく当時は誰よりも加齢や、たとえば紫外線を極端に恐れて気にしていたので、加齢やUVを避けたい!というお気持ちはとてもよくわかります。
わたしも今でも紫外線によるダメージといった情報は頭に残ったままですし、帽子をかぶったり、日傘を差したりもします。
これほどまでに、日本のように「加齢やUVに対するNO」が凄まじい文化や環境ですと、加齢や紫外線を浴びることが恐くなってしまうことは当然だと思っています。
ただ、そのような環境の中でも、恐怖症や各種思い込みが取れてくると、自分にとっての加齢への向き合い方がわかってくるので、自分らしさがわかっていくにつれて、生きていて本当にラクに楽しくなっていくのです。
恐怖症や各種思い込みが強かった時は、とにかくダメ、絶対にダメ、何が何でもダメといったように、加齢に対しても全拒否、全否定、全拒絶といった無茶な状態で、自分でも苦しかったのですが、あまりにも長いこと苦しんでいるために、どれほど苦しいのかもよくわからくなっていましたし、そもそもどうしたらいいのかわかりませんでした。
そこで次に、具体的におすすめしたいのは、
「そもそも加齢を気にすること自体を手放したい」というかたがたは、
いくつになっても自分らしさ、つまり「This is me !」を楽しんでいる諸兄姉のモデルを探して、部分的に取り入れて真似をしてみることです。
以前のブログ(こちら)には、わたしが実際にお会いできた素敵な市井の先輩がたをご紹介しました。
今回は有名人からのご紹介です。
ズバリ、田村セツコさんです。
ファンだという方も多くいらっしゃることと思います。
ずいぶん昔のことなのですが、田村セツコさんには実際にお会いして波動を直接感じたこともあるので自信を持ってご紹介できます(^_^)
とは言え残念なことに知り合いでも何でもありません。ばったり偶然に、活動中の田村さんと同じ空間にいる機会を持ったことがあるのです。
このかたは若い時分から、筋金入りの、幸福を実感し続けるための「実践者」なのです。
田村セツコさんの加齢へのポジティブな定義づけのエピソードは、知っておいて損はないと思っています。比較的新しいご著書『白髪の国のアリス』や『86歳の健康暮らし』はまだ読むことが出来ていないのですが、以前に出版されている数々の本の中でも、田村さんのHAPPYな毎日を過ごす秘訣が宝石のように散りばめられているので、おすすめです。
今回、素敵なかたをわたしの先達のお一人として皆さまにご紹介させて頂けたことを、とても嬉しく思っています。
自分にとってどんなかたがモデルになるのかは人それぞれなので、各人が自分で探して見つけるしかないのですが、わたしの場合は偶然に出会った田村セツコさんのご著書から、かなりの「HAPPY波動砲」を頂戴したのでした(^_^)
このように、ご自分が「この人は自分らしい生き方を貫かれているなぁ」と思えるような他者を探してみてください。
「自分もあのように、あるがままの自分を受け入れて、自他を愛し、自分らしさを楽しんでいる大人になりたい!(^▽^)」
といったように、自分が心からの嬉しい欲求を感じさせてくれる他者を参考にして、嬉しく過ごしていると、不安や恐怖がとれていくだけでなく、人生が楽しくなっていくのでおすすめです。
さて、そのようにして自分らしく生きていき、最期、いよいよお迎えの時が来るのかも知れない、という時はどうしたら良いのでしょうか。
その時は、迎えに来た存在たちと共に、身体という地球服を脱ぐのです。
良寛和尚の「〇ぬる時節には〇ぬが良き候」です。
誰だって、無論わたしだって、それ以外にはないのではないでしょうか。
長くお世話になった地球服に、ありがとうを言いましょう。
そして再び地球に転生したいのであれば、ルールの通り、探求したい新しい人生のテーマを設定し、身体をデザインして、お着換えをするのです。
その時のためにも、もちろん今回の人生を楽しむためにも、自分らしく、自由に生きることを自分に許せるようになれたら素晴らしいですね。
今日も明日も、皆さまが元気で過ごされますことを心から願っております。
ではまた・・・。