私はかつて、「この世のことはいつか科学で全て説明できる」と思っていました。
 「説明できないものに関しては、科学が追いついていないだけだ」とも。

 ある意味においてはそうなのでしょう。

 しかし私たちが知覚できることには、どうやら限界があるかもしれません。そこがまた面白い所ではあります。様々な制限を、自分の人生のテーマに沿って突破したいと望むことが、お互いいつか叶うといいですね。


 今回は、私が体験した感覚の一部をシェアしたいと思います。

 もう何年も前から「必要とするかたのために書き残さなければ」と思っていたことなのですが、ようやく今日、久々にこの記事の順番がやってきました。
(*´▽`*)


 今日お話するテーマは「平行世界感覚」についてです。同じ体験を二度しました。


 メインとしては一度目について述べますが、共通条件としては、二度とも、私の精神状態がかなりグラグラに揺らいでいた時期で、ようやく眠れ、その覚醒時のことでした。


 今、ここの一点に、「すべてが重なり合っている」という感覚を、ある程度は時間的な流れを感じながら体験したのですが、一言で言うと「ぐちゃぐちゃ」であると感じました。あらゆる情報が重なって「音」として知覚されました。


 と言っても、私がこの身体を通して、つまりその当時の精神神経網という導管を通しての経験の範囲だったと思います。


 初めての時は少し驚いたような覚えがありますが、うるさいといった不快感や、恐怖や不安はありませんでした。
 「今の私が知覚できる情報が音として同時にやってきているのだな」と思いました。


 視覚からの情報はありませんでした。しかし不思議なことに、その音だけの情報をもとに、脳が視覚的な構成を行うのでした。


 その中で、私は “姉のガイド” と話をしました。


 その存在は聞いたことのない女性の声でした。そして私の姉の姉だと名乗りました。姉が亡くなった直後の時期でした。
 
 亡くなった姉は長姉(ちょうし)で、その上にきょうだいはおりません。私は心から安心しました。「ああ、ケアをしてくれている存在がいるのだ」と思ったからです。私は亡くなった姉のことが心配だったのです。


 しかしガイドからの話で、私は亡くなった姉が、かなり厳しい状態にあることを知りました。姉はひどく混乱しているようでした。かつて自分が存在し、この地上にて愛のやりとりがあったという、確かな証拠を求めていたようです。


 「すべてが、今、ここの一点に重なっている」という中でのガイドとの対話から覚めたあと、「まずいことになっている」と感じました。そして私はいっそう、姉に感謝を捧げました。


 具体的には、姉が私にしてくれた、「あれは助かったなぁ」とか「あれは本当にありがたかった」と思えることを思い出し、心から「ありがとう」と感じる、ということを、たくさん行いました。


 実はけっこう苦労しました。
 私達きょうだいは、決して仲が良かったわけではなかったため、心からありがたいと思えるような思い出が少なかったからです。(ごめん、姉。)


 しかし、なんとしても思い出したいと考えて、必死でさがしました。
 そして、どんなに小さなことであったとしても、見つけたら決して否定したりせず、逃さずに繰り返し、繰り返し、感謝しました。


 えあるくんにも協力してもらいました。


 えあるくんと共に、「あれは精一杯やってくれたよね」「ありがたかったよね」と思い出し、泣きながら感謝を感じていました。


 すると、奇跡が起きました。


 まず、これはちゃんとした幻覚ではなく、単に私のイメージの中だけの話なのですが、視界の上部に、桃色のふわふわしたものがあることがわかるようになりました。


 それはまぁ、よくある話かもしれませんが、次に起きたことが、けっこう私達夫婦にとって衝撃的でした。


 ある時、虫の知らせをキャッチしたえあるくんの歯に異常が見つかったのですが、その日がちょうど姉の命日だったのでした。仕事などで多忙だった姉は、気が付いた時には虫歯がかなり進行し、大変な手術を受け、長く痛んだりして苦しんだのです。


 えあるくんの歯も「薄い紙一枚くらいの骨を残して、もうすぐに神経に達する」と歯科医の先生に言われたほどの状態で、回復に時間がかかったのですが、ギリギリの所を、亡き姉が、自分が苦労した目に会わせまいと、一所懸命に私達にサインを送って教えてくれたのだと私達は思っています。


 皆さまにも、どうか歯を大切にしていただきたいと思っています。これは私という導管を通したメッセージでもあると思います。
 
 
 …こうして記事を書いていて、ふとカレンダーを見たら、なんともうすぐ姉の命日でした。まためぐって来たのですね、この季節が…。

 
 ありがとう。そっちはどう?


 そのように思います。生前は苦しんだけれど、今は幸せでいてほしいのです。
 だから、今は、姉は天女(てんにょ)になったとイメージして、幸せな姿を思い浮かべたりしています。桃色のふわふわが、天女の羽衣(はごろも)に思えるからです。


 すると直接メッセージをくれるとか、カワセミになってやってきてくれたと私達に思えることが起きたりして、面白いことが起きることもあるのでした。

 
 亡くなった人は、すぐそこにいると思います。これは私の実感なのです。


 それは怖いことではありません。どんな状態のその人にアクセスできるかは、こちらが選択(許可とも言える)することができます。 


 愛犬も、呼べば、そして彼が気が向いたのであれば(笑)来てくれる。しかし実は、ずっとそばにいてくれたのだと、はっきり気が付いたことがありましたが、それはまたいつか。
 

 もしもUFOなどの目撃情報が増えているとしたら、それは私達各人の存在する座標点において、すでに起きていることの一部が、ようやく知覚されるようになったのだと考えています。


 起きていることすべてを知覚する必要はないと思います。もしも知覚できたとしても、膨大な量の情報が、私達の物理的な脳の処理範囲を超え、「ぐちゃぐちゃ」としか認識できない可能性もあるでしょう。

 
 それに別の記事(※最後にリンクを貼っておきます)でもお話したように、こういったことを経験したからといって「他者よりも偉い」ということはないと思うのです。
 私自身の経験を含め、ほかの人の経験とは「ありがたく、参考にさせて頂くもの」に過ぎないと思います。
 

 人生に起きることは、人それぞれのテーマに沿ったものです。
 各人の魂が必要としているのであれば、今回の記事のような他者の経験を読むことなどが何かのきっかけとなるかもしれません。


 時折、
「自分の身の回りのことはすべて把握しておかなければならない」といった考えをお持ちのかたに出会うことがあります。お気持ちわかります。ですが私は自分の経験から、全部を知ることは、果たしてどこまで可能なのだろうかと思ってしまいます。


 それにすべてを知らなくたって、全部の経験がなくたって、大丈夫なのです。人生は好転できるし、静かに、ゆるやかに、自分の「幸福と繁栄」に向かった流れがあります。それに乗っていればいいのです。


 むしろ、「自分にとって必要なこと(情報)は必ずやってくる」とまず知っておいて、先に落ち着いていることが大切ではないかと思います。


 かく言う私自身が、かつては「すべてを知らなければならない」と思っていました。しかし私の場合、それは「そうでないと不安だ」という"恐怖"から来た考えでした。


 今は知らないことは面白いと感じます。

 何が起きるかお楽しみに、といったように考えています。


 この世界は、壮大なシミュレーションの場でもあります。
 自分で条件を変えて、人生で何が起きるか観察してみることができるのです。


 自分にとって適切な思考の前提を与え、適切な環境に身を置き、自分の真実の情熱にもとづいた適切な行動を取り続けることで、人生がどうなっていくのか。それを見てみましょう。
 

 ではまた・・・。


※よければ別記事へ…→「薬物を使わなくても飛べます」



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