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50代のダイバーシティ(転職・副業・病気)

定年まであと3年、35年もひとつの会社で生かされてきたけど、このままでいいのかなと飛び出してみることにした。
IT業界での35年間の出来事を振り返りながら、これからを考えてみようと思う。

ツィッターはよくわからないからアカウントだけとって、たまに見るだけなのだが。

こんな書き込みがあったので。


...............ここから………………

営業「営業辞めたくて…営業みたいな誰でもできる仕事じゃ市場価値が上がらないと思うんですよ。やっぱり手に職を…」


営業も立派な技術だと思いますよ💕

あなたが自然にできることが案外他の人ではできなかったりするんです😌

………………ここまで………………


これは、違うと思う。

本物の営業は最後に獲るか獲らないかをジャッジできるかどうか。

いちいち、現場を離れて今の現場が解っていない上位の判断よりも、自分のロジックで勝負できるのが営業だと思う。


所詮、技術職は決断はできないし、ビジネスの可否判断をエンジニアがやってはいけないと思う。


技術職がやるべきは、正しいロジックでビジネスに対するQCDSとリスクマネジメントの手法を、タイムリーに営業にインプットする事だと思う。


まぁ、会社を起業するような方は一人で全部やれる才覚があるのでしょうが、雇われリーマンエンジニアは会社の看板を背負うことは出来ないからね。

会社の看板を背負っている営業には、ホントに頭が下がる。

最近、転職など考えない方がはるかに楽だったのかもしれないと思う時がある。

 

やってる仕事に見合わないくらい高給だったし。

社会的にも安定した超ホワイト会社だったし。

多分、福利厚生を給与に換算したら相当な額になったと思うし。

 

転職先は決まったけど、

自分を待っているプロジェクトの情報を聞き及ぶにあたって心躍る感じではないからなのか。

あまりやることがないから投資や投機の勉強など始めたからなのか。

企業した方がよいのではないのか、とはいえ何かやりたいことがあるわけでもないしなぁ。

 

とりとめもないことをいろいろ考えてしまう。

椎間板ヘルニアの手術もうまくいったみたいだ。

12月から苦しんできた、坐骨神経痛(お尻から右太ももの痺れと痛み)が嘘のように消えた。

昨年度は、ほぼ全日テレワークだったのに、痺れと痛みで座っていられない状態だった。オンライン会議もカメラをオフってベッドで転がりながらやっていたのが信じられない。

 

退院してから数日はのんびり過ごしながら、毎日散歩してリハビリしていたのだがこの内視鏡手術がすごいのか、椎間板ヘルニアの手術がそういうものなのか、とにかく退院した日から酒が飲める!

これはすごい。

昼からビール飲んでくつろげたのが、回復を早めた気がする(嘘)




ということで、身体のメンテナンスがひととおり完了。

脳ドックの結果もA判定、大腸検査も異常なし、胃カメラも課題なし、前回再検査となった腎機能と高脂血症も正常値に戻った。

IT業界に30年以上いると、身体も性格もボロボロになるんだと痛感。

 

でも、転職でオファーが来るのはほぼIT系。社長になる以外はここから抜け出せないのかとなんとなく納得。

次の会社は採用内定通知なるものが届いた。

手術を受けることを伝えていたこともあり、試用開始は4月末からになったのでわずか3週間ほどだが予期せぬプータローと化してしまった。

 

この時間を次の仕事のために有効に使おうなどとは微塵も思わないのだが、3年後と5年後の自分の姿をイメージできるようにしておこうと思う。

どうやって?どうやってが難しい。

何がやりたいとか、どうなりたいとかが無いから余計に難しい。

とにかくお金が潤沢にあれば、もっとやりたいことや、やってみたいことが思い浮かぶのかもしれないが、年収が大きく下がるとか、次の仕事がどうなるか程度のことで右往左往している現状ではすぐにはそこにたどり着かない。

 

プータローの強み(無駄な時間がたくさんある)を活かしてまずは、本を買ってみた。

「いまさら聞けない 投資の超基本」

「約束の地(上)(下)」

 

昨日、3/25に入院した。


手術着に着替えて、点滴をつながれたのでもう逃げられそうにない。


3/26 13:30からの腰椎椎間板ヘルニアの切除手術を待っている。


FED(内視鏡下椎間板摘出術)というものだそうで、上手くいけば明日には退院できるそうだ。


足には血栓の発生を抑えるとのことで、乙女な真っ白な弾性ストッキングを履かされた。なんか、50歳過ぎのおっさんには違和感ありすぎだ。




再雇用先の社長からは、採用に当たっての詳細情報を送ると言われていたのが、昨日のはずだったのだが届いていない。
と言うことで、催促のメールを送ってみたのだが、この調子だと4/1からの稼働は無さそうだな。

35年前はバブル景気まっさかりで、就職には苦労することはなかったということは前に書いたのだが・・・

何も社会のことなど知らないお人よしの田舎者は、流されながらも社会人の一歩を踏み出した。

 

機械科を卒業しても、当時メインフレーム(汎用)コンピュータと呼ばれていた超大型コンピュータなどわかるはずもなく。

入社してから1年近くは毎日研修に明け暮れていた。

でも、興味があって入社したわけではないから、そんな大きな(多分1セット数億とか数十億円)コンピュータのメンテナンスなど最初からピンと来ていない。自分はこれからどうなるのかなど考える余裕すらなかった。

 

そんなある日、当時の課長に呼び出された。いつも、いかつい顔で話しかけるのも気が引けるような人が、やたらと柔和な顔で「おい、halolaの出身は新潟だよな?お前、雪は得意だよな?」

・・・雪が得意ってどう理解すればいいんだ?

自分「はぁ、雪は平気です。趣味はスキーです」

・・・お、新潟に転勤か?

課長「そっか、じゃ、青森も好きだよな?」

・・・ん?好きだよな?ってどういう意味?

自分「旅行も好きです」

課長「まぁ、長期旅行みたいなもんだから、来月から青森に行ってくれ」

・・・おい!来月って2週間しかないぞ。

 

こうして、入社2年目で(ほとんど1年目は研修だから、現場に出て半年)青森への転勤が決まった。

ほぼ希望など聞いてもらえず、というよりも断れない雰囲気と、行かなきゃ殺されるような雰囲気で転勤が決まるのは、良い時代だったのだろうww

 

行ったのは夏だったので、海はきれい、食べ物は安くてうまい、酒もうまい。言葉が通じないだけ。

そして、壮絶な冬がやってくる。