(今回の記事は「古今東西」と「重ための話」の両方にUPしています。)

 
 スピリチュアル的な解釈をすると、別れた人というものは「役目を終えた人」ということになります。


 自分にとって相手が一体どのような役割を持っていたのか?何の象徴だったのか?どんな事情が噛み合って出会い、そしてあのようなことになったのか?といったことは、亡くなった後に本人にしかわからないということも多いものです。


 しかし、今この物理現実世界に生きているわたし達にとって、「忘れる」ということは速やかに実行できるケースばかりではありません。


 そのように割り切って考えることができるシチュエーションもあるでしょうし、自分で「えいっ」と断ち切ったという人もおられるでしょう。しかし、中には「どうしても終われない」という人もいらっしゃいます。こういったかたは、未練や執着(自責が土台にある場合も多い)、中には恨みや怒り(他責に転じている)となっている可能性があります。これらの気持ちは、本当につらく、苦しいものです。中には無感覚状態となってさまよっている人もいます。


 そして、いつまでもフォーカスが外れないでいるような場合、この苦しさに年齢はない、つまり「時が癒してくれる」ということが効かないこともあるでしょう。

 
 そういった人々に、今再び前述したスピリチュアル的解釈の一つをお伝えすると、別れた人とは、「役割、役目を終えた人」という言い方ができると思います。ですので、前を向いて進むために、今回は二つのことをお伝えしたいと思います。



① あなたがあなたらしくいられるのであれば相手は誰でもいい

② 永遠に消えない「幸せ」への許可証



 まず一つ目の「①あなたがあなたらしくいられるのであれば相手は誰でもいい」という話についてお伝えします。男性の場合は本文中の「女性」という単語を「女性性」といったように言い換えてお読み頂けたらと思います。何故なら男性の中にも多かれ少なかれ「女性性」というものはあるからです。


 あなたがあなたらしくいられるのであれば相手は誰でもいい。



 この言い方はかなり究極的な言い方をしていますので、人によっては「冷たい」と思われるかもしれません。しかし、この考え方は、昔、わたしがまだ学生だったあたりに、あるかたから伺ったエピソードに基づいています。そのかたはご高齢の女性で、以下のようにおっしゃっていました。


 「女性というものは本来的に芯があるように感じる。
それは、どこかで(無意識の領域で)、
“自分”というものを知っているのだと思うの。
その“本来的な自分”を直感的につかんでいるなら、誰と結婚したって同じことよ。」


 わたしは意味がわからず、衝撃だけを受けました。しかし、今ではそのかたのおっしゃったことがわかる気がしますし、またそのかたのご意見を尊く、ありがたくも思うので、こうしてシェアさせて頂いています。


 わたしとゑR(えある)くんの仲は、生まれる前から「よろしーく」と合意があったように思う部分もあります。


 ですが、ひょっとしたらお互いに、何人か別の候補がいたのかもしれません。その中の一人とタイミングが合い、事情も噛み合い、こうして今生(こんじょう)のパートナーとして一緒にやっていくことになった、ということなのかもしれません。「すべてはシミュレーションである」「すべては象徴である」と考えてみた時に、我々夫婦は今こうして同意して、互いの一生をかけて実験を行っているとも言えると思うのです。


 ですので「あの人でなければダメだった」と悲しく考えたり、また「あの人が自分と離れたせいで自分の人生は台無しだ」と怒りを覚えるような思考をすると、自分の人生展開にとって大きく制限をかけることになる、ということです。ですので、さきほどお伝えしたわたし達の人生の先輩が言われたように、「自分が自分らしく在れる人であれば誰でもいい」という考え方をご提案してみたいと思います。


 ただし、この考え方は条件付きです。条件というのは、例を挙げるとたとえば「自分らしい在りかた」というものを、まずは自分が知っておくことが望ましいでしょう。それはよりスムーズな人生展開のためなのです。


 それと、「誰でもいい」という表現は、誤解を招きかねない(きわ)どいものであることは自覚しています。もちろんのことではありますが、他者に対しても自分に対しても投げやりになってはいけませんし、また「誰でもいいからそばにいて!」といった不足感や焦燥(しょうそう)感、自己卑下のようなものを生み出す意識については自分で向き合って統合しておくことが良いでしょう。この辺りは良識範囲内で受け取って頂けることを願います。

 
 そして、当然のことではありますが、一緒にいて「幸せだな、嬉しいな」と心から思える対象が今いないのであれば、一人でいてもいいのです。まったく問題ありません。むしろ幸せなだということもあるでしょう。ただ、それが「過去への執着」といったネガティブな記憶や信念などのために起きているのであれば、今の喜びや新しい可能性を否定してしまう可能性がまったくないとは言い切れないものです。


 人により選択は様々ではありますが、すでにある(あった)幸福に気づくなどして、毎日やって来る新しい日々の出来事に、可能性を開いておいて頂きたいと思います。結果に一切の期待をすることなく、むしろ忘れて幸せでいることです。本当に、結果などどうでもいいことなのです。いま、この瞬間の幸せこそが、最も大切なことなのですから。


 もしも今誰かと一緒にいるという場合、どちらか片方だけが幸せであるという状態では、うまくいっているとは言えません。その状況には何らかの「学び」があると言えるでしょう。相手も自分と同じように、一緒にいることに幸せと心からの喜びを実感できていなければバランスが取れているとは言えません。幸せや感謝というものは、繰り返しお伝えしていますように、決して強要できない、お互いにとって不可侵(ふかしん)の、神聖な心の領域なのです。
 

 

 そして、仮に最初は「候補者のうちの一人」であったとしても、互いに互いを尊重し合い、苦楽を共にし、共に生きていくための具体的なことを学んでいくのであれば、次第(しだい)に自分たち流のバランスがとれていき、やがて今回の人生のパートナーとしてかけがえのない存在となっていく、というルートもあるということなのでしょう。 


② 永遠に消えない「幸せ」への許可証


 忘れられない恋の相手への思いや、また亡くなった存在についての思いといったものに苦しんでおられるかたには、もう一つ、以下のようなご提案があります。それは今の自分が元気になるための「許可証」にする、という方法です。


 具体的には自責や他責を、例えばいつもお伝えしているような「ノートのワーク」などによりやわらげるのと同時に、悲しみや怒りの代わりに新しく、少しずつ、「感謝」に置き換えていくものです。


 (ちなみに「ノートのワーク」とは、日記でもいいのですが、一般的に言われている「ジャーナリング」と似た部分がありますので、やり方を知りたいかたはネットで検索して頂けたらすぐに見つかると思います。)
 

 そのようにして、今、ここにある幸せを享受(きょうじゅ)しやすい習慣を身に付けていくのですが、それは「幸せだなぁ~・・・」といった感情を実感できるような自分になっていく、ということです。


 具体的な詳細については、お一人お一人によって言えることは異なってくるため、慎重に発言しなければいけないことなのですが、それでもひとつだけ一般的なものについてもう少しご紹介してみます。


 結果的にお別れすることになってしまったけれど、その相手にいま近寄ったり、復縁を迫ったりして再び相手から何かを得ようとするのではなく、過去に受け取って嬉しかったもの、ありがたかったものにフォーカスします。 そして愛されたことへの「感謝」を実感するのです。


 この時に「だけど、今はもういない・・・。」等と考えて悲しくなったり腹を立てたりする、という方向ではありません。その思考は自責です。自責に「甘美」を感じている場合もあるのですが、それは“仮そめの快”だと知ってください。「今はもういない」といった考え方は、不足感や、過去をはみ出して自分の人生全般に対する無力感、依存といった意識を育てる方向です。


 悲しんだり怒ったりするのではなく、感謝できる体質をコツコツとつくりあげていくのです。意識してそのように切りかえていきましょう。「過去に受け取ったものを自家発電する」ということが行えるようになっていく状態を目指すという言い方もできると思います。これが「過去の悲恋や別離などを、幸せになるための許可証として使う」という方法です。相手や周囲にまったく伝えることなく、自分一人で行う範囲であれば構わないのではないかと思われます。


 さらに述べますと、ゆくゆくは、相手のことを考えなくても、忘れてしまっても、まったく関係なく「幸せの実感」を自分の新しい常態(じょうたいである)として記憶し、定着させるという選択肢もあることを知っておいても損はないでしょう。


 自分と向き合うという作業は、中には時間と根気が必要な人もいるでしょう。しかし、いま何らかの苦しみを抱えておられる人にとって、自分自身を癒し、知っていくことは、決して自分を裏切らない作業であるとわたしは思っています。


 いつか、
 「ありがとう。ご縁があれば、きっと会える。またあの世で会いましょう。」と笑って言える時が来ます。あなたの苦しみからの解放の時のために、この素晴らしい歌を贈ります。


「愛をこめて花束を」Superfly (リンクを最後に貼っておきます。)


 死後に再会した時でも、もちろん今でもいいのです。
 「あなたのおかげで、あれから自分らしく頑張れた。あなたのおかげで幸せな人生になった。きっかけをありがとう。」
と言えるように、幸せになってください。それがあなたから相手に贈れる魂の土産話(みやげばなし)なのではないかと思っています。
 


 それでは、また・・・。


 魂のように、今を生き、今を愛し、そしてカラッと再会できる自分に戻っていきましょう!




「愛をこめて花束を」Superfly →リンクは「こちら



(※この動画をUPし続けてくださっているアーティストさま方やスタッフの皆さま全員に、この場を借りて感謝を申し上げます。ありがとうございます。)



(ブログ「重ための話」も「古今東西」も不定期更新)