未来世紀ブラジル
ペイルコクーン(吉浦康裕氏の作品)に似た空気を持つ作品のような。
狼と香辛料の再放送を見終わったあとに、何気なくチャンネルを回したら遭遇した映画。
BS第二だったか。夜の三時近くなったので、視聴を切り上げて大学の予習し取り掛かってしまったので、最期まで見てはいないが、なかなか面白い作品であるようだった。
深夜映画は妙な面白さがある。映画は、太陽とCMなしで鑑賞できるのが一番よい環境のような気がする。
作品はSFサイバーパンク? 見ていて突っ込む余地がなかった。こういう作品には非常に交換が持てる。
ミスターブレインというドラマを親がみていて、私は食事をしているときに30分ほどチラチラと視聴したが、突っ込みたくなるところがありすぎて、そわそわしてしまった。あれはSFなのだろうか。冒頭の30分を見ていないのでなんともいえませんが、研究所のデザインとか科学者とは何かという話や、棒立ちの白衣のモブの多さとかは置いておいたとしても、
プレゼン形式の捜査結果の発表はなんというか、、、ありなのか???
土曜日に放送しているようなので、サラリーマンを意識しているとして、期限を決めての捜査結果発表会を開催する設定にしたのだろうか?
もちろん捜査本部を設置しての大人数の捜査では情報の統制をとるために定期的に捜査状況を確認する場が存在する。
が、今回は研究者が勝手にサンプル採取し事実検証しただけ、
もしかしたら、研究者を統制している人(大地さんの役?)の手腕かもしれない。捜査権限もなく、なおかつ再捜査依頼もなく、現職警官が容疑者となりうる事件の取り扱い、これは非常に神経質な問題であろう。よって、ある程度情報が出揃うまで待って、(過去の)事件解決に必要な要件を充たせる布石を完了してのプレゼンだったのか?
とするなら、プレゼンの企画者の辣腕ぶりに脱帽します。九十九さんがブラブラしている裏で超絶処理を実行していたとはwwそっちのドラマの方が見たいなぁwww
狼と香辛料の再放送を見終わったあとに、何気なくチャンネルを回したら遭遇した映画。
BS第二だったか。夜の三時近くなったので、視聴を切り上げて大学の予習し取り掛かってしまったので、最期まで見てはいないが、なかなか面白い作品であるようだった。
深夜映画は妙な面白さがある。映画は、太陽とCMなしで鑑賞できるのが一番よい環境のような気がする。
作品はSFサイバーパンク? 見ていて突っ込む余地がなかった。こういう作品には非常に交換が持てる。
ミスターブレインというドラマを親がみていて、私は食事をしているときに30分ほどチラチラと視聴したが、突っ込みたくなるところがありすぎて、そわそわしてしまった。あれはSFなのだろうか。冒頭の30分を見ていないのでなんともいえませんが、研究所のデザインとか科学者とは何かという話や、棒立ちの白衣のモブの多さとかは置いておいたとしても、
プレゼン形式の捜査結果の発表はなんというか、、、ありなのか???
土曜日に放送しているようなので、サラリーマンを意識しているとして、期限を決めての捜査結果発表会を開催する設定にしたのだろうか?
もちろん捜査本部を設置しての大人数の捜査では情報の統制をとるために定期的に捜査状況を確認する場が存在する。
が、今回は研究者が勝手にサンプル採取し事実検証しただけ、
もしかしたら、研究者を統制している人(大地さんの役?)の手腕かもしれない。捜査権限もなく、なおかつ再捜査依頼もなく、現職警官が容疑者となりうる事件の取り扱い、これは非常に神経質な問題であろう。よって、ある程度情報が出揃うまで待って、(過去の)事件解決に必要な要件を充たせる布石を完了してのプレゼンだったのか?
とするなら、プレゼンの企画者の辣腕ぶりに脱帽します。九十九さんがブラブラしている裏で超絶処理を実行していたとはwwそっちのドラマの方が見たいなぁwww
脳死2
脳死
臓器提供
臓器を提供するのと、臓器を求めることは別のことであると思うので私は少し離して考えています。
さて、脳死。私は<人>と認識されている人を<人>と定義しますが(かなりユルーイ考えなので、本当に大枠、概略、根底です)、脳死者の家族(遺族ではない!)から脳死者をまだ生きていると考えている場合は死亡していないと考えてよい、という立場です。
ただ、生と死の定義の話とはまた別なように思えてきました。生の認識によって生が生まれる、だからそれに基づいて司法、行政、立法が動いていきますよってのは全然違います。私にとってコレは殺されたも同然、よって殺人罪です!とかはなしで、要件が備わって始めて成立するものです。客観的に見て殺人未遂ならそうで単なる暴行罪ならそう。
でも、それは罰を与えるための要件ですね。刑法の考え方ですので、脳死者を死者とみなす思考とは結べませんね。客観的に見て、ということがどの程度威力を持つのかも問題かなぁ。公共の福祉のために、脳死者には死者になっていただき、臓器を摘出しても良いことにしますー って怖すぎるなぁ。
よって、生きていると認識されていること、は<人として生きている>ための要件の1つだといえるかもしれません。
脳死者の家族が脳死者を生きていると判断して、<人>として扱っていることに行政的サポートも必要でしょう。
やっぱり、臓器が欲しいがために 行動することは ある種、恐ろしい。
わが子の命を守るために、自分が死んでもよい、(もしかしたら、わが子の命を守っていくために、人を殺しても良い)。眠っている人間からこっそり心臓を頂いてしまおうかと考える(もしかしたら、脳が死んでいる人間からなら臓器をもらってもかまわないと考える)。これは人を保護する法律が介入するところだろうか、、、こちらからのアプローチは非常にデリケートになりそうです。よって、提供者のほうから変えていこうという考えでしょうか。甘いなぁ、スイーツのように甘い。
臓器提供
臓器を提供するのと、臓器を求めることは別のことであると思うので私は少し離して考えています。
さて、脳死。私は<人>と認識されている人を<人>と定義しますが(かなりユルーイ考えなので、本当に大枠、概略、根底です)、脳死者の家族(遺族ではない!)から脳死者をまだ生きていると考えている場合は死亡していないと考えてよい、という立場です。
ただ、生と死の定義の話とはまた別なように思えてきました。生の認識によって生が生まれる、だからそれに基づいて司法、行政、立法が動いていきますよってのは全然違います。私にとってコレは殺されたも同然、よって殺人罪です!とかはなしで、要件が備わって始めて成立するものです。客観的に見て殺人未遂ならそうで単なる暴行罪ならそう。
でも、それは罰を与えるための要件ですね。刑法の考え方ですので、脳死者を死者とみなす思考とは結べませんね。客観的に見て、ということがどの程度威力を持つのかも問題かなぁ。公共の福祉のために、脳死者には死者になっていただき、臓器を摘出しても良いことにしますー って怖すぎるなぁ。
よって、生きていると認識されていること、は<人として生きている>ための要件の1つだといえるかもしれません。
脳死者の家族が脳死者を生きていると判断して、<人>として扱っていることに行政的サポートも必要でしょう。
やっぱり、臓器が欲しいがために 行動することは ある種、恐ろしい。
わが子の命を守るために、自分が死んでもよい、(もしかしたら、わが子の命を守っていくために、人を殺しても良い)。眠っている人間からこっそり心臓を頂いてしまおうかと考える(もしかしたら、脳が死んでいる人間からなら臓器をもらってもかまわないと考える)。これは人を保護する法律が介入するところだろうか、、、こちらからのアプローチは非常にデリケートになりそうです。よって、提供者のほうから変えていこうという考えでしょうか。甘いなぁ、スイーツのように甘い。
脳死
脳死を死の定義に完全に繰り込むとか。
死の定義、そもそも死とは何かの話、裏を返すと生とは何かの話。
胎児は生物としては生きているが、人としては生きていないという定説。
胎児に対する人権が認められた判決も存在するようですが(判例ではないようです)。
それは<人として生きる可能性>に価値を見出すことでしょうか。
殺人罪は<人として生きる可能性>を絶つこと(作為)で罪として成立します。
不可逆的に、再び活動する可能性がなく、脳機能が停止した場合、<人として生きる可能性>が消失した場合、これを死と定義することは一見、通っているようです。
ここまで私は<人として生きる可能性>というものに立脚して死を考えました。では、<人として生きる可能性>とはなんでしょうか。生物として活動状態にあるものを生きているというのならば、脳は死んでも身体は生きているケース、脳死では脳以外は生きています。でも、<人としては死んでいる>とみなすことで死と定義することは無茶苦茶です。
我思う故に我あり、、、それから、我々思う故に彼、彼女あり、、、。
人(彼、彼女)が<人>であることを定義するのは人(観察者)。よってその基準は千差万別、多種多様。異教徒を悪魔として<人>ではないという考えも通念となれば通ってしまいます。それが、この世界(もしくは社会)。
脳は理性や本能の根源となる機関、およそ人間らしい行動をとれば<人>であり、そうでなければ<人>から外れる。意識も消失し身体保全機能を失った人間はもはや<人>ではなく体(死体の意味)であるとする考え。そういった<1つの>考えによっては脳死は死とみなすことが可能となっているようです。
およそ人間らしければ<人>、というほうが厳しくて、およそ人間らしからなければ<人>ではない、というほうが容易いのもなぁ、、、
<人>になるのが難しくて
<人>から外れるのが容易な世界に
私は住んでいるようです。
なんか、死刑も気になってくるなぁ。
まぁ、私の立場
原則禁止。通常対応では死と判断することになるとになるでしょうが。
脳死判断を下したことを発表し、差し止め請求(←ちょっと正確な言葉ではありませんが)がなく30日を経過したら死亡と決定。
その間(30日間)は生存していたとし、医療保険がおります。医療費はそれまで支払っていた人物が支払いますが、差し止め請求の審議によって延長した分の治療費の、差し止め請求者に求償権を持つ、とします。
この30日という設定は長いほうがいいと考えましたが、医療費負担の面から15日程度に短縮することもありかと。
問題点として、脳死者の実名を発表する点があります。これはまだ脳死者を生きていると認識する人間が信じている<脳死者>の法益を保護する目的ため、認識している人間が名乗り出る機会が必要になります。よって、官報に掲載する等の対応になると思いますが、公表の必要性が存在します。
でも、脳死というケース自体が稀有な現在、提供者名を公表すればレシピエントがその臓器の所有者を知ることになると想像されます。これは臓器移植のルールに触れそうです。
うーん、もしくは行政として国立病院において一手に脳死判断を引き受け、国対遺族の構図の訴訟で判例を重ねていくというのも思いつきました。公務員が脳死判定を行う制度をつくる。これは現実的ではない気がしますが、まだ、全然検討していないアイデアではあるので要検討。制度自体にたいする違憲立法審査権とかはなぁ、違うだろうなぁ。行政執行差し止め請求とかかなぁ。
あぁ、なんか、裁判所(司法機関)に立法させようとしている自分がいる、、、だめだなぁ。政治不信の影響と片付けてしまいたい。
死の定義、そもそも死とは何かの話、裏を返すと生とは何かの話。
胎児は生物としては生きているが、人としては生きていないという定説。
胎児に対する人権が認められた判決も存在するようですが(判例ではないようです)。
それは<人として生きる可能性>に価値を見出すことでしょうか。
殺人罪は<人として生きる可能性>を絶つこと(作為)で罪として成立します。
不可逆的に、再び活動する可能性がなく、脳機能が停止した場合、<人として生きる可能性>が消失した場合、これを死と定義することは一見、通っているようです。
ここまで私は<人として生きる可能性>というものに立脚して死を考えました。では、<人として生きる可能性>とはなんでしょうか。生物として活動状態にあるものを生きているというのならば、脳は死んでも身体は生きているケース、脳死では脳以外は生きています。でも、<人としては死んでいる>とみなすことで死と定義することは無茶苦茶です。
我思う故に我あり、、、それから、我々思う故に彼、彼女あり、、、。
人(彼、彼女)が<人>であることを定義するのは人(観察者)。よってその基準は千差万別、多種多様。異教徒を悪魔として<人>ではないという考えも通念となれば通ってしまいます。それが、この世界(もしくは社会)。
脳は理性や本能の根源となる機関、およそ人間らしい行動をとれば<人>であり、そうでなければ<人>から外れる。意識も消失し身体保全機能を失った人間はもはや<人>ではなく体(死体の意味)であるとする考え。そういった<1つの>考えによっては脳死は死とみなすことが可能となっているようです。
およそ人間らしければ<人>、というほうが厳しくて、およそ人間らしからなければ<人>ではない、というほうが容易いのもなぁ、、、
<人>になるのが難しくて
<人>から外れるのが容易な世界に
私は住んでいるようです。
なんか、死刑も気になってくるなぁ。
まぁ、私の立場
原則禁止。通常対応では死と判断することになるとになるでしょうが。
脳死判断を下したことを発表し、差し止め請求(←ちょっと正確な言葉ではありませんが)がなく30日を経過したら死亡と決定。
その間(30日間)は生存していたとし、医療保険がおります。医療費はそれまで支払っていた人物が支払いますが、差し止め請求の審議によって延長した分の治療費の、差し止め請求者に求償権を持つ、とします。
この30日という設定は長いほうがいいと考えましたが、医療費負担の面から15日程度に短縮することもありかと。
問題点として、脳死者の実名を発表する点があります。これはまだ脳死者を生きていると認識する人間が信じている<脳死者>の法益を保護する目的ため、認識している人間が名乗り出る機会が必要になります。よって、官報に掲載する等の対応になると思いますが、公表の必要性が存在します。
でも、脳死というケース自体が稀有な現在、提供者名を公表すればレシピエントがその臓器の所有者を知ることになると想像されます。これは臓器移植のルールに触れそうです。
うーん、もしくは行政として国立病院において一手に脳死判断を引き受け、国対遺族の構図の訴訟で判例を重ねていくというのも思いつきました。公務員が脳死判定を行う制度をつくる。これは現実的ではない気がしますが、まだ、全然検討していないアイデアではあるので要検討。制度自体にたいする違憲立法審査権とかはなぁ、違うだろうなぁ。行政執行差し止め請求とかかなぁ。
あぁ、なんか、裁判所(司法機関)に立法させようとしている自分がいる、、、だめだなぁ。政治不信の影響と片付けてしまいたい。