脳死2 | 片付かない部屋のアトリエ

脳死2

脳死

臓器提供

臓器を提供するのと、臓器を求めることは別のことであると思うので私は少し離して考えています。

さて、脳死。私は<人>と認識されている人を<人>と定義しますが(かなりユルーイ考えなので、本当に大枠、概略、根底です)、脳死者の家族(遺族ではない!)から脳死者をまだ生きていると考えている場合は死亡していないと考えてよい、という立場です。

ただ、生と死の定義の話とはまた別なように思えてきました。生の認識によって生が生まれる、だからそれに基づいて司法、行政、立法が動いていきますよってのは全然違います。私にとってコレは殺されたも同然、よって殺人罪です!とかはなしで、要件が備わって始めて成立するものです。客観的に見て殺人未遂ならそうで単なる暴行罪ならそう。

でも、それは罰を与えるための要件ですね。刑法の考え方ですので、脳死者を死者とみなす思考とは結べませんね。客観的に見て、ということがどの程度威力を持つのかも問題かなぁ。公共の福祉のために、脳死者には死者になっていただき、臓器を摘出しても良いことにしますー って怖すぎるなぁ。

よって、生きていると認識されていること、は<人として生きている>ための要件の1つだといえるかもしれません。

脳死者の家族が脳死者を生きていると判断して、<人>として扱っていることに行政的サポートも必要でしょう。

やっぱり、臓器が欲しいがために 行動することは ある種、恐ろしい。

わが子の命を守るために、自分が死んでもよい、(もしかしたら、わが子の命を守っていくために、人を殺しても良い)。眠っている人間からこっそり心臓を頂いてしまおうかと考える(もしかしたら、脳が死んでいる人間からなら臓器をもらってもかまわないと考える)。これは人を保護する法律が介入するところだろうか、、、こちらからのアプローチは非常にデリケートになりそうです。よって、提供者のほうから変えていこうという考えでしょうか。甘いなぁ、スイーツのように甘い。