先日、友人がブログにMyojoの10000字の事を書いていたので。
ついつい全員分読み返してしまった。
2011年12月号が亮ちゃん
↓
すばる
↓
丸
↓
横
↓
ヒナ
↓
大倉
↓
ヤス
この順番でした。
当時。
彼らの心情を赤裸裸に語ってくれているインタビューだと感じ、夢中で読んだ覚えがあります。
この後、8周年になると、彼らがいままでを振り返ることも多くなるんですが。
その一歩手前の時代だったので。
驚くべきなのが。
亮ちゃんの10000字が発売されたのは10月末でした。
NEWSを脱退した月だったわけで。
この取材を受けたのが脱退前か後かはわかりませんが。
(おそらく前だよね)
このインタビューはもう、「関ジャニ∞の錦戸亮」としてでした。
この中で、私がやっぱりぐっとくるのは、お互いにこの事を話題にしている件
----2003年にNEWSが先にデビューした
ビックリしましたね。
デビューしたいなぁと思ってたら、そっちがしたか!しかもうちのメンバー2人も入ってるわ!って。
NEWSのデビュー1発目のライブの時、俺と丸と大倉はバンドでバックについたんです。
くやしいなって思ったし、がんばらなヤバイなって思いましたからね。
NEWSのファーストライブのときかな。大倉と丸とヤスが、ずーっと出てたんですよ。後ろでベース弾いたり、ドラム叩いたりして。
恥ずかしい思いさせられんと思った。
だから一生懸命やった。
中途半端にやったら絶対いかんって
お互いに別の角度で見ていた景色だったわけね。
両方の気持ちを考えると、とてもとてもとても、せつなくなります。
でもそれをバネに頑張ってたんだもんね。
ヤスの言葉ピックアップしてみると。
47の時はキャラクターに悩んでいたけど、沖縄で悩みがなくなった話をしていたり。
自分のポジションが見えなかった時代、
ずっと悩んでて。いちばん悩んでた時期が、そのツアー(47)のときやったんかな。メンバーのことも全員大好きやねんけど、人恐怖症みたいな、人のことをあまり考えられない時期で。
その頃書いた詩、表には出してないんですけど、めっちゃ暗いですから。
”僕は深海魚。真っ暗で一寸先も見えない。目が退化してなくなっていく"
って内容の詩を書いてました。
その霧が晴れた後
自分の中でルールを決めたんです。この仕事を続ける上で、ウソはつかないって。つくくらいやったらやめようって。それが、僕ら見て下さってる方々に届けられる、最低限の誠意だと思うんで
ヤスの語るエイト
僕らは決して器用なグループじゃないと思うんです。個人個人が、すごく繊細やから、集団になればより繊細で。
アンバランスやけど、だからこそ力になってるんやなって思います。
この7人が奇跡的に集まって、言ったら歪なハーモニーですわ。でも不協和音じゃない。キレイな旋律になってる。ちょこちょこ音外れますけどね(笑)でも、それでもいいな、それがいいなって思うんです。
みんながよく言っていることだけど。
この人もここでも言ってました。
最初は松竹座の2階席には、お客さんが誰もいないなんてことも経験しましたし。だから関ジャニ∞はハングリー精神が、どこのグループよりあると思う。あの時代がなければ、今はないです。
丸ちゃん抜粋。
全国発売が決まったときの握手会で、夏場で暑かった日にファンの人が列を作って並んでくれたのを見て、
今、目の前にいる、こんな多くのひとたちに支えられ、僕たちがいるんだって。
そういう経験があるから、関ジャニ∞って、ライブをくり返して育ってきたし、これからもライブを大事にしたいって意識があるんです。松竹座の時代から、お客さんとの距離感を大事にしてパフォーマンスしてきたし、年に1回は必ずコンサートをしようって決めて、47都道府県回らせてもらったり。やっぱり、実際に会って感謝を伝えられるのってコンサートだと思うので。
デビューの後に悩むことが多かったという丸
亮ちゃんが映画で主演したり、大倉も映画に出たりして、それぞれピンでCMやったり、レギュラーが決まったりする中で、”自分だけ遅れてる”って思ったんです。このままでは関ジャニ∞にいられないなって危機感があったんですよ。
そしてピンの仕事を頑張った丸
メンバーがグループとピンの仕事が重なったとき、裏での苦労や努力をまったく見せないで、関ジャニ∞の仕事をいつも通りやってたんだって、単純なことに気付いたんですね。
見えてなかった景色を自分も見た。どれだけすごいことをこのひとたちはしてきたんだろうって。そしたら吹っ切れたんです。腹をくくったというか。このグループにいていいとか、悪いとかじゃない。俺はこのグループにいたい。だから目の前のことを賢明にやり続けようって。
大倉さん抜粋
ずっとエイトの中でもラストの立場にいた大倉。
ジュニア時代仕事がないとき、5つ年下の弟に「兄ちゃんもう無理やろ」って言われた大倉。
でも諦めなかった大倉。
僕は魅せ方についていろいろ研究したことがあるんです。ジャニーズで人気のグループのライブDVDを見て。家にこもって、そんなことばっかしてた時期がありましたね
-----研究してわかったことは?
僕は生まれながらのアイドルじゃないってことですね
それを悟ってからは
できることがあるとしたら"ファンの目線になる"ってことだけだと思ったんです。
ファンがどうしたら喜んでくれるかって意識を常に持つ。
僕らって、まちがいなくライブ育ちなんです。ずっとライブで、目の前にいるファンの方とコミュニケーション取ってきたから。今はライブの数が少なくなって、TVや雑誌の仕事が多くなりましたけど、どんな仕事をしてても"ファンの人たちはどういう反応してくれるんやろ"ってその存在を意識してるんです。
私は、大倉はとても研究してる人だなって感じていて。
彼は本当はどんな人なんだろう?って思うこともあるけど(笑)
でも、自分のため、だけでなく、グループのため、努力を惜しまない人だとも思っている。
野心もたくさんあるのかなって思っている。
NEWSがデビューした後も、関ジャニ∞のデビューを諦めなかった横
僕らは僕らで、やることやらなって感覚があったから。
でも何が僕たちを支えてたかっていったら、錦戸達が、こっちに戻ってきたときに、楽しそうにしてたことですね。
だから、やれてたんだと思いますわ。
"俺は関ジャニ∞や”って空気感がすごくあったから。それがホンマに支えてくれた。
こっちの活動でダルそうにされてたら、もっと違った形になってたと思う。
その当時の錦戸さんの心境
メンバーはみんな、"がんばってこいよ!"って送り出してくれたんです。内心は絶対に複雑だったはずですけど。でも、それがあったからこそ、NEWSも関ジャニ∞も、両方もっとがんばらなって思いましたね。
かけも時代。
亮ちゃんだけエイトの仕事中、抜けたりすることもあった。
そんなとき、エイトのみんなはとにかく
「がんばってな!」
って送り出していた。
いつでも、どこでもそうだったと思う。
こっちだけにしてほしい、なんてことを言う人も誰もいなかったと思う。
信五さんはこの当時から、もう立派に村上信五だ(笑)
与えられた環境でベストをつくすだけ。大事なのは”自分はやりきった"って声を大に言えるかどうかだけだと思うんです。口ではなんぼでも言えるけど、家に帰ってひとりになったらわかる。自分にウソついたかどうかなんて。
俺、いまだにやることやったら、嫌われてもええって思ってますし。関ジャニ∞を好きでいてくれるんやったら、村上信五を嫌いになってもらっても全然かまへんって思ってます。
苦労を苦労と思うかどうかってことだと思うんです。
大阪に戻ってた時期を苦労した時代って言われたら、それはそうなんやろうけど。苦労というよりはチャレンジでしたね。だからめっちゃ楽しかったんですよ。思い通りにならないことばっかだったし、かなわんことばかでした。でも”いつか絶対、夢をかなえてやる"ってエネルギーがいちばん満ちあふれてた。もちろん、今もみんなどっかでその想いが形を変えて残ってる。
今のメンバーに、それが消えてるヤツがおったら、浮くと思います。
私ね。
すばるに関しては、抜粋するのやめます(笑)
この後、彼は「あの頃実は辛かってん」の時期が来るから。
ここに書かれていることも、主に今までの歴史ばかりで、今を1番語ってなかったですしね。
久々に見返してみても、変わらないなって印象をうけるひとたちでした。