色彩を浴びるヨロコビ | いつか…ユデタマゴ



【デュフィ展】Bunkamura25周年特別企画


日曜日の話なんですが、最終日に何とか観に行くことが出来ました…って、今日は何曜日だよ!しかも8月だ!
梅雨明け前に行かないと結局行かないだろうなーとは思っていたけど、梅雨の最中にまさかの夏バテ…早いよ…

明けたら明けたで殺人光線によろめき、ああこうして愛した人は去っていくのね的な悲しみを味わっていましたが…

まあ、なんだ、すこーし汗をかくことに慣れたっていうかね…

信号待ちが嫌で、じゃ先言って適当に曲がろうと、いつもの道じゃない所入ったら見事に迷って、ホテルだらけ、ライブハウスだらけの所で余計な汗をかいたりして疲れきって到着…

Bunkamuraの最終日っていうと、数年前のエッシャー展で入場を3時間待った記憶があるのです
この日はまあ、普通に混んでるくらいでしたー良かったー

さあ、涼しいと言うより寒~い展示室に入ろう~~heart


 ~ * ~  *  ~  * ~



20世紀前半のフランスで活躍した画家、ラウル・デュフィ(1877~1953)

華やかで憂いの無い、優しい作風のデュフィが好きなのですが、今回原点からの一連の作品を観てそれだけではないことを知りました

どんな画家にも確立までの道程と言うものは有るし、世に出ているものが最高だとは限らないのはわかります

デュフィの紆余曲折は、出会う人や興味の方向が必然的に起こしたもののようでした
ただそれも、暗く深く悩みに悩んで…というようには感じられなかったです




◆第1章  1900―1910年代  造形的確信のただなかで


デュフィも最初は印象派の影響を受けた絵を描いていました
その中でも様々な表現方法を取り入れ、そして悩み、やがてそれを捨てマティスやセザンヌに倣います




「トゥルーヴィルのポスター」1906年

この作品を出品したサロンの展示室がフォーブの画家達と同じだったので、デュフィもフォービズムと見られたとか…
ただ、原色でなく少しパステルがかっている色使いというところが、後年の色彩に繋がってくるのかななんて思いました



◆第2章  木版画とテキスタイル・デザイン

「1907年からの4年間、木版画の制作に力を注ぎます。これら木版画のモチーフはテキスタイルに転用され、デザインを行うようになります」

デュフィの木版画は、人物を取り巻く全てが装飾的で、みっちりとした画面構成になっていました

他にも、アポリネールの詩集、「動物詩集あるいはオルフェウスとそのお供たち」の挿絵に制作された連作の木版画32点が半分(展示替えのため)展示されていました


デュフィのデザイン関係の作品展示も充実していました
ファッションデザイナーと共同で様々なテキスタイルをデザインしたり、個別に契約デザイナーとして仕事をしたりしていたそうです

細密かつ装飾的なデザインは、今そのファブリックが有れば欲しいーというくらい合格



「チャーリー・チャップリン」1920年頃

これは購入したポストカードですが…どのデザインもいけてます!



◆第3章  1920―1930年代  様式の確立から装飾壁画の制作へ


この辺りからが私にとってのデュフィ・・・

「プロヴァンスで再び絵画制作に集中し、様々な記号の繰り返しによって南仏の景色を組み立てる」
「水彩画はテキスタイルから得た線と色彩がそれぞれ自律した表現が見られる」
「更に1922年から、モロッコ・イタリア・スペインへ旅行へ行き、南国の光の中でフォーブ時代の色彩を取り戻す」


こういった章の解説を読み、第1・2の作品をかえりみると、デュフィであるという様式の確立がスッと染み込みました





「エプソム、ダービーの行進」1930年

線と色彩の隔離が揺らぎを産み、観客の賑わいと疾走する馬の躍動感が色彩によって沸き立ってくるようです
一見穏やかな色の配置ですが、ぐぐっと心を掴まれます




「ノジャン、ピンクの橋と鉄道」1935―36年

光の表現は、陰影では無く、点描でもなく、色彩の帯によって分割されています
見ているこちらも青く染まりそうです…


デュフィにとって最重要な色は「青」です
色調が変化しても本来の個性を失わない唯一の色という認識をしているとか




「ニースの窓辺」1928年

鏡を真ん中に二つの窓が描かれていますが、山々も室内調度にも青が溢れ、青く染まり、青が交錯しています





1937年のパリ万博の電気館にかけるため、デュフィは「電気の精」という横10m、縦10mの巨大曲面壁画を制作しました

日曜美術館で言っていましたが、同じくスペイン館には、ピカソのゲルニカが展示されましたが、人々の心をとらえたのはデュフィだったそうです

作品の下部は右方から左端にかけて、古代ギリシャの哲学者から始まりワット、ニュートンなど、108名の科学者達が編年構成されて描かれています

上部は、現代に至るまでの科学技術の発展が鮮やかな色彩で描かれています
中央にはオリンポスの神々、他には実際に訪ねてから描いたという発電所、最後には電気の精が舞っています


展示は後年制作された縮小カラーリトグラフですが、壁画で観たら色が降ってくるようなのではないかな、と思うような豊かな作品でした


「電気の精」1952―53年




◆第4章  1940―1950年代  評価の確立と画業の集大成


進行性多発関節炎を患い、体の楽な乾燥気候の地へ移住して以降、色彩を殆ど単色にし、その上に素早い線によってモチーフを描いていきました
病のために、戸外での制作は少なくなりましたが、創作の場であるアトリエを描く対象とした作品が増えます




音楽からのモチーフの作品も多いデュフィですが、中でもこちら


「コンサート」1948年

ホール全体を覆う圧倒的な赤が、振動を、そして熱気を伝えてくれています


青が原点で、赤は色彩の残像による表現の発見です
輪郭線からはみ出した色が絵に命を与えています

色彩の魔術師といわれたデュフィですが、晩年には黒を多用しています
眩しさに目を閉じると真っ暗な中に直前に見た情景が浮かび上がるといい、作品に反映されていました




~ * ~ * ~ * ~


デュフィの絵は、癒される・・・というのとは少し違う感覚で、明るく気分が上向きになれると思います
そして、 すでに溢れるほどの色彩の中で生きている私達は、改めて色を感じさせられます


悲しみや苦しみは描かず、「私の眼は醜いものを消し去るように出来ている」と言っていたデュフィ…


デュフィが、その人、になる過程を見ることが出来た良い展覧会でした!
イケテヨカッタ…