子どもをもつ親ならなおさら、いない人にも無視できない問題ではないでしょうか?
LD・ADHDな人々(子ども)の存在。決してやっかいものとして、認識しているわけではないのです。ただ、やはり本人のためにも社会のためにも、真剣に向き合わなければならない問題ではないでしょうか?
で、読んでみました。「LD・ADHDは病気なのか?」2003年の発行で、その翌年くらいに読んで、今回再読です。
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LD・ADHDは病気なのか? (講談社プラスアルファ新書)
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著者は「てんかん」の専門医。てんかんの治療だけでなく、行動や認知に問題を抱える子どもの治療に、真摯にあたっている小児科医という印象です。
日々現場で問題の深さと社会的な矛盾を、感じているからこその、さまざまな意見は、心に響きます。問題行動をおこす子どもを、つい色眼鏡でみがちな、健常児(?)の親の心も正すような・・
しかし、いったいまわりの人間は何ができるのでしょうか?というのは、このての本を読んだときの一番の思いです。まず理解につとめ、日常のなかで、触れ合ったときに少しでも支える。少なくとも、間違った偏見の目でみない、という程度しか思いつきません。哀しいかな。
しかし、もし例えば自分の息子に、気になる点があるなら、あるいはすでにレッテルを貼られてしまっているのなら、この本を読んで、今一度科学的な検査をうけてみようと勧めたい。
現在の判定は、あまりにあいまいすぎるよう。個性の範囲なのか。脳波の異常なのか?それも、投薬等で改善するのか?しかるべき経験のある医者による診断を、あおぐべきではないのかと思いました。
先日ニュースのなかで、特別支援の学校に期待が高まり、教室が足りない、という報道をみました。
この本の出版時よりは、社会的な認知は広がっているのは、確かでしょう。平成19年度から、「特別支援教育」が学校教育法に位置づけられましたよね。
以前は、自分の子の「障害」を認めたがらなかった親も、まずは違いを認めるという、心のハードルが低くなっているのかもしれません。支援(その子にあった個別の学習環境)を受けた方が良いという選択が、しやすくなっているなら幸いです。
他の子から隔離しろとは、間違っても言いませんが、学校での支援員の予算を、しっかりととるべきでしょう。その子どもに、出来うる限りの学力をつけて卒業させるのが、社会的、経済的にも理にかなっていると思います。
同時に、社会(学校の保護者だけでなく)で、そういうものがあらしいというレベルではなく、正しい理解と、寛容が広まっていくのを願うばかりです。
こんなふうに書くと、自分がいい人っぽいけど、実際にはうるさい子どもに我慢ならないほうです。その反省もこめて、もうすこし、人全般におおらかな気持ちで接しなければね、と自分自身の課題をつきつけられた読後感でした(笑)
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