わたしは本屋さんが好き。
ピカピカの本がたくさん並んでいる店も、古本屋も、遊べる本屋さんも。
1度行くと結構いろんなコーナーをウロウロするんですが
必ず見るのは料理の本とかパンとか、調理や食の専門書など。
つい最近
また本屋さんでレシピ本のあたりを
ウロウロしていたのです。
『保存食』っていうワードを見つけてはめくってみたり
『伝統食』とか『マクロビ』とかね。
ワクワクしながらひとりフンフンしてたわけですよ。
そしたらお弁当の本のコーナーがあって
何気なく見ていたら
その中に『大人可愛いお弁当!』っていう本があって。
何?
大人可愛いってどういうアレ?
弁当??
ん?
どういうこと??
ってなったわけです。
中身は見なかったけど
とても違和感を持ったまま本屋を去ったわたし。
その後どうもひっかったので
考えてみた。
何が私の中のどこに引っかかったのかって。
多分その本の内容は
見た目も良くて
可愛すぎない(最近キャラ弁とか大流行りなゆえ)素敵なお弁当のレシピがたくさん載っているのでしょう。
まぁそれはいい。
出版するにあたって、食には使わない『大人可愛い』というワードを使うことによって、目を引くインパクトを求めてのことかもしれない。
実際わたしも引っかかったしね。
ただ
最近発売された食の安全に関する本を読んだ中に
こんなエピソードが。
女子中学生が母親の手作り弁当を毎日学校に持って行っていた。
近頃あまりにお弁当箱が綺麗なので不思議に想って母親が問い詰めたところ
ある時、別のグループの女子に
"あの子はあんな地味な弁当を毎日持って来て、私達みたいにコンビニの弁当やパンを持ってこれないんだね。
ダサい!私達とは格が違う"
と言われて、その日から通学途中のゴミ箱にお弁当の中身を捨てて
コンビニでお昼を買って持って行っていたらしい。
アホか!と想うし
どちらかと言えば、コンビニのものしか食べていない彼女達の方が可哀想だと想う。
でも10代の頃には10代の頃の感性があって、
ダサい!
か
カッコイイ!
かの2択みたいなところがあるのも何と無く理解はできる。
実際お弁当の蓋を立てたまま隠して食べてた男子も何人かいたしね。
でも遅かれ早かれ大人になるにつれて
毎日お弁当を作るとか
毎日の食事を作るとかの大変さを知り
食を通じて親の愛を知ることになる。
あの『大人可愛い』レシピ本が
どの年齢層をターゲットにしているのかは分からないし
そんな深い意味はないのかもしれない。
だけど
私は真面目に想う。
食欲が出るように色合いを工夫したり
切り方や調理方法を工夫することは
もちろん大切だけど
食はファッションじゃないし
誰かに見せるためでもない。
食べる物に
ダサいもカッコイイもカワイイもない。
そこには命をいただいている
ということ以外に大切なことなんてない。
大人可愛いトイレの方法
とかあんの?
そんなんバカみたいでしょ。
食は楽しみにもなるし
エンターテイメント性も含んでる。
でもそれが過度になると
安全や安心はそっちのけ
安くて綺麗で楽しいことが第一になる。
安いには安い理由がある。
見た目や値段に騙されるのが
私達の悪い癖。
ちゃんと目と舌と心を鍛えよう。
愛を持ってさ。
最近お弁当にしたら
とても身体の調子がいい。
ケミカルなものを抜いている。
そんな私の最近のお気に入りは
『茄子弁当』
玄米ご飯の上に
大蒜醤油に漬けた大葉をのせて
その上にきんぴらとかなんかおかずをのせる。
そしてその上に焼いた茄子をのせて
辣ナッツをパラパラ。
見た目の華やかさは無いですが
すごく満足する。
心も身体も。
今日はずっと気になっていたレシピをアレンジして麻辣味の醬的なものと
辣ナッツをつくってみた。
麻辣醬には豆鼓と干しエビを刻んで、胡麻油の代わりにオリーブオイルで。
辣ナッツは花椒と生姜、クミンシードたちをアーモンドとくるみに絡める。
出来上がってから
さて、どうして食べてやろうかと考えて、醬を作った鍋にだしを入れて
もやしとニラとナンプラーやら入れて煮て、韓国春雨があったので茹でて入れた。
すだちで酸味もちょっと。
その上に辣ナッツかけて。
パクチーがあれば完璧やったな。
イメージはエスニックラーメン。
これは練り胡麻入れて
京橋の金国の坦々麺を目指してみよう。
でも最後に食べたのが、かなり前やからもう一度食べたい。
チェーン店は気軽やけど
やっぱり個人店がいいな。
家のご飯の延長線上にあるようなお店がいい。
家庭的とかとは違う意味合いやけど
家でおもてなしするような
少しよそ行きやけど、愛と手間がかかったご飯。
スピードや値段に気を取られると
要らないものがたくさん混じる。
本当の美味しさからは、かけ離れてゆく。
スロウフードとはよく言ったものだね。
冷蔵庫の中には
2週間寝かせてから食べる塩卵や
かどを取るために涼しい戸棚に入れてある返し醤油。
明日の朝焼くパンの生地は冷蔵庫で眠っている。
スピードも確かに大切な時がある。
むしろ現代ではスピードこそ命!
みたいな感じが正義のように幅をきかせる。
駅で乗る電車の時間や目的地までの最短ルートは、いつでも携帯が教えてくれる。
待ち合わせの約束はメッセージを飛ばしあえば、いつでも変更可能。
だから予定に余裕はあまり要らない。
座って3分で出てくる温かい食べ物。
溢れている流行り色の欲しいものは、すぐ手に入るけど
すぐ要らなくなるものばかり。
スピード
ファスト
イージー
だけど本当に私を満たしてくれるのは
そんな簡単なものじゃない。
だから
ゆっくり時間をかけてみる。
外を流れる早い流れを、ゆっくりにするのは簡単じゃない。
だけど自分の暮らしの近いところから
少しずつスロウにしてゆくことは意外と出来る。
時間が足りないと想ったら
もう1度考えてみる。
もしあと1ヶ月で死ぬとしたら
同じ暮らしをするかどうか。
自分の時間の中で何が必要で何が重要かが、きっと見えるはず。
そうやって時折想い返しては暮らしているのです。
暮らしてゆくのです。
明日は歌をうたいます。
限られた時間
わたしにとって歌うひとときは
とても大切です。
からいだけじゃダメなのさ。
しびれないとね。
6/21(土)◼︎センパイナイツ16!◼︎
会場◼︎心斎橋 酔夏男
開演◼︎18:30
入場◼︎2000円(別途ドリンク代)
★入場時のドリンクは1ドリンク500円または
センパイ始まるまで飲み放題2000円のどちらかを選択できます。
出演◼︎吉田文人
ショウジョウハイライト
スムージチークス
どんこ
マサ・タケダ
※アニソン枠有り!!
めぐり
というか
身体と心はつながっているもので
そこそこハッピーには暮らしているのですが
2014年は身体の方がご機嫌ナナメでして
ちょっと流れを変えなくてはと
ご機嫌伺いに
玄米食に戻してみました。
念願のホームベーカリーも手に入れたので、身の回りの化学的なものには再びさよならをしています。
そんな暮らしをしばらくしていると
感覚が本来のものに戻ってくるのですよ。
今日は久しぶりに
外で簡単な食事をしたのですが
ケミカルな要素に舌が反応してピリピリ痺れてびっくり。
何よりも久しぶりに感じた味の違いに驚き。
もったいながりの私が食べ切れず残した。
だって美味しくなかったんだもの。
そして
何よりも味覚ひとつのことだけど
それだけ感覚が鈍っていたことに
とにかく驚いた。
なんでもゼロにするのは難しい。
1度手に入れたものは
手放すのは簡単じゃない。
世の中の仕組みは
人間の欲望にマッチングするように仕組まれている。
それはお金を基準に考えた場合は悪ではないが
それは愛を基準に考えた場合は良いところは見つからない。
流れに乗るのは悪くないけど
流されるのはかっこ悪い。
考えることをやめれば
楽しいものや暇つぶしは溢れかえる世界。
自分にとって何が良いか悪いかは
分かりづらくなっているのかもしれないけれど
シンプルに生きていけば
自然と感覚が研ぎ澄まされて
嗅ぎ分けられるようになると想う。
それが人という弱い動物が生き残るために本当に必要なもののような気がする。
目の前のリンゴが
毒入りかそうじゃないかは
テレビや政治家は教えてくれない。
自分の感覚、心の嗅覚こそが
生死を嗅ぎ分ける手段かもしれないってね。
決して大袈裟じゃなく
そのリンゴを食べる前に
お別れを言っておこう。
君が君であるうちに
わたしとちゃんとお別れしよう。
グッドバイ。
というか
身体と心はつながっているもので
そこそこハッピーには暮らしているのですが
2014年は身体の方がご機嫌ナナメでして
ちょっと流れを変えなくてはと
ご機嫌伺いに
玄米食に戻してみました。
念願のホームベーカリーも手に入れたので、身の回りの化学的なものには再びさよならをしています。
そんな暮らしをしばらくしていると
感覚が本来のものに戻ってくるのですよ。
今日は久しぶりに
外で簡単な食事をしたのですが
ケミカルな要素に舌が反応してピリピリ痺れてびっくり。
何よりも久しぶりに感じた味の違いに驚き。
もったいながりの私が食べ切れず残した。
だって美味しくなかったんだもの。
そして
何よりも味覚ひとつのことだけど
それだけ感覚が鈍っていたことに
とにかく驚いた。
なんでもゼロにするのは難しい。
1度手に入れたものは
手放すのは簡単じゃない。
世の中の仕組みは
人間の欲望にマッチングするように仕組まれている。
それはお金を基準に考えた場合は悪ではないが
それは愛を基準に考えた場合は良いところは見つからない。
流れに乗るのは悪くないけど
流されるのはかっこ悪い。
考えることをやめれば
楽しいものや暇つぶしは溢れかえる世界。
自分にとって何が良いか悪いかは
分かりづらくなっているのかもしれないけれど
シンプルに生きていけば
自然と感覚が研ぎ澄まされて
嗅ぎ分けられるようになると想う。
それが人という弱い動物が生き残るために本当に必要なもののような気がする。
目の前のリンゴが
毒入りかそうじゃないかは
テレビや政治家は教えてくれない。
自分の感覚、心の嗅覚こそが
生死を嗅ぎ分ける手段かもしれないってね。
決して大袈裟じゃなく
そのリンゴを食べる前に
お別れを言っておこう。
君が君であるうちに
わたしとちゃんとお別れしよう。
グッドバイ。
