善き人のためのソナタ | あの時の映画日記~黄昏映画館

あの時の映画日記~黄昏映画館

あの日、あの時、あの場所で観た映画の感想を
思い入れたっぷりに綴っていきます

 

 善き人のためのソナタ(2006)

 

魂を揺さぶられる傑作。

芸術が思想をも凌駕するなどという言葉も陳腐だと思える重厚な映像の叙事詩。

 

東西ドイツ分裂時代の東ドイツ。

自由な表現を渇望する舞台監督のドライマン。

彼は、反体制活動家の疑いをかけられており、

舞台女優のクリスタと同棲するアパートに、シュタージ(国家保安局)による盗聴器を仕掛けられて、全く知らぬ間に、完全監視対象者にされてしまう。

作家たちとの日常会話から、政府批判、果てはクリスタとの情事の様子まで、彼の言動行動は政府に完全に把握されていた。

 

そんな彼を四六時中盗聴し当局に報告する任を受けたのが、ヴィースラー大尉(ウルリッヒ・ミューエ)。

 

忠実に任務をこなす彼だったが、芸術家たちの会話を聴いていくうちに心が揺らぎ始め、ドライマンが弾いたピアノソナタを耳にした時に彼の感情の壁が崩壊し・・・

 

オープニングから、シュタージによる、反体制人物への厳しい詰問の講習シーン。

狭い部屋に閉じ込め、厳しい詰問を48時間ぶっ通しで行い、告発の対象者の名を言わせるマニュアル化されたその手法にまず恐怖を覚える。

そして、冷徹なその講習を行っているのが、ピアノソナタを聴いて感情を揺さぶられることになるヴィースラーなのだ。

盗聴の仕方も、大掛かりなのにとても緻密で、盗聴をされているのに気づいたドライマンが、その張り巡らされた配線をはがしていくシーンは、人生の過去がすべて崩壊していく様をメタファーしているようで、彼の気持ちと同様、観ている我々にも戦慄が走る。

 

当たり前に生活している中に深く入り込んでいる密告者の存在に、人々は畏怖の念を抱きながら暮らしていかなければならない。

安易に軽口も叩けない社会。

誰も信用できない。

恋人への愛情も疑惑に変わっていく絶望。

 

ベルリンの壁が崩壊した後、ドライマンは、かつて東ドイツ国家が監視対象者を記録した「シュタージ・ファイル」で自らの記録を確認するのだが、ヴィースラーによって作成されたそのファイルを見た彼は、ここでプライバシーの暴露に関する怒りよりも、何故か郷愁に近い感情を覚える。

そして観客も彼に同調し感情が昂る。

 

しかし、そのファイルの中で、ドライマンがどうしても解けない暗号があった。

 

そして、その暗号が解けたとき、物語は最高に素晴らしく感動的なエンディングを迎える。

本当に素晴らしい。

 

社会主義による管理社会に迎合しながらエリートコースを歩んできたヴィースラー。

しかし、その心の中にほとばしるほどの豊潤な感情を持っていたという難しくも崇高な役を演じきった、ウルリッヒ・ミューエの演技は、最大限の賞賛に値する。

 

この演技で彼は燃え尽きたのであろうか。

本作公開約一年後に彼は54歳の若さで急逝してしまいます。

 

 

『善き人のためのソナタ』Das Leben der Anderen(2006)

独=137分

2007年(平成19年)2月日本公開