ビリー・ワイルダー監督。
「私は芸術映画は作らない。映画を撮るだけだ」と明言し、生涯、娯楽映画に徹した職人監督。
その作劇は後世の映画人に影響を与え続けています。
緩急自在とはまさにワイルダー監督の演出を指すものではないかと言えるくらい、
笑わせ、泣かせ、驚かせてくれます。
キャリアの中期~からは、
興行的成功もあってロマンティック・コメディの名手として認知されることが多くなりましたが、
初期作品にみられるような社会派の作品も実に面白く作り上げてくれます。
そんなビリー・ワイルダー監督作品を続けてレビューしていこうと思います。
まず、1回目の今回は、監督キャリア5作目、
『失われた週末』のご紹介です。
アルコール依存症、いやもはやアル中の男が、
酒のせいで金も才能も失ったのに懲りずに酒を求めて街を徘徊する物語。
このストーリーのどこに面白みを感じることができるのかと私のような凡人は考えるのでありますが、
さすが作劇の天才、ワイルダー監督は売れない小説家である主人公ドーンの創作物語の中に、
虚実交えながら主人公の転落物語を描き出した。
オープニングのニューヨークの街の俯瞰のシーン。
カメラがパンしてきて、
主人公の棲むアパートの窓から酒瓶がぶら下がっている。
そして冒頭の恋人や兄とのやりとりで主人公は一時的に酒を止めているのだけれども、
隙あらば酒を飲んでしまうに違いないという緊迫感を観客に与える。
兄は旅行に弟ドーンを連れ出して本格的に断酒をさせようと計画するが、
酒を飲みたいドーンの欲望の方が強く、
うまい理由をつけて旅行へは行かず、
兄の隠し金をくすねては街へ飲みに出かけてしまう。
ここからドーンの地獄めぐりが始まり、
窃盗したり、自分の夢の象徴だったタイプライターを質入れするのに奔走したり、
さらには酔って階段から転落して強制的に治療施設に入れられて、
目の前で他の患者が禁断症状で狂っているさまを見せつけられてたりする。
このあたりの描写も一筋縄ではいくことなく、
たとえば、タイプライターを質入れするために質屋を巡っても、
宗教上の理由でどこの質屋も開いてないところなど主人公をどん底に突き落とす展開がうまい。
さらには自分で部屋に隠しておいた酒の場所まで忘れてしまうほど依存度が高まっている様子も、
緊迫感が盛り上がる。
上着に隠しておいた酒瓶、
街を歩くとやたら目に付く酒、
遂には人の姿まで酒に見えてきてしまうところなど、
ワイルダー監督の演出が冴えまくっているんですよね。
とてもシリアスな展開で、
終盤、小動物がうごめくシーンなどはホラー作品と見紛うような演出なのに、
主人公が吸うたばこの向きがいつも反対で、
恋人が毎回咥えなおさせるシーンをちょこっと挟むことで笑えるシーンを入れてくるところがニクイんだよね。
兄はドーンの飲酒をやめさせるために、
街の酒場では絶対にドーンに酒を飲ませるなと言っておいたのに、
ドーンが金を持っていると酒を飲ませてしまう酒場の主人。
恋人もドーンの酒を止めさせるのに必死。
両親に合わせる段取りまで取っていたのに直前で逃げる男。
そして自分の自信の無さからまた酒に溺れるような男なのにね。
ワイルダー監督は、
この主人公ドーンの弱さを徹底的に晒しだします。
本当にダメ人間だと思いますし共感もできないのですが、
ラストで希望を取り戻したようにみえますように描くんですよね。
でも、どうなんでしょう。
この主人公はまた繰り返すような気がしてなりません。
そう深読みさせるのもワイルダー監督の狙いだとは思うのですが。
幕が下りたと同時にホッとするのとともに、
アルコール依存症の怖さがジワリと残る問題作です。
見だしたら時間を忘れて一気に観終わってしまうこと必至。
第18回アカデミー賞では、
作品賞、監督賞、脚色賞、主演男優賞を受賞。
『失われた週末』The Lost Weekend(1945)
ビリー・ワイルダー脚本・監督。
101分