今回は、広島県の三次高校です。
http://www.miyoshi-h.hiroshima-c.ed.jp/
三次市は広島県の北部、”備北”と呼ばれる地域の中心都市です。
中国山地の山あいに位置し過疎地にある中で、庄原市とともに人口密集域のひとつでもあります。地理上島根県との結びつきも強く、以前はJR三江線が運行されていましたが平成30年春に全線廃止されてしまいました。
三次市の中心部は、北から西城川、東から馬洗川、南から可愛川(えのかわ)が”三つ巴”のような形で合流してくる全国でも珍しい地域です。ここから江の川となって北流し島根県で日本海に注いでいます。このため”巴峡”とも呼ばれ、400年以上の歴史がある鵜飼いや桜堤の花見、花火など伝統的な行事が多いです。
また、町のある三次盆地は地形上霧が発生しやすく、3本の大きな川から立つ多量の川霧と相まって深い霧となるようです。周囲の高谷山や岡田山など高所から見るとまるで海のように広がり、山々が小島のように浮ぶ様から「霧の海」と呼ばれる幻想的な風景が見られます。
秋から早春にかけての寒い朝、概ね晴れの日が好条件のようですね。高谷山には霧の海展望台があり、絶景を見るために人が集まる観光名所となっています。
詳しくはこちら→三次市・巴峡みよし 霧の海に抱かれて美の余韻にひたる
このような県北の町に、明治31年に広島県第三尋常中学校として創立されたのが最初です。
その後、数年の内に広島県立第三中学校、三次中学校と改称していて、どれも”三”がらみのためか通称”三中”と呼ばれていました。
旧制三次中の校歌は作詞:三次中学第一期生徒 曲は一高寮歌を借りて歌っていたそうです。制定は明治36年です。
旧制・三次中 初代 (全6番)
比叡尾の山の曙に
紅匂ふ 花霞
比熊の紅葉 錦繍の
裳によする 霧の海
万岳の翠 たたへきて
巴描くや 三つの川
美しき巴峡の片ほとり
建てるは 三次中学校
2番「記せよ偲べよ我が校は、明治三十一の春、動かぬ基建てしより…齢重ぬる百二十年」は、創立(1898年)から現在までの経年数が入るそうです。この部分は毎年変わるようですが、日常は歌う機会はあまり無いのではないでしょうか。
3番には剣道、テニス、柔道、野球などの部活動と思しき詞が入っています。旧制時代には、こういった活動や行事を歌ったものも少なくありませんね。6番は江の川が歌われ、源流から日本海に勢いよく流れていく様を学生の向上の姿になぞらえ未来は希望に満ちていると解釈できます。
ところで、公式HPの校歌ページには三次中学校の”もう一つ”の校歌が準備中とあります。
広島遠征で知ったことですが、確かに旧制三次中にはもう一つ校歌がありました。初代校歌は曲が借り物だったこと、詞も個人主義的だと批判されたために新しく作ったのだそうです。
作詞:風巻景次郎 作曲:高田信一で、昭和16年制定です。
明治36年に初代、昭和16年に二代目というのは奇しくも前回の長岡高校(旧制長岡中)と同じです。しかしこちらは戦後は同窓会で歌われるのみでしょうか。
旧制・三次中 二代目 (全3番)
空は高し 比叡尾
あきらなり 窓の眺め
剛健 意気は昂る
まさにこれ 質実
校運 窮みあらず
いよよ勉め励まむ
我等 勉め励まむ
もうひとつの源流である三次高等女学校は、明治41年に双三(ふたみ)郡立技芸女学校として開校、大正10年に三次高等女学校と改称しました。
三次高女の校歌は作詞:風巻景次郎 作曲:高田信一で、これは三次中2代目と同コンビです。高女のほうが先に作られたと思われるのですが、制定年は不明です。
旧制・三次高女 (全2番)
足引きの山麗はしく
巴なす 流れも清き
みよしのに そゝる学屋に
撫子の友垣むつぶ
学制改革で旧制三次中が三次高校に、三次高女が三次西高校になったあと昭和24年に統合されて新制・三次高校になりました。平成31年には校内に三次中学校も併設開校、中高一貫教育を始めました。
三次中・高校の校歌は作詞:井上三喜夫 作曲:戸塚烈で制定年は不明です。
三次中・高校 (全3番)
若きもの われらあかるく
みどりなす 山を仰ぎて
いざともに つとめ学ばん
霧はるる 日々あたらしく
輝くは 高き理想ぞ
栄えあれや 三次高校
これら4つの校歌に共通して出てくるのは、やはり三次の象徴”巴峡”と”霧”です。
三中初代「裳に寄する霧の海」「巴描くや三つの川」、 三中二代目「霧は海と深く…」「水は描く巴」、 三女「巴なす流れも清き」、 三高「霧はるる日々あたらしく…」「巴なす流れをくみて」など、三次周辺の人々にとっては身近な存在だからでしょうね。
以上が明治36年制定の校歌紹介でした。
これ以外にも見つかる可能性は否めないのですが、それはそれで後日改めて紹介することもあろうかと思います。