校歌の広場 -22ページ目

校歌の広場

高校の校歌についていろいろ書き綴っています。
高校野球でも流れたりする、校歌の世界は奥深いですよ~

第20回大会優勝校は呉港中学校でした。

第21回大会優勝校は松山商業学校でした。
今回は、愛媛県の松山商業高校です。

愛媛県では最初期の大正8年からコンスタントに出場している名門校で、松山商としては春16回・夏25回の計41回出場、昭和25年夏の松山東時代を含めると春2回・夏5回の優勝と4回の準優勝と四国トップの戦績を誇ります。また大正・昭和・平成の3つの時代全てで優勝している全国唯一の学校、通算勝利数は76勝で歴代5位となります。
特に夏に強く勝利数、勝率とも最高クラスにあるため「夏将軍」と呼ばれています。昭和44年夏は青森・三沢高との延長18回引き分け再試合、平成8年夏は「奇跡のバックホーム」で話題になりました。

松山城の東南部、松山市きっての繁華街でもある大街道商店街に近い旭町にあり、松山東高校や国立愛媛大学も近距離にあります。
明治35年に愛媛県最初の商業学校として開校し、明治39年に松山商業学校と改称しました。
学制改革で総合制の松山東高校の商業科に統合されましたが、昭和27年に分離独立して松山商業高校となり現在に至ります。
校歌は作詞、作曲とも服部寛一で初の全国大会出場と同年の大正8年制定です。
松山商 (全3番)
 石鎚の山 伊予の海
 金亀城頭 春深く
 緑の旗や 商神の
 もすそに匂ふ百千草
 秋万頃の波打てば
 空に黄金の響きあり

冒頭の「石鎚の山」は「せきてつのやま」と歌います。愛媛県の霊峰・石鎚山は近畿以西では最高峰で、別称「石鉄山」とも表記されるようです。
石鎚山と伊予灘、それに臨む松山城のもとに緑の校旗をかざす学校環境の春秋を端的に表しています。

2番は応援歌「仁喜多津」にも似たようなくだりがあることから、これは室町時代の水軍かいわゆる"倭寇"と呼ばれる集団のことと思われます。
倭寇は海賊の一面が強調されがちですが海商を生業とする貿易商人の集団でもあり、瀬戸内や九州の大名の比護のもと中国から生糸、書経、金銭、磁器などを輸入していたとされます。
胡蝶の陣」は倭寇が得意とした戦法、「四百余州」は中国本土を指すようですが「海将」とは誰なのでしょうか?有名なのは王直と呼ばれる人物で、16世紀半ば頃に北九州密貿易を行う倭寇の頭目となり中国南部沿岸を荒らし回った後処刑されました。この後日本、中国とも倭寇に対する厳しい規制や取り締まりを開始、「波に沈みし夕陽の、光は水に亡びんや」と歴史から消えることになります。
もちろん王直の確証はなく、学校史などで真相を確かめてみないことには…という感じですね。

3番はイオニヤアフリカが歌われています。
イオニヤはイオニアとも言い現在のトルコ周辺を指し、時代は違うものの香料やシルクロード貿易で栄えたオスマン・トルコ朝の商業に言及したものでしょうか。
アフリカは古くはアレクサンドリアカルタゴの地中海貿易や中世には金、象牙などの交易が盛んでした。こうした例を出すことで我が国も通商貿易を有利に進めて国富を増さんと教えています。
似たような表現は高知商佐世保商などにも見られます。

第15回、16回は広島商業学校が史上2度目の夏連覇を成し遂げました。

 

そして第17、18、19回と今度は史上初にして現在でも破られていない栄光の三連覇を達成したのは中京商業学校でした。

今回は、愛知県の中京大中京高校です。

https://www.chukyo.ed.jp/

 

戦前・戦後から現在に至るまで、愛知県の「私学四強」の一角また全国屈指の強豪として名を馳せる名門校です。

その戦績は凄まじく、中止になった今春を含めて春31回・夏28回の甲子園出場、通算勝利数133勝春夏計11回の優勝は全国最多、そして夏の大会3連覇・春夏連覇・夏春連覇を達成している唯一の学校です。

春夏とも初出場は昭和6年ですが、春は準優勝、夏は三連覇の初年なので、最初から全国にも引けを取らない強豪だったことがわかりますね。

 

名古屋市の中央からやや東の昭和区川名山町に位置し、名古屋城から南東に向かう飯田街道沿いに1kmほど離れて中京大学が、また大学の近くには「センバツ発祥の地」八事山本球場跡地があります。最寄り駅は地下鉄鶴舞線・いりなか駅です。

 

大正12年に水戸学ゆかりの教育者・梅村清光氏によって中京商業学校が創立開校しました。ちなみに同年に東邦商業学校(現・東邦高校)も開校しています。

開校当初から野球部にかける熱意は高かったようで、当時の強豪校だった愛知一中の受験に落ちた生徒に梅村校長自ら入学を呼びかけるなど熱心な活動の甲斐あって有力な選手が集まるようになり、昭和6年に初出場を果たしています。

創立当時は昭和区鶴舞公園の東側、現在の名古屋工業大学の敷地にあったようです。


最初の校歌は作詞:石田元季で曲は一高寮歌「アムール川の流血や」を拝借したものでした。制定年は不明ですが、創立間もなく制定されたとあるので大正晩期頃でしょうか。
旧制・中京商 初期校歌 (全9番)
 見よ中京の文化の野 鶴舞ヶ丘の東に
 燦然として黎明の 空に輝く明星を

 

その後、20年も経たずに新しい校歌が制定されます。作詞:佐佐木信綱 作曲:弘田龍太郎で、昭和15年制定です。

きっかけは学園史にはありませんでしたが、西暦1940年(昭和15年)が初代神武天皇の即位から2600年目に当たるとされた”皇紀二千六百年”だったため、その記念事業として新たに作られたというのが有力かと思います。
旧制・中京商 (全4番)
 こゝ鶴舞丘 東海の 大都名古屋の東に
 中京の名を負ひもちて 城と守る我が学の舎
 牙籌にかざす真剣味 見よ躍進の先輩の業績

 

牙籌(がちゅう)」とはそろばんのことで、「牙籌を執る」はそろばんをはじく、転じて商業教育を表しています。「見よ躍進の先輩の業績」は、既に夏三連覇や夏春連覇を成し遂げていた野球部の活躍を輝かしい業績として歌ったものでしょうか。

 

終戦直後の昭和21年に昭和区鶴舞から同区川名山の現在地にへ移転し、学制改革で中京商業高校となりました。この川名山の校地は、戦前は同校の野球グラウンドとして使用されていたそうです。

昭和42年に普通科を併設して中京高校と改称、平成7年には創立以来の商業科を廃止して普通科のみとなり中京大学の附属高校として現校名に改称、現在に至ります。

校歌は佐佐木信綱氏のものを大部分手直しして現在のものになりました。
中京大中京 (全4番)
 ここ八事山 東海の 大都名古屋の東に
 中京の名を負いもちて 城と守る我が学の舎
 凜乎とかざす真剣味  見よ躍進の先輩の業績

 

冒頭の地名は、戦中当時の所在地だった「鶴舞丘」から「川名台」に、さらに中京大学などを併せ持つ総合学園として梅村学園本部のある「八事山」と換わっています。

歌詞をまったく変えずに小変更に留めているところから、”改訂”は佐佐木信綱氏自身によるものでしょう。他にも4番「商報国の大使命…今や興亜の日は昇り、あまぎる狭霧なぎ拂ふ、霊異神劔かしこみつ…」が「平和文化の大使命…瑞雲なびき日は昇り、あまぎる狭霧なぎ払ふ、奇しき御剣かしこみつ…」となるなど戦中戦後によって違いが見られます。

全部で4番構成ですが、最近は2番までしか歌われないというのは本当でしょうか?

 

学術とスポーツの真剣味の殿堂たれ」のモットーのもと、硬式野球部のみならず他にも様々なスポーツ分野で活躍する部活動が多いことで知られています。

インターハイで男女総合優勝や連続優勝があり五輪選手を5人も輩出したフィギュアスケート部、全国大会優勝経験のある陸上部ハンドボール部相撲部、全国大会出場16回のサッカー部などなど、高いレベルを維持しようと切磋琢磨しています。

進学面でも約半数が中京大学に進学する他、名古屋大学や岐阜大学など地元の大学進学が多い傾向ですが、早慶や関関同立にもコンスタントに合格者を出すなどまずまずの実績があるといえましょう。

東京からもうひとつ、国会図書館にも遠征したことがありますので紹介します。

皆さんは「国立国会図書館」と聞いて、どんなイメージを持つでしょうか? 私は学生の頃は国会議事堂で行われる国会の歴々の議事録や公文書、様々な公的資料などが収められている非常に堅苦しい図書館かなと思っていました。厳しいセキュリティがあって出入りできるのも官公庁や公人が殆どで一般人には敷居が高いところ…とも。

 

実際は都道府県や市町村単位の公立また大学図書館などの私立とは違い、”納本制度”に基づいて日本国内で出版されたすべての出版物を収集・保存する日本唯一の法定納本図書館、とされています。「真理がわれらを自由にする」という基本理念のもと、名称に”国会”と付いてはいますが”国立中央図書館”の役割として一般人にも開放しているということですね。

”全ての出版物を所蔵している”ということは過去に出版された書籍などは全て存在しているはずなのですが、発行者が納本制度を知らないために納本されていないなどの理由で漏れているものも多いようです。それでも現在の蔵書数は東京・関西・国際子ども全体で4500万点に及ぶそうで、さすが国立図書館だと感心します。

 

国会図書館遠征は3年前だったと思います。予備知識が少なかったのでとりあえず日帰りでどれだけ調査できるか、くらいの気持ちでしたね。

新幹線で東京駅へ、東京メトロ丸ノ内線に乗り換えて国会議事堂前駅で下車。地上に上がると周囲は物々しい雰囲気の建物が建ち並び、少し歩くと国会議事堂が堂々と建っているのが見えます。衆参議院会館、首相官邸、最高裁判所なども集まる永田町の中心地だけあって、そこかしこに警察官や衛視と呼ばれる警備員が居ました。それらを横目にさらに北上すると交差点の右手に国会図書館があります。

国会図書館にある本のほとんどは書庫にあり、利用するにはまず利用者登録が必要です。
本館と新館があるのですが、初めて利用するときは新館入口で登録申込書と本人確認書類(免許証や保険証など)を提出して登録カードを作ってもらい、そのカードで端末や閲覧申込、複写・プリントアウト申込などで使用する仕組みです。
PC端末が並んでいるスペースと純粋に資料を読むための閲覧室があるのですが、私はPC端末のほうを利用しました。空いている利用者端末にカードを差し込むと起動し、席を離れるときはセキュリティのためにカードを抜いて携帯する、という感じです。端末は検索も兼ねていて気になる本があればオンラインで机に居ながら閲覧申込ができるのは良いのですが、本が到着するまでにけっこう時間が掛かりました。私のように何冊も借りて返す傾向の人には向かないかもしれないです。
結局資料を読む時間と返却→次に借りる間の時間が半々といった感じで終わってしまいました。学校史の数は多いのですが、調査する時間との効率(タイムパフォーマンス?)を考えると少しどうかな?と思うところがあります。

国会図書館で有効となるのは”校歌集”でしょうか。国会図書館オンラインで所蔵されている北海道から宮崎までの県単位の校歌集や作詞者・作曲者の作品集を閲覧申込すれば、かなりの数がカバーできるはずです。

都立中央図書館と同じく時間を気にしなければ全国でも最高レベルの図書館でしょう。

 

国立国会図書館 (1回訪問)

アクセスのしやすさ… 最寄り駅はいくつかありアクセスは良好です。東京メトロ有楽町線・永田町駅、半蔵門線と南北線・永田町駅、千代田線・国会議事堂駅。いずれもそれほど距離はありません。

所蔵本の充実さ… ”全ての本がある”だけあって学校史、校歌集とも豊富です。

所蔵形態など…○ 基本的に書庫所蔵のため書庫申請。コピーは可ですが混雑具合によっては少なくとも10分以上は待たされます。

東京都は言わずもがな日本の首都であり、人口も5月に都全体で初めて1400万人を突破するなど全国的な人口減少の流れにあって一極集中化が進んでいるようです。

明治初期はまだ100万人にも満たず、人口統計上では日本海側の新潟県や石川県(富山・福井の一部を合併時)、果ては島根県(鳥取合併時)が上回る時期もあったそうです。明治26年に”三多摩”が編入された頃に全国トップとなり、関東大震災や太平洋戦争での大幅な人口減があったものの戦後は急激な増加の一途をたどり、今日まで人数・密度とも全国一ですね。

 

さて、全国一の人口を擁するからには学校の数も膨大なものとなるのは当然なのですが、東京都の高校は何校くらいあるのでしょうか?

昨今の少子化の影響で東京都下でも統廃合・単独廃校となったものも含めれば600校は下らないのではないかと思います。更に旧制の学校でも戦後高校になったところと経営事情で廃校せざるを得なくなったところ、戦争中の度重なる空襲などで壊滅した学校もあるわけです。

これらの学校の全てに校歌があったかどうかは全容不明ですし、資料が失われてしまったところも少なくないようです。こうした所在不明の学校・校歌に関しては東京だけでなく他地域にも言えることですが、数回の調査で把握できるものではありませんので粘り強くやっていくしかないでしょう。

 

遠征前の時点で判明していたのは400校弱ほど、旧制も含めれば更に100曲くらい増えるでしょうか。その一方、公式HPや同窓会HPなど検索手段を尽くしても判明しない学校も数多く存在します。これらの”公開されていない校歌”が今後ネットに載る確率は多くなく、やはり現地調査が必要と感じた次第。

東京には2度遠征していますが、純粋に東京都下の校歌目的はまだ1回だけです。今回はその経験を振り返ってみたいと思います。

 

東京都の図書館で有名なのは国立国会図書館ですがこれは次回の記事で紹介するとして、今回の遠征では都立中央図書館を選びました。都立多摩図書館もありますが場所(国分寺市)が遠いこと、中央図書館のほうがアクセスが有利なこと、蔵書が充実していることや地域資料はこちらに集約されているらしいことからです。

 

東京遠征は2年前の冬に2日間で行いました。例によって東海道新幹線に乗って品川駅で下車、山手線に乗り換えて恵比寿駅下車。ここから東京メトロ日比谷線で広尾駅という手もありますが、時間があるので徒歩で行くことにしました。中央図書館のある有栖川宮記念公園は、恵比寿駅から明治通りを東進して天現寺橋信号を左折して北に少し行ったところにあります。

公園内の池やちょっとした森を抜けると白い建物が図書館です。

 

午前10時に開館、今回は主に歌詞不明の学校が中心なので、事前にある程度決め打ちしていた学校の資料を読むわけですが…ここは学校史、学校要覧はすべて書庫、さらに複写(コピー)も不可という最悪のパターン。館外貸出は行っていないなど「普通」の図書館とは違ってルールも厳しいのかもしれませんが…時間制約がある以上書写しかないというのはキツいものです。

結局2日かけて調査できたのは110校ほど、書写はちょうど100校でした。予想よりは少ないと言わざるを得ませんが、腰を据えて調査するにはもはや短期移住なりしたほうが良いのかなとも思います。とはいえ今は東京を始めコロナ禍の第二波で今後の見通しは全く立っていません…

この1週間もステイホームで終わりそうです。過去の遠征分を一気にまとめてPCに取り込む作業でもしましょうか。

 

東京都立中央図書館 (1回訪問)

アクセスのしやすさ… 最寄り駅は東京メトロ日比谷線広尾駅下車、数分です。山手線恵比寿駅からは東方に歩いて20分ほどです。

所蔵本の充実さ… 学校史はさすがに全て網羅してはいませんが豊富です。学校要覧もかなりあるようです。

所蔵形態など…△ 校史は書庫にあるため申請ですが意外と待たされました。コピー不可。

 

第12回大会の優勝校は静岡中学校でした。
https://ameblo.jp/hakutsuru45/entry-12456280127.html
第13回大会は元号が昭和になって最初の大会となり、前回紹介した高松商業学校が再度優勝しました。

第14回優勝校は松本商業学校でした。
今回は長野県の松商学園高校です。

現在でも長野県を代表する野球の強豪校で、県下最多の甲子園出場数を誇ります。
春16回・夏36回の計52回で優勝はこの時だけですが、準優勝は平成3年春を含め3回です。準優勝時の決勝の相手が全て広島県勢というのも面白いですね。

松本市は長野県の"中信"地域の中心部で、国宝五城・現存十二天守のひとつ松本城の城下町として有名な町です。
学校はその松本城の東南部の県町にあり、すぐ北にあがたの森文化公園があります。この辺りは昔は"清水"と呼ばれ、槻井泉神社の湧水に由来すると言われています。
ちなみに、以前紹介したエクセラン高校も200mと離れていない近距離にあります。

明治31年に木澤鶴人により私立戊戌学会として創立され、明治35年に商業学校となったものの経営は苦しかったのですが明治44年に再建して松本商業学校と改称しました。学制改革で松商学園高校となって現在に至ります。
現在の校歌は作詞:高野辰之 作曲:信時潔で昭和4年制定です。
松商学園 (全3番)
 雄々しき連峰 四表に聳え
 瑠璃なす清流 平野に通ふ
 天寵傘下の 形勝占めて
 健児我等は 清水が丘に

特定の山や川ではなく「連峰」「清流」と歌うのは、松本の雄大な自然を大局的に捉え2番「高かるべきは、清かるべきは、朝夕親しむ自然に学び…」に繋げていくためのものではないでしょうか。
清水が丘」は上記のように清水に所在する学校のことです。

近年では松本松南高校を吸収合併、松本秀峰中等教育学校を開設しています。
松本松南高校は昭和16年に松本女子実業学校として開校、学制改革で松本松南高校(女子校)となりましたが次第に生徒数が減少し平成10年に松商学園と合併、わずか3年後に閉校しました。
作詞:北見紫蘭 作曲:今井光也で制定年は不明です。
松本松南 (全3番)
 光に映ゆる アルプスの
 雪の山脈 仰ぎつつ
 自主独立の 理想もて
 真実の道を ひたすらに
 いざや我が友 学ばなん