今回は、滋賀県の八日市高校です。
http://www.youkaichi-h.shiga-ec.ed.jp/
東近江市は琵琶湖の南東部に位置し、平成17年に八日市市他4町が合併して成立した比較的新しい市です。翌年にも2町を編入していて旧・能登川町域によってぎりぎり琵琶湖に面していますが、概して山がちの市といえます。
旧・八日市市を中心とし、五個荘町付近は日本三大商人のひとつ”近江商人”発祥地とされます。といっても湖東の五個荘だけでなく八幡、高島にも商人輩出の下地はあったようです。滋賀県商業学校(現・八幡商業高校)が大津から八幡に移転したのは八幡商人の活躍地だったことも関係しているのでしょうか。
学校は八日市の中心部からやや東、近江鉄道本線八日市駅から東へ600mほどに所在しています。
学校の歴史はいつから始まったのかというのは少々あいまいです。公式HPの沿革では明治40年設立の神崎実業学校を源流とするようですが、これは神崎商業学校~神崎農業学校を経て現在の八日市南高校(農業課程の高校)に連なるものではないかと思います。もちろん一時期八日市高校に統合されていたので無関係ではありませんが。
本流としては大正9年に開校した八日市中学になるのではないかと思います。
八日市中(八中)の校歌は作詞:近藤政市 作曲:青木三好で昭和2年制定です。
旧制・八日市中 (全4番)
東近江の春のかぜ
若き緑の萌ゆるとき
眞理と理想に憧れて
クロバーの園に団欒する
吾等に高き希望あり
これ以前に創立当初の校長による「夫れ秋津洲に霊湖あり…」で始まる”間に合わせ”の歌があったそうですが、なぜか歌わせない方針を取ったためにあまり知られていないようです。
戦後、滋賀県の教育界は激動の時代に入ります。まず昭和23年の学制改革で八中と神崎農業を統合して神崎高校になりました。八日市周辺が神崎郡だったことからの命名でしょうか。
翌年には俗に”九高校プラン”と呼ばれる大合併が行われました。これは当時人口約90万人だった滋賀県を10万人規模の9地区に分け、それぞれを1学区として総合制高校を1校設置する名目の再編成で、神崎高校も隣の愛知郡にあった愛知高校と統合して神愛高校となりました。さすがに10km近く離れているため校舎も統合はせずそれぞれ八日市校舎、愛知校舎の2校舎体制としていました。
しかしこの”九高校プラン”は機械的な学区分けによる通学の不便さ、学区ごとの学力レベルやスタッフの格差、校舎が別々の場合式典や行事の共同開催が困難なこと、実業課程のアンバランス化等々の問題が出てきたために方針を転換、昭和26年度から各地で分離独立が相次いでいます。神愛高校も同年に分離、八日市高校として独立し現在に至ります。昭和49年に農業部を八日市南高校として分離しました。
ちなみに”9高校”時代に校歌を制定したのは大津高校と長浜高校だけです。あとは湖北高校虎姫校舎が旧制虎姫中時代の校歌を”校舎歌”にしていたくらいで、神愛高校など多くは先の見えない混乱からか制定されませんでした。
独立後から校歌作成の機運はありましたが、決定的なきっかけは昭和28年夏に野球部が甲子園出場したことに端を発するそうです。当時まだ独立直後で「校旗も校歌も無かったため陰口を叩かれる屈辱があった」と学校史にあります。
校歌は作詞:小野十三郎 作曲:清水脩で昭和31年制定です。
八日市高校 (全3番)
雲はゆく 鈴鹿のかなた
かんばしき 土のかおりの
みどりはゆ 園を歩めば
ふりそそぐ 光の中は
さかんなる 木々の芽吹きだ
しろがねの 若木のように
萌えいずる われら
ああ わが母校 「八日市」
小野氏は大阪に在ってこの詞を作ったようですが、これまで作った校歌の中で八日市は良くできた作品のひとつと自己評価しています。図書新聞のコラムで「自校(大阪府立天王寺高校、氏は天王寺中OBだった)の校歌をきっかけに校歌作詞を依頼されるようになった。…学校から先生が来られて滋賀県の地図やいろいろな資料を説明され、私はその資料だけを基に作ったのだが、実際に訪問して作った校歌よりも上手く出来ていて大いに気を良くした。これはやはり”イマジネーション”の勝利だろう…」と回想しています。
3番は夜の情景を歌っていますが、これは学校の資料に「定時制課程を設置」とあったのを苦心して表したものだそうです。実際は夜間ではなく昼間定時制だったので、「それなら学園をめぐる夜の情景で、と仰られた」そうです。
同じ3番の「甘棠の丘」、旧制にも「棠陵」とあるのは学校敷地の北東隅に展開する樹苑、”甘棠園”を指します。元々は校地に無かったのですが、学校景観や生徒たちの憩いの場にしたいとする県知事の表明によって編入されたと言います。由来は詩経「国風」の中の”甘棠の詩”から採用、その意味を八中精神の拠り所としたと伝えられています。現在も保護樹林の指定を受けて保存されています。
高校野球では、昭和28年夏に京滋代表として出場していますが初戦敗退でした。上記のようにこの時をきっかけに校旗、校歌作成が進んだことは同校のひとつの歴史といえましょう。