鹿児島県私立 志學館高等部 | 校歌の広場

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高校の校歌についていろいろ書き綴っています。
高校野球でも流れたりする、校歌の世界は奥深いですよ~

今回は鹿児島県の志學館高校ですが、正式名称は志學館中等部・高等部で中高一貫校です。

https://www.jh.shigakukan.ac.jp/

母体の志學館学園は志學館大学、鹿児島女子短期大学や附属幼稚園をも包括する総合学園でもあります。

千葉県木更津市にも甲子園出場経験のある同名の志学館がありますが関係はありません。

 

鹿児島市街から南にやや離れた南郡元町にあり、最寄り駅はJR指宿枕崎線・南鹿児島駅になります。

隣の志學館大学からは桜島や錦江湾が望めるので、中学・高等部も同じ光景でしょう。建学精神の”月雪花”の教えは共学化した現在でも女性的な表現を超えて人としての在り方、人の美しい生き方を表すものとされています。

 

昭和62年にまず中学校に相当する志學館中等部を、その卒業生が出る平成2年に高等部を開設して中高一貫教育を開始しました。平成11年には鹿児島女子大学を志學館大学に改称しているので、ある意味中高大一貫校ともいえそうです。

ちなみに学園名の由来は、論語の「吾十有五而志于學(吾十五にして学に志す)」から取ったそうです。

校歌としては志學館学園歌と独自の生徒歌の2つがあるようなので、まとめて紹介します。式や行事などでは生徒歌のほうがメインでしょうか?

志學館学園歌は作詞:春山要子 作曲:田中義人です。

学園歌 (全3番)

 丘の上 花の影やさし
 みどりも深き 南に
 清き流れぞ 覚世の
 鐘 神韻のひびきあり
 けだかき伝統 承け継ぎて
 生きんかな 朋友
 われらが学園 常永久に

 

志學館生徒歌は作詞:九万田哲哉 作曲:竹元雅昭です。

生徒歌 (全3番)

 南風薫る 紫の丘

 志學の心 漲りて

 集いし我らの 理想は高く

 いざや求めん 真理の道を

 

生徒歌「紫の丘」とは校地が紫原台地と呼ばれる高台に建つことからです。このあたりは西南戦争の中でも激戦地となったところで、官軍の勝利に終わっています。

鹿児島女子大学~志學館大学は、現在地に移転する前は県北部の霧島市にありました。学園歌の「鐘神韻のひびき」の由来は定かではありませんが、霧島キャンパス跡地の近くに鹿児島神宮があるのでそこに関連しているのではないかと。鹿児島神宮は神代創建とされる大隅国一之宮であり、また境内にある大隅正八幡宮も由緒があり宇佐八幡宮の別宮でもあったことから格式も相当高いものでした。

 

志學館学園の源流は、鹿児島県の私立女子高校としては古い歴史を持つ鹿児島実践女子高校を前身としています。こちらはJR鹿児島中央駅近くの市街を流れる甲突川沿いに所在していました。

明治40年に鹿児島女子手芸伝習所として開設され大正15年に鹿児島高等実践女学校に改称した後、学制改革で鹿児島実践女子高校となりました。系列校で鹿児島女子短期大学はありましたが、昭和54年に別途鹿児島女子大学が開学するとその附属校として鹿児島女子大学附属高校に改称、さらに学校法人を志學館学園に変更に伴い鹿児島学芸高校に改称しましたが、志學館に一本化するためか平成18年に廃校となりました。

校歌は作詞:宮内郁子 作曲:近森出来治で昭和10年頃の制定とされます。これ以前にあったかは判明していません。

鹿児島学芸高校(全3番)

 紫映ゆる 桜島山

 潮は清き 錦江の海

 さやけき姿 こころにうつし

 婦徳を磨かん 少女子われら

 

鹿児島学芸高校は最後まで女子校だったので校歌を変えることはありませんでした。ちなみに歌詞は東京の実践女子専門学校校長の下田歌子女史の推奨とされるので、校閲でもされたのかもしれません。2番に歌われる撫子は校章でもあり、学校の建学精神を表したものだそうです。

この他に上記の学園歌も歌われていたそうです。

 

生徒数は中高合わせて500人ほどと多くなく野球部も連合を組まざるを得ないくらいですが、東大京大をはじめとして九州を中心とした国公立大学進学など実績を挙げています。

鹿児島県の私学の中でも伝統と新興を併せ持つ学園として存在感のある学園です。