愛知県私立 東邦高等学校(高校野球優勝校・戦前シリーズ選抜編 その2) | 校歌の広場

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高校の校歌についていろいろ書き綴っています。
高校野球でも流れたりする、校歌の世界は奥深いですよ~

春の選抜中等学校野球大会、第8~10回大会の優勝校は順に広島商、松山商、岐阜商でした。

 

第11回大会優勝校は東邦商業学校でした。

今回は、愛知県の東邦高校です。

https://www.toho-h.ed.jp/

 

以前紹介した中京大中京と並び愛知県の「私学四強」の一角を占める強豪校で、全国でも有数の名門校です。

春の東邦」と呼ばれるように、戦前戦後を通して選抜大会のほうが出場・戦績とも夏を上回っています。春30回・夏17回の計47回出場、夏は昭和52年の準優勝1回ですが春は平成31年(5月から令和のため)を含め優勝5回、準優勝2回で、通算勝利数は75勝で歴代6位となります。特に春の優勝5回は全国最多を誇ります。

奇しくも平成初と平成最後の大会を優勝で飾ったことでも話題になりましたね。

 

名古屋市の東、名東区平和が丘にある学校で100年近くの歴史があります。

すぐ西に”平和”の元になったと思われる平和公園があり、昭和20年の戦争末期に相次いだ名古屋大空襲で大きな被害を受けた都市部の復興計画のひとつとして、各地の寺院境内墓地を集約移転した公園だそうです。尾張徳川家の尾張藩主・徳川宗春や織田信長に仕えた平手政秀の墓碑があります。

 

大正12年に現在のJR千種駅近くの赤萩町に東邦商業学校として創立しました。当初は英国のカレッジを参考にした学校を目指していたようで今日の”学風”の下地になっています。

同年に開校した中京商業学校(現・中京大中京高校)と同じく当時高まりつつあった野球に力を入れていたのですが、初出場が遅れたこともあり「中京に追い付け追い越せ」がモットーだったそうです。

旧制時代の校歌は校史には残されているものの、作詞・作曲者、制定年は不詳とされているのですが昭和9年以前からあったようです。

旧制・東邦商 (全5番)
 金鯱の光り 天を摩し

 伊勢湾頭に旭照る
 千種の薫り 高き野に

 大旆立てし マーキュリー
 あゝ清新の集まりて

 美はしきかな 東邦校

 

マーキュリー」部分は戦中はどう歌ったのか気になるところですね。「金鯱」は名古屋城、「千種の薫り高き野」は地名の千種と種々の樹木や花を掛けたものでしょうか。

3番「北シベリヤに雲興り、風南清に荒るるとも、ああ茲に在り東方の、日出づる国の健男児」は、季節風や降雪の多い日本の気候だけでなく、日清・日露戦争を乗り越え勝利した”東方の邦=日本”の若者が目指す商業教育の学校ということでしょう。

 

昭和23年の学制改革で東邦高校となり現在に至りますが、昭和41年に現在地に全面移転し昭和60年には男女共学に移行しています。愛知県の公立が早くから共学だったのに対し、私立は共学より男子校・女子校の割合が多く、その中で東邦高校は女性の社会進出の必要性を感じ早い段階で共学に踏み切ったのです。

また創立以来の商業科が平成29年に100周年を目前に閉科して普通科4コースと美術科となっています。

高校の校歌は作詞:尾崎久彌で曲は戦前のものを踏襲しています。制定は昭和23年です。
東邦 (全3番)
 あゝ夭々の大平野

 呼ばゞ応へむ 沖つ鳥
 東海の衝 一廓に

 巨然とそゝり 香ぐはしき
 清新にして溌溂の

 見よや我等の東邦校
 

冒頭の「夭々」は若々しい、瑞々しい意味なので瑞々しく肥沃な尾張平野というのでしょう。「呼ばゞ応へむ沖つ鳥」はよく解りません。”沖つ鳥”は鴨や味にかかる枕詞のようなのでそうした地名か何かかと思いましたが…。あるいは古くは海岸線がこの付近まで迫っていたことから文字通り”海の沖にいる鳥”とか、空を海に例えたものかもしれません。

1番は濃尾平野にあって「東海の(要)衝」たる名古屋市の一角に立つ東邦校の偉観を歌っていますね。2番は学校全体で学問、芸術、体育に励む様を、3番は校訓「真面目」を取り入れて、やがて日本を担う重要な使命を帯びていく学生が集まる学校で締めています。

 

2年後に100周年を迎える東邦高校。

部活も野球部だけでなくサッカー部、空手部、吹奏楽部などが全国大会などで活躍していますし、進学面でも私大を中心に実績を上げています。