神戸市立 神港橘高等学校(高校野球優勝校・戦前シリーズ選抜編 その1) | 校歌の広場

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高校の校歌についていろいろ書き綴っています。
高校野球でも流れたりする、校歌の世界は奥深いですよ~

明けましておめでとうございます。令和3年が始まりました。

今年はどうなるのでしょうか…遠征調査はできるのか依然見通しは立っていません。

 

以前紹介した高校野球の旧制中等学校時代編の続きとして、今回から4回にわたって春大会の優勝校を紹介します。

当時は「選抜中等学校野球大会」という名称で第19回まで開催され、昭和23年の学制改革で現在の「選抜高等学校野球大会」に切り替わりました。旧制時代はまだ学校数もそれほど多くなく、実力のある学校がある程度固まっている傾向だったためか春夏とも同じような学校が上位進出しているようです。そのため優勝校も実数11校のうち春のみ優勝は4校です。

大正13年の第1回大会のみ愛知県名古屋市の山本球場で開催されましたが、この年の夏に甲子園球場が完成して翌春からこちらで開催されるようになり現在に至っています。

第1回から順に高松商、松山商、広陵中、和歌山中、関西学院中が優勝し、第6、第7回と初の春連覇を達成したのは兵庫県の第一神港商業学校でした。

今回は、兵庫県の神港橘高校です。

http://www2.kobe-c.ed.jp/skt-hs/

 

旧制では大正晩期から昭和初期頃の8年間で春夏計10回出場して15勝を挙げた強豪校で、とりわけ春に強く優勝2回を含め11勝しています。

戦後の市神港高時代は春夏5回出場して7勝しました。最後の出場は昭和51年夏です。

 

神戸市兵庫区の西端、会下山町にある学校で、すぐ北にある会下山公園は神戸市を一望できる桜の名所として知られています。古くは”遊園”とも言った通り遊歩道が多く、ジョギング・ウォーキングをする人で賑わっているそうです。

明治40年に私立の神港商業学校として創立しましたが早くも2年後に神戸市に移管されて市立となり、大正10年に同校内に午後定時制の第二神港商設置とともに第一神港商業学校と改称しました。創立当初は神戸市元町に校舎がありましたが、大正5年に現在地に移転しています。

校歌は作詞:安藤正次 作曲:永井幸次で制定年は不明です。追記:会下山校舎に移転した頃の制定とされるのですが正確な時期は不明とされます。資料では大正8年以前にはできていたようです。
旧制・第一神港商 (全4番)
 百船行き交う茅渟の海に 輝く朝日は日々に新
 千街の甍の波の色 月こそ照らせれ 清き光
 心を高くと会下の山に 我等の友がら 道に励む

 

もうひとつの源流である神戸市立女子商業学校は大正6年開校です。数奇なことに前年移転した市神港商の跡地に開校したようです。少なくとも住所は同じです。

その後、昭和18年に第二女子商が開校したことにより第一女子商業学校と改称しました。
校歌は作詞:土井晩翠 作曲:東京音楽学校で、こちらも制定年は不明です。追記:校章、校歌ともに開校同年中に制定されています。
旧制・第一女子商 (全4番)
 茅渟の海の上 幾万の 船をうかぶる神戸の市
 栄の本を培いて 学びの庭に姫百合の
 花の一群 咲き匂う

 

戦後の学制改革で上記の2校が統合して神戸市立神港商業高校となり、翌24年に普通科・商業科・家庭科の総合制の市立神港高校と改称しました。
市神港高校の校歌は作詞:竹友藻風 作曲:飯田信夫で、昭和25年制定です。
市神港 (全2番)
 茅渟の浦波 うち寄せて 世界にひらく大湊
 神戸の市を前に見る 学びの舎の若人よ
 仰げ 理想と信念の 光り輝くこの舎を

 

大阪湾の古称としての”茅渟海”は神戸市の学校でも使用されていますが、長田区より西は”須磨浦”が多くなります。「茅渟」が使われている高校の中ではこの市神港が最も西のようです。(地理的には淡路島を除けば長田区内の夢野台高校が更に200mほど西ですが)

追記:最西はなんと姫路市の姫路東高校でした。どう見てももう播磨灘でしかないはずですが、作詞は同じ竹友藻風氏なので広義的な意味合いで入れたのでしょうか?

古来から開けた神戸港を「大湊」と呼ぶあたり、この近くに居住していた作詞者の竹友氏の思いがあるのかもしれません。2番「宇奈互の里」とは近くの長田神社に祀られている事代主神の別名・雲梯(うなて)の神が訛ったものと謂われ、学校周辺の古代地名・八部郡、雄伴郡宇治郷宇奈五丘と呼ばれていたのを取り入れたのでしょう。こうした昔の地名を織り込めるのも作者の知識・見識あってのものだと思いますね。

 

こうして110年の歴史を持つ市神港高と同じく神戸市立の兵庫商業高を再編して、平成28年に神港橘高校として統合開校しました。校地は市神港を使用していますが、校舎は解体して新校舎を建設したようです。

市神港・兵庫商の商業科を受け継ぎ、「ひと」を「たから」と捉え、神戸を愛し、支える「人財」を地域とともに育てるコンセプトのもと商業教育”みらい商学科”単科の学校としてスタートしました。

校歌は作詞・作曲:森本純夫で開校同年の制定と思われます。歌詞については正確な表記がわかりませんので一部だけに留めておきます。判明しましたので載せておきます。

神港橘 (全2番)

 海の見える丘に立てば 広がる街

 ともに出会い ともに学び ともに育つ今

 わたしの力は 漲る力

 われらの人財 時代を超えて

 

神港橘高校の特色として”龍獅團”があります。神戸の中華街として知られる南京町で旧正月に行われる「春節祭」で披露される龍舞に影響を受けて、旧・兵庫商業高校の部活動として発足したのが始まりだそうです。兵商が閉校しても後継校に受け継がれ、新しい歴史と伝統芸能は続いていくでしょう。