今回は、三重県の宇治山田商業高校です。
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三重県のみならず全国でも最大の知名度を誇る伊勢神宮のある伊勢市にある学校で、通称は「山商」です。
伊勢神宮の正式名称は”伊勢”はつかない「神宮」です。三重県の観光地では長年トップにあり、江戸時代から「お伊勢参り」として参拝客の絶えないパワースポットでもあります。
宇治山田という地名、これは元々は内宮鳥居前町”宇治”と外宮鳥居前町及び伊勢の中心地”山田”が合併して付けられたものなのです。
山商は明治41年、宇治山田市立商業補習学校として創立された三重県でも伝統ある商業高校です。
戦前は全国の神社でも別格の扱いだった伊勢神宮のお膝元とあって、天皇陛下や皇后陛下、皇太子殿下や要人の行啓もあったと伝えられています。
まず旧制から紹介します。
旧制山商の校歌は作詞:鈴木暢幸 作曲:弘田龍太郎で、制定年は不明です。
旧制 宇治山田商 (全4番)
皇宗の建国 代は遠けれど
国民の意気は 維日に新
神霊の寄せます 御国のもはら
日のたださす国 幸ある吾等
よく見ると、4行すべてに”国”が入ってますね…
三重県の旧制学校は、各校のほとんどに伊勢神宮讃美の歌詞が入っています。
”聖地”、”大廟”、”神風の伊勢”など、戦前は国威発揚の象徴として歌われました。
3番「有と無を通ずる商業の道、国家の興隆 地方の福祉、神都に名に負ふ母校の抱負」は、こうした環境で学ぶ学生のありかたを歌ったものでしょうね。
戦後の学制改革で宇治山田実高→宇治山田商工高→宇治山田商高と変遷しています。
高校の校歌は作詞:西条八十 作曲:古関裕而で、制定は宇治山田商工時代(昭和25年以降?)です。
昭和33年、山田商工を商業と工業に分割しそれぞれ宇治山田商と伊勢工となりましたが、校歌は山商側に受け継ぐことになり、校名部分を「山田商工」→「山田商高」に変えたのみです。
野球部は昭和53年夏に甲子園初出場以来5回の出場経験があり、平成20年春には待望の初勝利をあげて校歌が流れました。
宇治山田商 (全3番)
若き心 朝熊の緑に みそぎし
大いなる希望は 伊勢湾の白帆と輝く
ひるがえる校旗の下に 堂々と進む者
我ら 我ら あゝその名は山田商高