ことの始まりは”お見合い”から | 中嶋柏樹のブログ

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 ことの始まりは”お見合い”から

 

 

 

 

 恩師の一人である能見教授の服装は英国紳士然としていますが、ボサボサ頭と無精ヒゲは何ともし難くて慣れるまでは思わず二度見をしてしまう程です。朝家を出るときには奥様の検閲をパスしているのでしょうが、教室の小会議室で昼食の仕出し弁当を食べる頃には既に顔と服装が分離しています。
 朝一番にに教授秘書と呼ばれている技術補佐の女性に昼食の仕出し弁当を食べる旨を申し込むのですが、申し込みを忘れてもメンバーがほぼ決まっているので食べられないことはほぼありません。
 教室のメンバーである3人の教授と1人の准教授そして2人の助教と秘書2技術補佐と事務補佐、そこに数人レギュラーの学生が加わります。私はその数人の学生のうちの1人です。

 話題は各専門の学術的な話題から女性論まで幅広く、能見教授と都井教授それぞれは極めて客観性の高い女性論であると主張します。しかし、何故か独身の阿藤教授は「二人はそれぞれ自分の妻を語っているだけだ」とチョッピリ皮肉な言い方で解説します。裁判の精神鑑定も原告側と被告側とではそれぞれに都合よく異なるのですから、極めて客観性の高い女性論であっても都合よく異なるのは仕方ないでしょう。
 都井教授はアメリカの大学で教員をしていたときに、国連で難民や食糧問題と取り組んでいた如何にも女史タイプで貫禄充分の奥様と出会ったようです。お宅を訪ねてお会いした時にも緊張しアゴで使われて仕舞いそうな雰囲気です。
 それに対して能見教授の奥様は京都の有名な料亭の一人娘さんだったようで”はんなり”としていて、お宅を訪ねますと玄関入った真向かいの壁に茶道や華道そして地唄舞など師範の木製で威厳ある小振りな看板が掛けてあります。そして更に驚くのは有名な歌舞伎俳優の後援会の木札が立ててありました。
 フローリングの床の上に、衣桁掛でしか見たことの無いそれを模したような黒漆塗りの木製の丸棒を組んだ木札立てに立ててあるのです。縁がないので当たり前なのか特別なのか判りませんが、歌舞伎座のとあるコーナーのような空間のように思えます。

 

 

 

 

 その能見教授の奥様は、お正月休みに帰省しない東京残留組の学生たちをお宅に招いて、おせちのご馳走を振る舞って下さるのです。京都の錦市場へ行って揃えたと云うまさに”ご馳走”ですが、宴がたけなわになった頃に見合写真と釣書を各自に配るのです。改めて気が付きましたが、気の毒な東京残留組では無くて20歳代後半の独身男子学生ばかりが集められていたのです。
 なぜ相手を選ばせてくれないのかと酔いの勢いで絡む者もいましたが、お見合いは「恋愛の切っ掛け」と考えて気楽にと云う説明に納得してしまいました。しかし恋愛はどんなものかとある程度はイメージできるのですが、結婚すると云うことにはまだ先にこととしか考えられませんでした。
 私が次男だからと当然のように勧めて下さった、お見合い相手の女性のご両親は浅草で老舗のみやげもの店で数店を経営しているようです。会社は弟に継がせるので店の近くのマンションに住んで、店が忙しい時には手伝いに来てくれればそれで十分だと言っているようです。映画「男はつらいよ」の寅さんの妹さくらがとらやの近くに住み、店を手伝うのと同じようなもので問題あるとは思えず承知しました。

 

 

 

 

 お見合いは有名な料亭で、程よい大きさの池のある日本庭園に面した広過ぎるような和室でした。本床で違棚を備えた床の間を背に能見教授の奥様と二人の高齢女性が見るからに高価そうな着物を競っているかのように座卓テーブルを前にして座っていました。ロビーの喫茶室のようなところで極々略式なお見合いかと思いましたら、驚くほど格式の高い和室で罠にはまったような気分になり、更には開口一番に”本日はお日柄も宜しいようで”と喋り出し止らなくなるような「お日柄お婆さん」がプラス2人もいることには目眩がし卒倒しそうになりました。
 お見合い相手の女性は座卓テーブルの上手に座っていますが流石に振袖なんてことは無く、右斜め後ろの池で口パクする鯉の波紋が揺らめく反射光となって天井に映っています。池の水面が輝いて逆光になって女性のシルエットが強調されています。

 

 

 

 

 ポニーテイルでスッピン様な化粧は好感持てて、ヨーロッパの有名ブランド風のスーツも好印象ですが、お嫁に行ったお姉さんか親戚の小母さんあたりから貰ったお気に入りを着て来たのかとふと思ってしまいました。よく似合いますが年齢的に合わないのです。といった気になるところはあるのですが、外見的には好みにぴったりでした。
 私は大学入学のお祝いに買って貰ったスーツを着ましたが、殆ど着る機会がないので新品のように見えます。しかし男性のスーツでも流行があるので古臭く野暮くさい感は否めません。しかし、それ位の方が私にピッタリしていると思ってはいます。
 しかし、お見合い相手の女性は殆ど喋らず「はい」としか言わないのですが、3人の仲人さんたちが微に入り細に入り喋ってしまうので、「はい」と言うしか喋る機会が与えられていなかったのでしょう。普段はよく喋り、口から先に産まれて来たような女友達とばかりお喋りしているので、ちょっぴり驚きを感じるほどでした。

 お見合いの二人は殆ど言葉を交わすことも無いままに時は過ぎ、顔を合わせる段階にまで至ったことに意味があるのか、とても相性がよい様だから二人がゆっくり話ができる様にと場所を変えるようなのでした。しかも、さり気なく「お式は年内か来春にでも」と驚きの発言をするのです。これ以上さり気なく発言されたく無いので、私の車でドライブしますからと急きょ退散しました。

 

 

 


 首都高から中央高速を走り、ユーミンの歌に出て来る競馬場やビール工場が見えて来ますと指差して説明しましたが関心が薄いようで、盛り上がる話題が見付からず二人になっても仲人さんが一緒の時と殆ど変わりませんでした。相模湖へ行って喫茶店に寄って帰って来ようかと思いましたが、途中でUターンして帰路につきご自宅にお送りしました。不全感が一杯で気軽にお見合いに応じてしまったことを後悔しました。
 先方はその気が無かったのではないかとも思いましたが、そのこと以上に「軽い気持ちで」の一言がそもそも”仲人口”だったのではないかと思いました。
 仲人口は江戸の町医者桂庵が医術よりも縁談をまとめるのが上手で、「桂庵口」と呼ばれたのが始まりだったようです。”神仏が助けて医者が儲ける”を地で行った話ですが、そのスピーディーな対応に驚き”短期成就”を競っているかのようでした。お見合いが”恋愛への切っ掛け”は口実だったようです。

 

 

 

 

 ”伝統文化”のようなお見合いを体験をして懲り懲りしつつも、貴重な体験をしたと云うことで2度と応じないように心に決めました。しかし、それどころでない大変なことに気づいたのは、自分自身がどういう女性と結婚したいのか明確になっていなかったのです。仲間うちで「独身同盟」のような硬い結束を持つと思っていた頃は、”理想の女性”とはと勝手に熱を吹いていました。
 そして「2LDK結婚」こそ理想の結婚の形態と語っていました。それぞれの部屋で互いに今までの生活を続けて、LDKで二人の新たな生活を持つと云うものです。

 私は ”かかあ天下”で知られる群馬県に生まれ育ちましたので、「男女平等」が骨身に沁みていて”亭主関白”になるようなのは良しとしませんでした。しかし私の父は晩酌の肴にと一品多くなければ満足しないような亭主関白でした。二人の姉は父の亭主関白ぶりを批判的に見ていて、父のような男性を結婚相手には選ばないとまで言っていました。その流れから学んだのは、50年の結婚生活で夫は前半の25年を”いい気”になって勝手をしていると、後半の25年は妻に仕返しされると云うものでした。
 確かに子どもから大人になるまでの学校に通っている間は一貫して「男女平等」でしたが、学校を卒業して社会人になりますと一気に男性中心の社会になりますから、本音のところでは「男女差別」そのもので程度の差はあっても殆ど平等などは見当たりません。

 

 

 

 男女の”社会的位置付け”は、国会の正副議長や中学校生徒会などの正副会長に似ています。小・中学校などでは学業の優秀さが考慮されるのか、生徒会長や学級委員長などに女子の数が多く目立つようです。
 あのエリザベス女王の存在を誰もが知り馴染んでいるのですから、民主主義教育を受けて男女平等も当然と思っているだろう筈の日本国民が女性天皇を認めないのは不思議です。
 宴席の上席と末席のように男女の”位置づけ”が、誰もがそれに不自然さを感じていないようです。TV番組の司会者やキャスターやメインは男性でサブやアシスタントは女性で、例外もありますがその原則はさり気なく守られています。男女差別の撤廃や男女雇用均等などの法律を次々と制定していますが、しないよりはマシな程度であってそもそもその法律を定めている議員たちの殆どが無意識であっても”差別主義者”なのでしょうから仕方ありません。

 世界のそして我が国の「男女差別」はあいも変わらずで”男性天国社会”は不変でしょうから、しばらくは不承知でもその流れに従わなければならないでしょう。そして、このような社会では通念となっている、男は”男らしく”女は”女らしく”と振る舞うのが好ましいようです。
 映画やTVで和服が似合う立ち振る舞いの女優さんは、私生活ではTシャツとGパンで”男勝り”な言動なのだそうです。歌舞伎の女形がそうであるように、性別に関係なく「女性らしくない」のが”女性らしく”振る舞うのに最良ではないかと思うのです。
 信頼できる人間性を持っていて常に”女性らしく”あろうとする心積もりを持っていてくれれば、私にとって最良の伴侶であって二人で豊かな人生を歩めるだろうと思いました。そして更に条件を付けてしまったら私とは結婚してくれる女性はいないだろうとも思いました。言い忘れていましたが、私は生粋の「男女平等主義者」ですが、常に”男らしくあろう”と心がけ密かに「男はつらいよ」と呟いて痩せ我慢をしています。
 

 


 

 

 私が所属する研究室は大所帯なので一つの階を占領してしまう程ですが、最深部に”一人部屋”のような小さな部屋があり他研究室の大学院生がぽつんと一人で居るのです。その研究室は教授から助教たちまでが全員女性なのですが、その大学院生だけが何故か男性なのです。
 その大学院生の増本さんは既に看護師の資格を持っていて、今は助産師資格の取得を目指して居るとのことです。「男性助産師」は関係者の間では話題になっていて、資格は取得出来ても就職先が無いのだそうです。表面化しますと「男女逆差別」の問題に直結してしまいますので、腫れ物に触るような扱いになっているようです。幸か不幸か増本さんは研究者の道を歩むようで、助産師の臨床現場で職に就く気は無いようです。高校を卒業して看護の専門学校へ進み、看護師の資格を取得して夜勤のアルバイトをして昼間は大学に通って卒業したのだそうです。
 そして、増本さんは松本零士の漫画「男おいどん」の主人公である大山昇太にそっくりで、ヘヤースタイルからメガネまでそのまま実写版の映画に出演できそうな程そっくりなのです。

 

 

 

 

 その増本さんには外来訪問者が頻繁で、何故かそれが若い女性ばかりなのです。平日なのに昼に近い午前中にやって来て、来る途中のスーパーで買い物したのかレジ袋をぶら下げているのが共通しています。
 ぶら下げているレジ袋の中身は昼食を作るための食材で、やっと手が洗える程度の水道とヤカンでお湯を沸かせる程度のガス台でランチを作るのです。
 手料理が出来上がる頃には、隣室にいる私たちのところまで美味しそうな匂いが漂って来るのです。それが昼食時刻を知らせる合図となり、生協の食堂へ行く者や町中華へ財布の入った小さなバッグを持って外出します。美味しそうな匂いが漂って来る方向に足を向けるのは私を含めた数人で、初めの頃は偶然立ち寄ってしまったような顔をして半分遠慮するような雰囲気で”お相伴”に与りました。そして段々慣れて来ますと済まなそうな顔をしつつも当然のことのように”お相伴”に与りました。

 ランチとは思えないほど手の込んだ料理は半解凍で持参し加熱するだけのもあるでしょうが、兎にも角にも家庭料理に縁のない私たちにとってはどんな手料理でも涙が出るほど美味しいのです。
 得難い貴重な料理をむさぼりながらも、外来賓客と増本さんの会話を傾聴しいていますと、増本さんの女友だちか、その友だちの友だちのようです。増本さんは親切で面倒臭がらずフットワークが良いので、女性たちの来意は”よろず相談”ですがその殆どは「恋愛相談」でした。
 増本さんを訪ねる女性たちは次々とやって来ていますが、増本さん自身は女性に興味は無いようで女性に興味が無いのかと思いましたらその「秘密?」が見えて来ました。

 

 

 

 

 

 私たちの羨望の的だったマドンナである教授秘書が、あの能見教授の媒妁で”玉の輿結婚”をして寿退職しました。羨望と落胆のペイジェントは終わりましたが極秘の後日談があり、結婚して”深窓の奥様”をしているのだろうと思いましたが、ストレスから病気になり入退院を繰り返した後に離婚して実家に戻っているとのことでした。更に驚いたのはマドンナが親の反対を押し切って実家からアパートに出るために増本さんと「偽装結婚」をしたのだそうです。増本さん曰く、今までにもペーパー結婚で”籍”を貸したことがあるので、それほど特別なことをした気は無いと言います。このことが仲間内に知られることになりましたが、誰もが「増本さんだから・・・」ということで納得してしまいました。

 しかし私はピ〜ンッと閃いて、増本さんの深慮遠謀に気づきました。たくさんの女性が次々と来訪して来ていても、どの女性にも”女性として”の興味を抱かないのは、いつの日にかマドンナが「離婚手続き」をするのが面倒になるのを待っているのだと思いました。信長や秀吉とは異なり「木の実が熟して枝から落ちるのを待つ」家康的技法を用いているなと思い、遥かに知的なオペラ座の怪人かシラノ・ド・ベルジュラックのように思えました。
 あの「お見合い事故」を切っ掛けにして、結婚相手に最適な”女性探求”をしなければなりませんが、増本さんに師事して大願を成就させようと考えました。お見合いは恋愛の切っ掛けかと思っていて、お見合いしてお付き合いすることにしたら結婚式と披露宴の日取りが決まってしまったと話しますと、仲人さんが立ち会うお見合いをしたことに驚き仲人口の成果を競うのは当然なのだと言います。

 

 

 

 

 結婚相手に最適な女性と出会えるまで女性を紹介するけれども、1つ条件があると真剣な顔をして言います。それは「断られるのは良いが、決して断って欲しく無い」と言うのです。そして、その意味は「失礼な断り方をして、不快にさせたく無い」と云うことなのでしょう。しかし、断られるのは良いが断って欲しく無いと言うのでは、不本意なことになってしまうお恐れがあります。
 そもそも「お見合い」と云うものは断られたり断ったりでしょうから、それは”お互いさま”と考えて良いのでは思いました。そうでないと一番最初の女性に断られなければ、2回目は無いことになってしまいます。そして第1回目のお見合いをする前に、仲間内で1杯飲んだ時に「1年に100回”お見合い”をする」と宣言しました。その宣言が大ウケし、その場で「期間限定女狂い」と評定されてしまいました。

 学内にある生協の理容室は何よりも料金が手頃なのと、いつ行っても待たされることがないので数カ月に1回は散髪して貰っています。ところが、なぜか私の指導教官である都井教授もそこへ散髪に行くようで、途中の森の中にあるような池のほとりに立っていました。斜面にうす紫の小花が密集して咲いていて名称を尋ねますので、シャガ(射干)と答えますとフランス語みたいだねぇと言います。
 私が日本画同好会に所属して山野草の小作品を描いているのを知っていて、花は植物の生殖器だからねぇと、サラリとおっしゃりどう反応して良いのか困りました。
 このところ昼食に顔を見せないと思ったら、1年間狂うんだそうだねぇと言い結論が出たらゼミで報告したまえと言います。仲間内だけと思いきや教授までが知る大反響には驚きました。

 

 

 

 

 増本さん紹介の女性が次々と来訪しました。柴又帝釈天の「草餅」であるとか船橋屋の「葛餅」を私に食べさせたいと云う設定で、なぜか分かりませんがその女性に買って持って来るように頼んでいるようなのです。そして”3時のお茶”に増本さんの部屋で食べ代金は増本さんが必ず払うのです。
 私は老舗のお茶屋さんのお宅に家庭教師に行っていて、品評会の特等茶や皇室献上茶などを頂くのですが、その有難味が判らないのでその味が分かる増本さんに差し上げているのですが、恭しく蘊蓄を並べたのちに飲ませてくれるのです。もちろん焙じ茶や茎茶なども揃えているので、持参して下さった茶菓子に合うお茶を飲ませてくれるのです。

 増本さんは学部から奨学生で慎ましい生活をしていたそうですが、仲間と数人で「旨いものを食べる会」を作り貯金がその金額になると予定していた「旨いもの」を食べに行っていたようです。学祭にブースを出したら近隣の大学や女子大からの入会者があり、一気に大所帯の同好会になったそうです。
 面倒な小さな金額の出納を増本さんが一人で続けていたので、卒業して社会人となった元会員やその友だちなどが今も訪ねて来るのだそうです。
 そう云った人たちを私の目的達成のために作った「午後の茶会」に招いて下さるので、茶菓子を持参できない人の時は私が”白玉ぜんざい”や”蕎麦がき”を作ります。簡単に作れて美味しいので、片手間で作れるその意外性に驚き喜んで貰えています。

 

 

 

 

 密かな”お見合い”である「午後の茶会」は順調に回を重ね、目標回数の半分ぐらいのところで、結論が出たと思える状況になりました。当然でしょうが、印象では茶会参加女性の殆どに茶会参加以外の”魚心”は無いように思えました。せっかく増本さんがセッティングして下さった、”お見合い”の成果はありませんでした。殆どの女性は喋らず大人しいので、その場を盛り上げるのに苦労しました。初対面だとこうも喋らないものかと改めて思いました。
 しかし驚くほど積極的な女性もいて、私が所属する絵画の会が銀座のデパートでチャリティ展示即売会を催し、そこに色紙十数点を出品している旨を話題にしますと、私の当番日にデパートへ行って絵画展を観たいと言います。当日の夜は夕食付きの家庭教師なので、なるべく早くに来て欲しいとお願いしました。

 家庭教師に遅刻は出来ませんのでその時刻が気になっていましたが、ギリギリになって顔を見せしかもご両親が一緒なのです。ご挨拶をして急いでいる旨を説明し失礼して会場を後にしましたが、翌日になって知らされたのは、驚いたことに私の作品を全て買い上げて下さったのです。チャリティ展示即売会の趣旨からしましたら、広く多くの方に買い上げて欲しかったのです。
 同じ様に想像を絶する例とて、「午後の茶会」を終えて帰る方向が同じだからと云うことで、お宅まで送ったことがあります。お茶でも一杯と勧められお寄りしましたらお父さんに「甘いリキュールを舐めてみませんか」と進められました。シェリー酒をチェリー酒と聞き間違えましたが区別はつかず、梅酒の梅がアメリカンチェリーの様なものと思っていましたが、アルコール度の高いシェリー酒であることに気づきました。しかし後の祭りでご馳走の夕食を食べ、客間で登り降りが大変そうな分厚い布団に寝させてもらい、翌朝遅刻して行った勤務先で大変な持て成しに感謝する礼状を書いたことがありました。

 また、庭の花桃の木が見頃だからとお招きを頂き訪ねましたら、ビックリするようなお宅で妙な関心を持ってしまったことがありました。地方に住むご両親が”娘が東京に住みたい”と言ったから建てた家だそうで、増本さんによると、駅から数分で200坪ぐらいの土地に独り住まいとはとても思えない高級料亭ような
お宅だそうです。お訪ねしますと説明どおりの数奇屋造りのような平屋の和風建築で、玄関は5m弱はありそうで玄関ホールは黒光りした板の間ですが6畳はありそうです。
 近年の風潮でマンションのリビングルームなどは寝室など生活空間を狭めても広くとる傾向にありますが、この玄関ホールがそのように見えないのは正面の床から天井までが透明のガラス戸で広い庭が鑑賞できるようになっているからだと思いました。

 右側から南に延びた廊下の左側にはグランドピアノ2台を並べたレッスンルームがありその先突き当たりは書斎のようでした。左側にはトイレや下足室がありそこから右折して東に延びた廊下があり、庭に向いて応接間とリビングダイニングそしてキッチンがあります。そしてその先には寝室とウォークインクロゼットがあり、他には風呂とトイレやランドリールームなどがあるのでしょう。
 庭の中央にはシンボルツリーの花桃2本を1本の巨大な盆景のように仕立ててあります。そして、その背景のようにリンゴや柑橘系の果樹が10本余り植えられていて、南と東の生垣になんと病害虫の宿主となるので管理が難しい「貝塚伊吹」が植えられています。シンボルの花桃を中心に西側は冬季にも緑が枯れない西洋芝であり、東側はハーブやベリー類が中心のキッチンガーデンになっています。
 単なる和風の庭では無く果樹畑であり蔬菜壇でもありますから、園芸好きで料理好きな専業主婦が管理をしているならば全て符号しますので、多分お母さんが定期的に通って来ているのだろうと思いました。

 

 

 

 

 すべて庭に向いたL字型の平屋で使い易そうな作りですが、今は一人で住んでいても近い将来に結婚して家庭を築くために設計されているのでしょう。しかし余りにも豪壮すぎて絶句するしかありません。
 知人の書道家が言うには師匠筋の先輩には仲人を趣味にする女性が多く、社会学で云う「嫁鋳型説」やイプセンの「人形の家」のような保守文化の権化のような家族からの依頼が多いのだそうです。
 書道界に身を置くと見合い話に興味が無くてもパイプ役を仰せ付かることが多く、自然に多くの事例を知ることになるのだそうです。東京近郊には広大な土地を所有した元農家が多く、土地の一部を手放してマンションを数棟も建てて暇つぶし程度に働けばよいふうです。かつて”農家の嫁”は貴重な労働力として期待されていましたから、農家への嫁入りは「嫁日照り」と称されるほど敬遠されていました。
 農家の「縁の下の力持ち」であることも当然のように期待されますから、”嫁ぎたくない嫁ぎ先No.1”であっても仕方ないでしょう。

 農家に限らず老舗のお店などの跡継ぎの結婚には、当然のように「嫁(婿)鋳型説」が障害となります。知人の書道家が笑い話のような傑作な話として、あるお見合いの場で男性が相手の女性に「歯ブラシと靴」さえ持って来てくれれば、他は全て揃っているから身一つで来て下さいと言ったそうです。この内容での会話がそのまま事実だとは思えませんが、これに近いやり取りは珍しく無いのでしょう。
 お訪ねしたお宅の贅を尽くした重厚な絢爛さに目を釣られますが、冷静に眺めますと額面どおりには受け取り難いものが散見されます。
 庭園に「果樹畑や蔬菜壇」があり単なる和風の庭では無い一方で、病害虫の宿主となるので管理が難しい「貝塚伊吹」が生垣として植えられていうことは、理想との間に矛盾がありそうです。また地方に住むご両親が、”娘が東京に住みたい”と言われて建てた家であると云うことでは、額面どおりには受け取れません。
敷地内に別棟を建てたり一部を2階建にすることで、二世帯住宅にすることは十分可能だろうからです。

 私にとって簡便なお見合いであった「午後の茶会」を終えてみて多くの女性との出会いがありましたが、残念ながら結婚に至りそうな女性との出会いはありませんでした。そしてふと思ったのは日本昔話「ねずみの嫁入り」でしたが、この貴重な経験から” 強い意志と信念 ”を持つ女性で、かつ” 男女同権の意識” を当然のものとして持つ女性こそ我が「結婚相手」との結論を得ました。そしてなポイントである、私と” 結婚してくれる女性であること ”が最も重要であることに気づきました。
 増本さんによると、結婚を予感させるような女性との出会いが無かったのは残念でしたが、面接調査による研究論文が2本ぐらいは書けるでしょうと言います。結婚を予感したくなるような女性はいましたよと言いますと、今すぐに結婚したいのでは無いのであれば待てば海路に日和ありですよと笑います。

 

 

 

 

 私たちの拠点となる建物は大学キャンバスの南西の隅にあり、南側にはテニスコート2面ぐらいの草むらがありその先に付属の専門学校と教職員宿舎があります。その横に細い小道があり小さな木戸の通用口で外と繋がっています。最寄り駅から最も近道なので教職員の通用口となっていて殆どの学生は知らないようです。学生は急ぐ必要が無いからかも知れません。
 部屋の窓からよく見える草むらの西端に一抱えもある銀杏の樹があり、その下に数週間前から大きなヤギが繋がれました。心臓移植手術を受けて回復し経過が良いので、その後の経過観察のために繋がれたのだと思います。草むらの向こうには宿舎などを覆う夾竹桃の生垣で、その上は銀杏やケヤキなどの巨樹の枝葉に空が見えないほどの緑一色で、一面が七色の緑に輝き著名な日本画家の白馬のように「白山羊」がいて名画の情景とよく似ていると思いました。

 ある朝のこと、私は前夜から宿泊していたので誰もまだ出勤して来ない早朝に、ヤギが悲鳴のような鳴き声を上げたのです。ただ事では無いようなので様子を見ますと、どうやら山羊の足にリードの紐が絡んでいるようなのです。寝起きで下着のままでしたから、所どころが番茶色に変色した白衣を着て、ヤギの救出に出動しました。足に絡まったリードの紐は簡単に外れましたが、リードが描く円内の草は食べ尽くされていました。新たな草場へ移すために、リードを繋ぐ鉄の杭の位置を移す杭打ち作業をやっていましたら、突然背後から声がして学生か職員かと尋ねる声が掛かりました。保健センターの保健師長さんで私がヤギの世話をしていると勘違いしたようですが、盆も正月も帰省せずよく頑張っているねえと褒めて下さいました。
 師長さんは朝晩にこの小道を通っているので、私が隣接する実験動物舎の外水道でラットやマウスの飼育ケージを洗っている姿を見掛けていたようでした。

 

 

 

 

 保健センターの保健師長さんは、いつもお昼のお弁当におにぎりを作って来て食べているのだそうで、そんなので良ければ作って来るので食べに来ないかと誘って下さいました。食べるお誘いに断らない主義なので、そく快諾しお昼休みを待つようにして保健センターへ行きました。
 保健センターの玄関を入って直ぐ左に事務室があり、受付表示があり靴を履いたままで来意に対応して貰えます。隣に保健師事務室があり、その奥に2つの部屋を併せてた広さの作業室になっていますが、テーブルとソファーの配置から明らかにリビング・ダイニングルームのようです。さらに昼食時には赤白チェックのテーブルクロスでレストランのような雰囲気になり、師長さんの他に保健師さん2人と事務員さん1人、そして更に外来者と思われるスーツ姿の年配女性が既にその赤白チェックのダイニングテーブルを前に座って私を待ち受けていました。
 
 私が座る場所にはコンビニのそれの2倍はある大きなおにぎりが、厚焼き卵とお新香などが洒落た矩形の白い皿の上に形良く乗せてありました。スーツ姿の年配女性は師長さんの看護学校時代からの親友であり、東京都の保健所に保健師として勤務していると紹介がありました。東京都の保健所は特別区である23区内には無く多摩地区と島しょ部にあるので、通勤は遠距離になりますが都心から郊外に向かうのは逆方向になるので”通勤ラッシュ”とは無縁だそうです。
 師長さんの親友である保健師さんは独身で結婚の経験もないそうですが、進学のために上京した姪御さんと一緒に暮らしているのだそうです。
 私については、大学に住み込んで夏休みも暮・正月もなく小動物の飼育をしていて、大学に引き篭もりの生活をしている普通とは逆の珍しい学生さんであると紹介して下さいました。

 

 

 

 

 師長さんも親友である保健師さんも看護師を志したのは、家を離れることや増しては東京へ行くことなどは許されない時代だったからなのだそうです。女性の就職は「自宅通勤」であり「腰掛け」であるから、数年で「寿退社」して「専業主婦」となり家事と育児に専念するのが普通でした。
 結婚してからも続けられるのは教師と看護師ぐらいで、家を離れて勤務するのであれば寮や寄宿舎が完備するなどで親の納得が必要でした。東京に出て保健師となり公務員となるには、大変な先見する努力が必要だったでしょう。また専業主婦が当たり前で女性が仕事に就くのが難しかった時代でしょうから、信念を貫き通すのはかなりの困難を伴ったでしょうし実現の機会は少なかったでしょう。
 保健婦さんの姪御さんは専業主婦の母親と職業を持った伯母との人生を比較して、結果として上京し伯母の家に下宿しているようです。

 師長さんと親友のである保健師さんとの間で下話をしていたようで、私とその姪御さんとを引き合わせようとしているようです。話の様子からその姪御さんと直接に話をしたいと思えましたので流れに乗って行きますと、すんなりと話が進み大学の近くにある喫茶店で会うことになりました。
 ちょっと知られた”名曲喫茶”でコーヒーとカレーが美味しいお店として知られていますが、クラシックの名曲がBGMとして流れていて静かに談笑するのに適していると思いました。
 お会いして見ますと、笑顔が可愛らしい利発そうな女性でした。中肉中背なのでしょうが大振りに見えるのは水泳部の選手で水泳に適した体型をしているからではないかと思いました。大学の授業の時や部活の時には、大学名などロゴタイプ入りのジャージを着て闊歩しているのだろうと思いました。
 近頃の若い女性のファッションはTPOとは無縁に思えるような了解不能に近いものですが、そうでも無くじゅうぶん納得できるファッションで来てくれました。

 

 

 

 

 保健師さんの姪御さんは大学の英文科に通っていて、将来は英語を必要とする仕事に就きたいと考えているようです。そうした考えを実現するためには、それを理解する男性と出会えるかどうかが大きな問題なのです。伯母さんが保健師という職業に就いたために独身を通したのかも知れませんし、そういった女性は少なく無かったのかも知れません。また女性が職業を持つことに理解があっても家事労働のその時間が夫3分妻3時間であり、出勤時のゴミ捨てが家事労働であり子どもと遊ぶのが育児であると思っている夫が珍しく無いのが「ワークライフ バランス」の実態のようです。
 姪御さんは英文科の3年生だそうですが既に就職の準備は始めていて、「渉外か広報」の仕事に就きたくて外務省かジャイカ(JICA 国際協力機構)のようなところで働きたいと希望しているようです。
 そして仕事を優先させたい気持ちを理解してくれる男性との出逢いが必須なので、出逢えたら「学生結婚」でも良いと考えているとのことでした。

 今まで多くの女性と会い多くの面談を経験しましたが、自分の意思が明確でしかも言い澱みも無く表現するのには驚きさらに興味が湧きました。日本人は「PR下手」と評されていますが、特に自己PRでは最もPRすべき点を恥ずかしがって婉曲な表現をしてしまいます。そのために取柄の無い平凡な人物像に見えてしまいます。恥ずかしがるような素振りが女性にとって美徳であるかのように思って仕舞うのでしょう。
 今まで経験したことの無い女性の単刀直入の話ぶりに少なからず感動し、結婚を前提とした交際を断られるまで続けてみようと思いました。
 はた目には若い男女がデートをしているように見えたでしょうが、全くロマンティックな内容からはかけ離れていました。男女平等を検証するために「本当の女性を知って欲しい」と「本当の女性を知りたい」との”質疑応答”ですから2人ともよく喋りましたが、月日の流れとともに真実が見えて来ました。

 日本の社会は”男性社会”と称されるように男性にとって都合よく出来ていますから、当然のように「男性優位」が定着しています。それを男性は意識せず当然のように思い込んでいますので、フェミニストを自認する男性でさえ女性が男性に対して張ったバリアに惑わされているとのことです。
 驚いたことに女性が”恥ずかしがる”程度は男性とさほど変わらず、水泳の際に水着を着けるのは裸になるのが恥ずかしいからなのでは無くて、水着を着けるとシルエットが綺麗になり”見せられる”ようになるからなのだそうです。
 また更に男女差別が激しい最たるものは「結婚の形態」であり、”嫁を貰う”や”嫁を持つ”などと云う言い方は女性を「物扱い」する言い方だと怒りを滲ませてその真骨頂ぶりを発揮します。これこそ本物の「フェミニスト」であると感動しました。

 

 

 

 

 あの新島襄が後に妻となる八重さんと出会った時の驚きと喜びを、「ハンサムウーマン」と称してアメリカの両親であるハーディ夫妻に報告したようですが、まさに”求めれば与えられる”であり私も「頼もしい女性」と出会えたのは多くの女性との出会いで研鑽したからに違いないと思います。
 もし多くの女性との出会いでの練磨が無かったら見定める判断力が培われず、ひたすら”ネズミの嫁入り”を繰り返し疲れた果てに運を天に任せることになったでしょう。
 私が何となく志向していたものをひと言で「ハンサムウーマン」であると決めることが出来て、「結婚したら離婚はしない」と牧師の前で誓わせられる当たり前のような言葉が、潔よくて真剣味のある言い方だったためかボディブローのようにじわじわと効いて来ました。

 増本さんがあれだけお骨折り下さっても結婚相手を決められずにいたところ、突然降って湧いたようにドンピシャの女性が現れるとは、ドラマでもあれば誰かに頬をつねって貰うところです。
 宝くじの特等が当たったような全くの偶然であったとしても、後にも先にも起こり得ない事でしょうから迷わず前に突き進もうと決心しました。
 欲に駆られて詐欺にあう流れに似ていなくも無いので、即断即決は無謀と常識的に考えてとも思いましたが、幸か不幸か互いにまだ学生であり卒業までに1年余あるので傍目からは常識的な出会いから結婚に至る過程に見えるでしょう。

 先人からの教訓で「両目でよく見て片目をつむれ」を思い出しますが、それ以上に呆れるほどの豪気さで決断したのですから、のちに小さなパンドラの箱のようなものが2つや3つ開いても驚かないと覚悟を決めました。「結婚したら離婚はしない」との先制攻撃に、「パンドラの箱が開いても驚かない」と覚悟したのは受けて立つ姿勢を示しているようです。どうやら互いに似た者同士で負けん気が強く意地っ張りのようですから、誰かから聴いた「100組の夫婦が居たら100通りの夫婦があって良い」と云う言葉を支えに独創的な生き方を続けたいと思っています。