中嶋柏樹のブログ

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自分の心を伝えることは

誰にもできます。



しかし、それを伝えられたままに受け取るには、

培われた感性が必要です



    中 嶋 柏 樹 (なかしま はくじゅ)

元祖フリーターのサバイバル街道(12)

ストーカー女子の婚活依存

 福祉作業所の所長Sさんから、中学生の頃から面倒を見ている女子学生A子のことでお願いしたいと電話がありました。所長のSさんは専業主婦でしたが市の社会福祉協議会の講習を受けボランティア活動に従事して来ています。保健所の保健師さんや市の精神保健福祉士たちと地域の同じ人のお世話をすることがありますが、都や市の職員である彼らは土曜と日曜はお休みですから勤務時間外の夜間と土曜と日曜はもっぱらSさんが関わる事になってしまっていました。

 Sさんは便利で重宝な存在としても有名になり、頭角を現して地域に無かった福祉作業所まで作ってしまったのです。そして当時中学生で不登校だったA子が卒業させられてしまい、もう一度中学校3年間をやり直したいと不服を訴えました。A子に関わる人たちは行政側なので「卒業した中学には入学出来ない」と云う立場は崩せませんでした。しかしSさんは行政側では無いので、A子が承服するまで協力しましたが、結局A子は高校進学することで気持ちが収まりました。

 

 

 


 A子が入学した都立高校は新設校ですが”受験校”として着々と実績を積んでいて、A子もすんなりと海外にも知られ留学生の多い大学に進学できました。高校の時は受験に関する話題ばかりだったので対応に困ることはなかったのですが、大学では話題が多様すぎて対応しきれず困っている。話しかけて来られても、「ハイ」と「イイエ」としか応えられず、無言のままになってしまっています。

 

 ところが、授業前にはポツンと独りで長机の最前列の端に座っていて、授業が終わるとサーッと消えてしまうので「ミステリアス マドンナ」と呼ばれて男子学生の間では話題になっているようです。

 

 

 

 

 A子は祖母と二人で市営住宅に住み祖母の年金で暮らしています。父親は蒸発して消息不明のまま母とは離婚となり、シングルの母親はパートを2つも3つもして過労から病気をしてA子が中学生になった年に死にました。その頃から3年間も不登校をしていたのでお洒落とは無縁で、髪は前髪を自分で鏡を見て切るだけです。伸びすぎて枝毛が目立つようになったら”千円カット”で整えて貰っていました。着るものは”格安衣料品店”で買うので地味でチープさが目立たない物にしていました。

 大学には大小幾つかの食堂があり生協の学食は安くて量が多いとの評判ですが、A子は祖母と2人の夕食を作る際に明日のお昼用にお弁当も2人分作ります。学食は水とお茶が無料で飲めるので、持参したお弁当を独りで食べています。曜日によっては学食が混むので、空き教室か建物の張り出たヒサシの下に置かれたベンチで食べています。

 

 

 

 

 自宅から大学までは5キロメートルぐらいで電車を乗り継ぐか電車とバスで行くかですが、いずれにしても通学費用は馬鹿にならないものでした。そこで、駅前や商店街に違法駐輪や放置された自転車で、市が撤去したものが安価で購入できるとのことでSさんに相談しましたら、駅近くの作業所の駐輪場にメンバーさんの私物でも無いスポーティなロードバイクが大分前から放置されているので、見て嫌でなかったら乗っていても良いと言ってくれました。

 大学は多摩丘陵の高台にあるので、往路は緩やかな登り坂で復路は殆ど漕ぐ必要が無いほどの緩やかな降り坂です。朝一限からの日は忙しいので、往路は緩やかな降り坂だったらと思うと言います。緩やかな登り坂でも力を入れて漕ぐときは前屈みになるので、その様子を誰かが何処かで見ていたのか、「魔女の宅急便」の主人公の少女キキのようだと噂されたことがあったようです。確かにスカートでスポーティな自転車に前屈みで乗っていたら、キキに見えなくもありません。

 

 


 
 作業所のSさんによると、A子はお祖母さんのお世話をしながら元気に大学へ通っているが、どうも孤立しているようで学生生活を満喫してしていないようで心配だ。病院の患者さんたちの活動にボランティアで参加させたいと言いました。病院の患者さんたちが社会性を身につける活動に参加させれば、抵抗感を持たずに複数の人たちとの会話とトレーニングになるだろうと言うのです。病院の目玉活動になっている「社会療法」の集団精神療法的活動に参加させたいのだろうが、幸い学生という身分があるので”参加員”としては最適でしょう。

 病院の目玉活動になっている「社会療法」とは、いわば病院という閉鎖された環境にミニ社会を作り、それを体験することで社会復帰が円滑になるであろうという考えです。ボランティアは主婦と学生が多いのですが、経験豊富な定年退職者の参加を増やせればこのミニ社会が多彩になってより効果的だろうと思います。絵画や音楽そして陶芸などで学校のクラブ活動のような活動が運営出来たら理想的です。活動の成果が評価されて定着して行くだろうと思うのです。

 

 

 


 まずA子に見学に来て貰おうとしましたら、すぐに応じてくれました。自宅からは10キロメートルぐらいですが、大学からなので5キロメートルぐらいですので遠くは無いですと言いました。

 

 学生にボランティアをお願いする時には、「交通費は無いが昼食は食べ放題」をセールスポイントにします。食事が旨いのがウリであると病院長が公言しているだけあって、給食予算はケチらず多めを認めているのでしょう。そのせいか調理のおばちゃんたちは人数より多めに作り、残ると火を入れ調味し直し深夜勤の若い看護者が太るのを気にしながら食べています。

 給食のおばちゃんたちは平均70歳ぐらいで、学生たちは孫のようだと言い朝食の残りの魚の干物を焼き直ししたものなどをサービスしたりしています。昼食の残りをアレンジしたお弁当を貰って帰るグループのA子は、年寄りが食べ易いものを入れておいたからネと言われているそうです。

 

 自炊をしている学生も外食の学生も、コンビニ弁当2個分ぐらいを貰って帰る学生たちは大喜びだそうです。A子も願ったり叶ったりのようです。

 

 


 

 


 学生グループにB君というニューヨーク州出身のアメリカ人がいました。誰もがニューヨークと聞くとマンハッタンを思い浮かべますが、B君の故郷は最北部のカナダに近いオンタリオ湖とナイアガラの滝があるニューヨーク州です。シロクマやトナカイは居ないでしょうが、野生の熊や鹿は身近なようです。B君のご両親は叔父さん家族と牧場を経営しているようです。叔父さんは若い頃にバックパッカーで日本を訪れ、本州縦断の旅をしているので日本人の知人が多くいるようです。

 叔父さんから日本を教えられたB君は日本文学に興味を持ち、川端康成よりも三島由紀夫が先に受賞するのが欧米の常識であり、年長者に敬意を払う日本人の気持ちが反映されているとの持論を持っています。やはり電車を乗り継いで来るのではなく自転車で来ています。

 

 自転車は先輩が卒業する時に寄付したもので、自治会が管理していて安価で借りられているのだそうです。病院のボランティア活動に参加する為に、A子とB君の2人が自転車を連ねて来ていることには気付きませんでしたが、帰りに2人が連れだって帰る姿は誰もが気付くようになりました。

 

 

 


 活動中のちょっとした休憩の時でも2人は皆から離れて、誰も近寄らせない雰囲気で小声で話し込んでいます。英語と日本語では半分ぐらいは通じているのだろうかと皆は眺めていました。

 

 かつて女性誌に連載されていた漫画でトシコ ムトーの「小さな恋人」のように、ひょろっと細く大きな男の子と子どものように可愛い小さな女の子のような2人なので、皆は微笑ましく見ていました。ところがA子とB君の2人が突然揃って来なくなってしまったのです。しかもB君は休学してアメリカへ帰国してしまったようなのです。

 

 


 
 作業所のSさんが来院しました。今回のいきさつの説明と迷惑を掛けたお詫びの為のようですが、その他にも何かがありそうでした。Sさんの説明によると、A子はB君の郷里が北国の大自然の中にあり、家族が牧場を経営していると聞きB君と結婚してそこで一緒に暮らしたいと思ったようです。
 

 B君は大学を卒業したら大学院に進むか出版社を考えていて、ニューヨーク州へ帰って家業の牧場を継ぐことは全く考えていないようでした。B君が受けている授業を聴講ならぬ”盗講”したり、学食で一緒に昼食を食べたり、B君のアパートに夕食を作りに行ったりしました。

 A子は自分の気持ちにB君が応じてくれるようにと必死に努力したのでしょうが、自転車という機動力を持ち出没自在な荒技にB君はついに音を上げましたが、夢を諦めなくても良いように1年休学してニューヨーク州に一時帰国をして、のちに秋田県にある国際教養学部で知られる大学に転学する積りでいるようです。秋田県は郷里と緯度が同じで雪が降り積り、ネットで調べたら自然風土がよく似ているようなので決めたらしいです。B君が帰国したと知らされたA子は、なぜか長野県にある高原野菜農家へアルバイトの援農に行ってしまったようです。

 


 

 
 高原野菜農家はレタスやキャベツの苗の植え付けにしてもその収穫にしても、シーズン中は朝早く朝日が登る前から夕方暗くなって手先が見えなくなるまで働き詰めの重労働が毎日続きます。情報誌を見て応募して来た東京の小柄な女子学生で、農家の仕事を続けられるか心配でしたが、毎日よく働き疲れて不機嫌になる風もなく、契約満期までよく働いてくれたのでまた来て貰おうとボーナスをつけたほどです。お愛想ではなく本当にそう思ったので、農家の嫁にぴったりだ、農家の嫁に来てくれたら有り難いと言いました。
 
 契約満期で援農終了の予定でしたがA子が抜けたら更に人手は足らなくなるのでしたが、A子は人手が余るようになるまでの延長を申し出ました。願ったり叶ったりでシーズンが終わるまで働いてくれました。シーズンが終わってバイト代も支払っても帰るふうは無いのです。2〜3日休養してから帰るものかなと思いましたが、長男に付きまとうようになったのです。長男は当たり触らずの対応をしていましたが、人目憚らず”婚約者気取り”の振舞いに異を唱え、結婚する積りは無いとはっきり言い放ちました。A子は烈火の如く激怒し長男に襲い掛かりました。

 

 

 

 

 襲い掛かられた長男はA子の握り拳を取り抑えましたが、更にその腕に力を込め関節の骨が折れるか筋が切れるのでは無いかと思える程でしたので、A子の気力に負けて降伏しましたがA子はその場に泣き伏しました。しばらくしてA子はふらふらと立ち上がり、寝泊まりしていた部屋へ行って布団に潜り込んでしまいました。枕元に食事を置いても手をつけず横たわったままでした。
 

 連絡を受けたA子のお祖母さんは作業所のSさんに知らせ、Sさんは援農先の農家へ行って改めてお詫びと報告に来るものとして、そこからA子を連れ戻しました。

 

 

 


 作業所のSさんはA子が放って置けない状態に、通所生数名の外来主治医であるN病院の懇意にしているN先生に緊急の入院をお願いしました。アルバイトの援農先から持ち帰ったスポーツバッグの中はすべて汚れ物だったので、持ち帰って洗濯するものとして浴衣のような入院着を借りて着せました。入院着を着せられたA子は変な着物とケラケラ笑いましたが、目は笑っておらず誰かが二人の仲を裂こうとしていると呟きました。Sさんはそれらに逆らえず従っていると言いました。

 

 A子の症状はB君の時も今回も、一方的な婚活を拒絶された時に起こる特徴が観られるので、顕在化しない症状の軽減は難しいことのようです。

 主治医のN先生によると、頑固な抑うつ症状は減弱しないので「持続睡眠療法」を試して見たいと言います。かつて新人だった頃に、オーベンの先生が施したのに陪席したことがあるが、効果に個人差があっても効く患者にはよく効くので試してみる価値はあると言います。
 

 この「持続睡眠療法」は薬物によって強制的に2週間程度は眠らせますが、夜間と昼間に長時間寝てもらいその間に食事とトイレを済ませて貰います。N先生は作業所の何かの会で見かけた事があるし、Sさんはよく寝て疲れをとった方がよいと勧めてくれたので”眠る治療”に応じたのです。

 

 



 しかし「持続睡眠療法」を終了して普通の入院生活に戻っても、A子はスッキリしたと言うものの気になっている件についてはさほど変わってはいないようです。N先生はA子の執拗な妄想気分を断ち切るために「修正型電気無けいれん療法」を実施して貰うことにしたと言ったようです。
 

 精神外科手術ロボトミー手術と並んで評判の悪い「電気ショック療法」を、最終手段として実施するのかといささか驚きました。否定派では無かったのでただ無くしてしまうのには残念な気がしていました。

 


 

 


 精神医療の闇歴史にその名を連ねてしまったのは、かつて”悪徳精神病院”が無報酬の服役作業や無断離院の懲罰に「電気ショック療法」の機器を使って恐怖と失神する痛みを与えていたからです。しかし正しい治療に用いれば、重篤なうつ症状や幻覚妄想に苦しむ患者たちとっては最後の救いでした。私が精神医療に関わり始めた新人のころ、大学の研究室に夜遅くまでいて翌朝バイト先の精神病院がある東京の西の外れまで行かなくてはならなかったので、交通渋滞などで幾度か失敗したことがありました。そこで当直では無いけれど前夜から病院に泊まり込んだのです。

 深夜でも夕飯にありつけてお風呂にも入れるので、願ったり叶ったりでした。病棟の消灯前にたどり着くようにしてディルームにいる患者さんと立ち話程度の会話をしました。数部屋ある病室の特別室はいつも空室だったので、看護師さんにベッドメイクして貰っていて潜り込んでいました。ところが驚いたことに、レントゲン室や病理検査室などベッドのある部屋には”宿泊者”がいるのです。国公立病院の医療技術者などが平日夜間や休日にアルバイトして翌朝早く勤務先に出勤しているようなのです。

 

 

 


 
 時々顔を合わせる公立病院のF先生は、平日1日ある研究日に当直のアルバイトをしているようです。前日夜から翌日まる1日勤務するのですが、他の当直医とは異なり「電気ショック療法」を受けたがっている患者さんの為に来ているようでした。幾度も入退院の経歴があり薬物療法では効果が僅かで、かつて電気ショック療法で「うつ」や「妄想」が消失してクリアな気分を経験した患者さんたちが希望しているようなのです。前世紀の遺物のような電気ショックの治療器は木製で厚めのアタッシュケースのようなもので、メーカーが生産も販売もしておらず写真でしか見たことの無いものでした。

 F先生は次々に”処置”を淡々とこなしているように見えました。それを求めて集まる患者さんに囲まれている為でしょう。軽々しく大変なことをやっているようには見えず、不思議な光景でした。電気ショックの治療を受けた瞬間に気を失ったようですが、直ぐに回復してのっそりと立ち上がりそろそろと独りで歩いて自室へ戻って行きます。少々オーバーですが、これを次々と流れ作業のように整然と続けています。

 電撃を受けた瞬間はどのような感じなのか尋ねましたら、いきなり野球のバットで後頭部を殴られて気を失ったようだと言いました。湯上りのように上気した顔をしていますが、左右のこめかみの辺りが白っぽく発赤しているのが印象的でした。

 他の精神科病院では大手術のような様相で、麻酔科医が全身麻酔をして人工呼吸等を含めた呼吸管理、循環動態の観察を行い”無けいれん”で実施出来るようにしているようです。可能な限り万全を期した実施法のように思えますが、施術対象が限られてしまうのは仕方ないのでしょう。
 

 あえて修正型電気けいれん療法 m-ECT(modified electroconvulsive therapy)と称しているようですが、突然の心停止から救命するAED(自動体外式除細動器)の電気ショックのように社会から”電気ショック療法”が認知されて公然と使用されるようになって欲しいと思います。

 

 

 


 退院して来たA子は、スッキリさっぱりしていました。たぶん「修正型電気けいれん療法」を受けたのでしょうが、充分に効果が得られていたのには驚きました。
 

 B君たちのことを口に出すような雰囲気もまったく無く、口にしたのはSさんへの感謝の気持ちでした。お祖母さんがSさんには手を合わせて拝みたいくらいだと、よく言っていたのが分かったと言います。そして両親のことについても初めて触れ、父が蒸発したのは母から逃げるためで強引に自分を押し付けたからだと気付きました。

 独り親家庭になっても頑張ってくれたので感謝の気持ちしか無いが、母の強引さが自分の中にもあったので掛けた迷惑を考えると吐き気を催すほど嫌な気分になったと言いました。
 

 独り親家庭に育ち祖母と二人だけの暮らしになり、その環境から1日も早く逃げ出したい気持ちがあって、結婚してくれそうな人と出会うと勝手に結婚する気になってしまいました。そこに負けん気な性分が加わって、強引に結婚に応じさせてしまおうと幾度もしたのです。SさんはA子がこんなにも冷静に分析していることに驚きましたが、同時に上滑り感を拭い切れずにいます。


 



 
 A子をよく知るSさんの予感が当たってしまうのか、作業所への通所生であるN君と急速に親しくなっています。N君は模範的な通所生であることから、他の作業所から引き抜きがあるほどです。

 

 しかし作業所への通所歴は長いのですが、ハローワークから職業紹介を得るにはいま一歩頑張れずにいます。N君は障害者手帳を持ち生活保護でアパートに一人で暮らしていますが、作業所卒業へのあと一歩に意欲が湧かず、作業は滅多にしない”ニート”のような生活振りになっているようです。
 同じような生活振りになっている通所生が集まって歓談する「ソーシャル クラブ」を作ろうと、市役所や市議会議員会館へ陳情に通っているようです。


 

 



 そのN君とA子が急激に親しさを増しているので、Sさんは二人が結婚すると言い出すのを心配しています。N君は結婚したい気持ちは持っているでしょうし断れない性分ですから、A子が結婚しようと思えばN君は応じてしまいます。ともに生活保護受給者が結婚する例はあるのですが、心配するのは親心であっても老婆心でしょうから仕方ありません。
 

 若い二人が結婚して成長し、子どもが生まれて成長してくれればやれやれですが、結婚して二人で”おままごと”の様な暮らしを考えていたら、公助か共助かだれかの援助なしでは続けられません。
 

 したいからするでは周囲に迷惑をかけるだけで、不幸な事件や事故に繋がり兼ねません。