ある青春の日々
(1)ある学生の日常について
世間では”青春は甘くて辛い”と表現するようですが、私は想いが届かなくて失恋に終わった時以外は”身の不幸を嘆く”ような事はありませんでした。高校を卒業して大学に進学する間に母親が「持ってて邪魔になる物ではないから」との勧めで自動車教習所へ通い運転免許を取得しています。
姉や兄たちもそういった経緯で取得していたので、そうするものと思っていただけでした。しかしアルバイトで高収入を得るのに大いに助かり、密かに母に感謝したのです。
簡単でラクな高収入のバイトは自動車の運転の仕事に多く、荷物の積み下ろしをする助手とセットで採用されるとバイト代が割り増しになるのでその”適任者”を連れて行きました。
適任者は同じ学生寮にいる重量挙げの選手で牛乳運搬などの助手の経験があるようでした。
牛乳運搬車には荷台に大きな保冷庫が装着されていて、その中で牛乳やヨーグルトの入った箱を中腰で出し入れするのですから、ギックリ腰や腰痛にならないのが不思議なくらいです。
しかし重量挙げ君にとっては、その牛乳やヨーグルトの入った箱を中腰で出し入れするのはトレーニングの一環のようなもので、アドバイスしようと思った事はすべて承知のようなので”釈迦に説法”になるところでした。
私は運転免許証を持っていても普段クルマに乗る機会がないので、トラック運転のバイトでもドライブを楽しんでいるような気分でした。その上バイト料が貰えるので有難すぎる気がしましたので、積み下ろし作業の助手君にとってはトレーニングのようなものとはいえ申し訳ないような気がしましたので、割り増し分は彼のものとしました。
牛乳工場の出荷窓口は小さくて覗いていても庫内には動いている白い長靴ぐらいしか見えませんが、しっかり見ていませんと突然の冷気とともに品物の箱が飛び出て来て慌てさせられます。最初に出てきた箱に出荷伝票が添付されていて、品数に間違いが無いかを確認しなければなりません。
うっかり品数の不足を見逃して配達先で発覚しますとドライバーの責任になりますので、しっかりと品数の確認をしなければなりませんが、品数が多く出て来た時には思わずバンザイを叫びたくなります。数件の配達先を巡って帰路の途に着く際に荷台の保冷庫を覗きますと、配り余った牛乳と乳製品の箱が燦然と輝いているかのように思えます。
牛乳工場の敷地内にある運送会社の駐車場へ配送トラックを返却する前に、配り余った”戦利品”を大学の寮に降ろさなければなりません。昼下がりの人影もまばらな寮の中庭にまで保冷トラックを乗り入れますと、”凱旋将軍”を出迎えるかのように寮生たちが群がって来ます。牛乳やヨーグルトは珍しくありませんが、高級な乳製品はスーパーやコンビニで見かけても買うことは滅多に無いのでゲットするにはジャンケンで勝ち抜かなければなりません。
牛乳配送のアルバイトは相棒君が卒業したのを切っ掛けに「牛乳配送運転」のバイトは終わりにしました。授業数が少なく空き時間がやたらと多いのをいい事に、バイトに明け暮れた日々に若干反省し昼間のバイトはせずに「夕食付き家庭教師」に専念する事にしました。
私の指導教官でもある准教授が「遊び相手になる家庭教師」ということで、あえて”勉強を教えない”家庭教師を提唱し常時募集するようになっていたのです。准教授は文科省に移る前は法務省医官だったので家庭裁判所からの「虞犯少年」や教育委員会や教育相談所から「軽愚」や問題ある児童生徒が紹介されて来て、親や保護者は子どもの気持ちが解る「よきお兄さんお姉さん」であって欲しいと望みました。しかし、子どもたちからは拒否されたり母親からは長時間の面談を希望されたりで、”寝るまでに”帰れれば良いと覚悟を決めて対応しました。ご両親が”共働き”で「学童」(放課後学童クラブ)の代わりになったまでの場合と、母親のワーク・ライフ・バランス(work–life balance)が改善されて生彩を取り戻し子どもも元気になった事例もあります。
両親間の「出来ない無理」が立場の弱い子どもの”症状”となって噴出したのでしょう。
「夕食付き家庭教師」で多くを学びましたが、問題ある家庭の”病んだ部屋”が如何なるものかを知ったことはよい経験となりました。靴を脱ぐスペースの無いような玄関入ってリビングまでの廊下は、ひと1人がやっと通れる程度に古新聞やマンガ雑誌そしてレジ袋に入ったペットボトルや空き缶が積まれています。
そして、さほど多くはありませんが、キッチンに隣接した部屋のフローリングや畳が油汚れで変色してネバ着くのです。どこの部屋へ行っても家中がツーンと鼻をつく生ゴミの腐臭がわずかですが匂います。
また、訪ねたお宅が庭付きの戸建て住宅ですが、空き家のようなあばら家で塩ビの屋根にはヒビが入って穴が空き雨樋は外れています。父親は海外赴任で現地法人の社長をしているので滅多に帰って来れず、母親が宗教に入れ込んでいる為のようです。
色々な家庭があって外からでは窺い知れない事情が多かれ少なかれあり、得難い貴重な体験が出来たのは同じ学生仲間の数人が失敗した「訪問診療」の形を取らなかったことと、約束になっている「日時の変更」をこちらからは決してしなかったことです。一方的な理由での「時間延長」にも快く応じた事で好結果が得られたのだと思っています。
(2)思い掛けないラッキーな1ページ
日中はバイト三昧に明け暮れ、夕暮れになると古巣に帰るカラスのように大学の「夜の”解放区”」へ帰っていました。古い校舎の講義室や実験室の準備室は学生の「ねぐら」になっていて、さり気なく寝袋などが置いてあり空き箱の中には期限切れでは無いカップラーメンが入っています。
ぷっつりと学生の姿がキャンパス内から消える時間帯や長期の休み中に、ふらっと暇そうに歩いているのは「ホームレス学生」で、私を含めて大抵は寮に自分の部屋があるか今時珍しい1畳千円の下宿を借りています。
大学から数分の近さで古くて大きな家に老夫婦か高齢の女性が独りで住んでいる家ですが、玄関に鍵がかかっている事は無く引き戸をガラガラと開けると「誰なの」と声がかかり、名前を名乗りますと「郵便物が来ている」とか連絡事項があり大家さんによっては「到来物の果物があるから」「お総菜をたくさん作ったから食べるか」などと声をかけて下ださる事もあるようです。
寮の3畳ほどの自室には万年布団が引いたあり帰って寝るのは手足を伸ばして寝たい時であり、そんなことは滅多に無いのですがお風呂に入りたい時は間違いなく帰ります。入浴中に洗濯機を回しますが、節電のために乾燥機は使えないのでしっかり脱水し出窓に室内干しをします。
斜め前の部屋に住む先輩はやはり3畳ほどの部屋には万年布団が引いてあり、その上に電気炬燵が一年中置いてあり窮屈そうですが慣れれば快適だと言います。元山岳部で登山用品とキャンプ用具がその布団のぐるり積んであり、炬燵の上にバーナーを置いてその上にコッヘルを置いてラーメンやすき焼きもどきなど大抵の鍋料理は作ってしまいます。洗面所の水をポリタンクに入れて来て調理に使っているので時に食欲が減退する事もありますが、お腹が空いていても外に食べに行くのが面倒な時には食欲をそそる香りに負けて迷わずお相伴させて貰っています。
ある土曜日の昼下がりのころ、学内の「ねぐら」から空腹に耐えられずノコノコと起き出して町中華のお店に急ぎ、近道になる正門を抜けたところで細身で背が高めでリクルートスーツのような服装で、20代前半と思える若い女性が「一寸よろしいですか!」と声をかけて来ました。素朴で生真面目そうですが、真剣で硬い表情でなければ気楽に応じられそうでした。
昨夜はカップラーメンしか食べていないので馬一頭でも食べられそうなほど空腹であり、たまにはは真面なものを食べたいと急いでいるところなので、”急用”を口実に断ろうかとも思いましたが、このところ若い女性と話すことも無かったので、若い女性と”おしゃべり”するのもいいかなと応じました。開口一番「科学と哲学と宗教の融合を可能にした論理が提唱されたことをご存知でしょうか」と恥ずかしそうに言います。
科学的に証明された「現代的な宗教」であることを売りにする、若い女性の勧誘員が懸命な説明をするのを聞くのもラッキーと迷いました。しかし腹の虫の絶叫に猶予はないので、明日の日曜日は午前中に洗濯をするだけで午後はまるまる予定は無いことから、もし昼頃に寮まで来て貰うことが可能でしたら充分話は聴けると提案しました。
それは禁じられているとであり”そこまでは”と拒絶されるだろうと思いましたが、寮の所在地を知っていたので旧棟の203号という部屋番号を教えましたが多分来ないだろうと思いました。
翌朝はやや早めに起きて洗濯機を回し、しっかり脱水して出窓に干し終えてぼんやりと部屋の前の廊下にだらし無く座って居眠りをしそうになっているところに、視界から外れた右側から「遅くなりました」と女性の声がしました。
半分まどろんでいたので「昨日の女性」がすぐ側に立っていたので驚きました。通常外来者は「面会室」で待つ筈です。玄関横の部屋で受付当番の不慣れな下級生が教えたのでしょうが、日中私は寮に居ないので普段がどうなっているのか知りません。
階段を登って左に曲がって一番奥から2番目の部屋ですが、一番奥の先輩は泊まりで山に行っているようなので不在です。開け放って廊下の1畳半を含めますと私の部屋は4畳半程度の広さになります。入学時に郷里の母が送ってくれた「布団袋」の中に座布団が1枚入って居たので、その片面を来客用としたので日焼けもせず新品時のままです。
即座に座布団の座面が”来客用”であることを確認して廊下に敷き座って貰いましたが、差し込む陽光が座った女性の膝頭に当たり眩しいほどに輝きました。凝視して動揺を隠せなかったら「初戦に敗退」してしまうので、何食わぬ顔をして対峙しました。傍らのトートバッグから手作りのお弁当らしきものとペットボトルの緑茶2本を取り出し、祖母が送ってくれた梅干しと昆布の佃煮で作った「おにぎり」でコンビニの2個分で6個作ったぐらいの可愛いサイズでした。
しかも押し寿司のようにしっかりと握った「おにぎり」では無く、ふんわりと空気と一緒に握った達人技の優れものであったので、科学的を売りにする「新参の新興宗教」から生気を抜き取られた”干物女”では無いだろうと思え不可思議でした。
ゼミの読書会でベルナールの「実験医学序説」を読んだばかりなので、準備万端であり「何処からでも攻めて来い」とばかりの余裕で応じました。
科学と宗教が融合した新興の宗教が今を生きる私たちに如何に必要であるかを必死に説明しようとしますが、矛盾して穴ばかりの論法に「からかうつもり」は無くても「からかって」」いるかのように見えてしまうので苦労しました。
ためらいもなく男子学生寮へ訪ねて来て、あの「おにぎり」に恐れ入り”只者でない”と感じさせられて彼女が何者であるかが気になりました。祖母が梅干しと昆布の佃煮を直接送ったということから”お婆ちゃん子”がキーワードかとも思いましたが、「新・新興宗教の勧誘員」の実態そのものに強い興味を持ちました。更に驚いたのは同世代の女性6人で”借り上げ社宅”のような戸建て住宅に住んで、共同生活をしていてちょっとお局様っぽい先輩の女性が仕切っているようです。
5人の同僚はそれぞれ夜間にはコンビニや飲食店で働いていて、バイト代は全額お局さんに手渡しているようです。衣服や小物を買いたい時はその金額を小遣いとは別に貰えて不自由は無いと言いますが、地味で質素で化粧っ気も無くポニーテイルは伸びると互いに削ぎバサミで切っているとの事です。
(3)恐れを知らぬ「新・新興宗教」の勧誘員か
「新・新興宗教」の勧誘員かと思われるA子の父親は小学校教師で定年前に退職して大学教授になったそうです。外面が良くて学校では評判の良い先生だったようですが、家の中でも「”先生”をやっている」ので息苦しく殆ど書斎で机に向かっていて、顔を合わせた時には「テレビがうるさい」か「勉強したか!」の2語しか口にしなかったようです。
母親は「家と学校が逆だったら良いのに」とボヤくばかりで、カミナリを落とされないよう腫れ物に触るようでした。1日も早く家を出たい気持ちでいつも一杯でしたが、高校を卒業するまでは辛抱するしか無いと思っていました。しかし、高校を卒業し就職で家を出たら「娘は母親似だから大学に入れなかった」と言うに違いないので、アッパーカットで一撃して家を出たいと考え一考を案じたと言います。
高校の時の期末テストで100点を取ったら父親は「さすが俺の娘」と喜んだので、「大学に合格して入学しないで」家を出ようと決めたのです。頑張って成績が上がると学校の友達も先生たちの態度がガラリと変わり、母親も父のご機嫌が続くように頑張ってねと言いました。
進学クラスにいて誰も成績が伸び悩む時期にぐ~んと伸びたので、さすが”教授の娘”と白々く称賛され注目を受けました。
受験勉強はゲームで勝つための努力と似ていて、”必勝法”を知れば必ずしも苦しいばかりではありませんでした。努力しただけ報われればのめりこむ事もあり、受験勉強にのめり込めばのめり込むほど”好適度が向上”しました。この調子で行けば余程の事がない限り父親の望むような大学に入れてしまうので、合格した後の「入学しないで家出をする」方策を考え続けました。
父親が望むのは国立女子大へ入学して教員免許を取得する事でしょうが、小学校と幼稚園の教諭免許を同時に取得する様なのです。その免許には膨大な数の単位の取得が必要で、絵画や彫塑さらにはピアノも初級教則本のバイエルをある段階まで弾ける様にならなければならないのです。
大学に合格した瞬間から本格的に考え始めましたが、入学手続きをする前に家出をするか入学手続きをしてから家出をするか悩みました。入学手続きをする前に家出をするつもりでいましたが、入学手続きをして「学生証」を入手したならば”家出生活”してからの「身分証明」になると考えたのです。
しかし、入学手続きをする時には「入学金」を払い込まなければなりませんし、たとえ「特待生か奨学生」になれたとしてもある程度の払い込は必要でしょう。
父親へのショックは高額の方が効果的でしょうが、母親の顔を思い浮かべると出来ないので、入学手続きをする前に家出をすることにしました。いきなり外国へ行く勇気な無いので、国内をアルバイトをしながら旅行することにしました。海外で働くワーホリ(ワーキングホリディ: Working Holiday)の様なものがあればと調べましたら、ウーフ(WWOOF:World Wide Opportunities on Organic Farms)は日本人が日本国内で働くことが可能であることが分かりました。
ウーフにウーファー(WWOOFer:ウーフの働き手)の登録をしますと、交通費の負担だけでホスト宅の家業を手伝えば食費と宿泊費が無料になるようです。イギリスで都会の人たちが「有機農業」を体験するために始まったようですが、日本では農業はごく一部でかなり幅広い業種のホストが存在するようです。
酪農や農業ましてや水産加工は苦手な業種ですが、ホストのPRページでは「乳製品の製造販売」や「農家民宿」そして「道の駅での販売」などがあり、今まで経験のあるコンビニや飲食のホール係とさほど変わらない仕事でやって行けそうです。ハイシーズンの行楽地には高額のバイト料が提示されています。
携帯電話と健康保険証(遠隔地被保険者証)は母親に頼らなければならないので、定期的にメールで「健在報告」を送る約束をさせられています。
東京駅前の中央郵便局で北海道の絵ハガキを買い「バイトをしながら北上し夏の北海道を満喫したのちに冬の沖縄を目指して南下するつもりです。」と書いて投函してあります。母親には何処まで信じて貰えるかは判りませんが、父親はこんな「子ども騙し」でも信じますが”関心度”の差だろうと思っています。
父親が喜ぶ大学に合格しながら入学しなかったので、その怒りを避けるためには1日も早く家を出ることでした。漠然とバックパッカーのような生活に何となく憧れていましたが、いざとなると何処から始めたらよいか判りません。こころの準備が整うまで「シェアハウス」で暮らし、コンビニでバイトをすることにしました。バイト友だちが家を出てシェアハウス暮らしていたからですが、バイトとシェアハウスはいつからでも始められいつでもやめられるのが都合よかったのです。
ところが数日にして隣室の友だちから「誰にも話せることでは無いけれど」と前置きされて「カバンに入れて持ち歩いていた全財産の現金が盗まれてしまった」と涙を浮かべ小声で告げられてしまいました。小一時間もこの状況と気持ちについて説明し、ここの家賃の半額ぐらいシェアハウスがあり誘われて迷っていたが迷っていられない事になってしまったと言います。
そして、どのようなシェアハウスなのか、どんな人たちが住んでいるのか、一緒に様子見に行かないかと誘われました。紹介者が必要だけれども若い女性ばかりだから気遣いなしで安心のようだと言いますし、出入りは管理人室の前を通るので外部の人の出入りは難しそうなので安心でした。
学校や会社の寮のようでしたが、広々とした調理室兼食堂とリビングを連結したような部屋で、学校や会社の寮にもこんな広いのは無いと驚くほどでした。女子寮の様なものと思っていましたが、ボサボサ髪で寝起きのパジャマ姿がフラフラ歩っているような様子はまるでありません。
誰もみな自室でそのまま外出できるかのように身支度を整えていました。流石にリビングで寛いでTVを観たりしている時はそれほどではありませんが、自室以外の共有部分ではそれなりの格好でモラルのような互いに失礼にならない気遣いが求められているように思いました。
案内をしてくれている管理人さんは私の父親よりちょっと若いかなと思いますが、丁寧で親切で細かな気遣いができる人のようです。ご夫婦で管理人室に住み込んでいるようですが、地味で質素なスーツを着ていてこの姿で作業や雑用をしているのだろうかと不思議な感じがしました。
このシェアハウスそのものが女子校の寮のようですが、管理人さんも女子校の先生のようで違和感に近い印象を持ちました。しかし、他のシェアハウスは年齢も性別も雑多なのが当たり前のようで、入居者が転出したらどんな人が新たに入居して来るかが気になります。
その点このシェアハウスは女子校の寮のようで窮屈なところもあるかも知れませんが、管理人さんがキチンとしてくれているようなので私のような「社会人1年生」にも向いてるように思えました。今住んでいるシェアハウスから此処に一緒に移って住もうかとも思いました。
この一味違うシェアハウスは、何故か格調の高い管理人さんの「密かな思い」を現実化する”工房”のように感じました。見学に来た時に感じた存在感のある調理室兼食堂とリビングである広々とした部屋は管理人のご夫婦が「講話室」と「懇親会室」として使用するものである事が分かりました。
管理人さんが皆から”先生”と呼ばれているからであることが分かり、内村鑑三の「無教会主義」の思想から発展させた「思い」を普及させようと実践しているのだそうです。
キリスト教の「教会」はカトリックが重視しプロテスタントはそれほどでも無いように思えますが、内村鑑三の「無教会主義」はさらに「聖書を学ぶ”集会所”」さえあれば良いと言わんばかりです。聖書の教えを至上と考える人たちは、それが「原理主義」そのものである事に気づかなかったのでしょう。
イエスから教えを受けた弟子たちが、その教えを広めようとしたところから新興宗教としての「キリスト教」が始まり、その時代の人たちに合わせて多くが入信するよう「奇想天外な奇跡話」を盛りに盛ったのでしょう。カトリック全盛の時代に、教会が罪が許されて天国へ行けるチケットのような「免罪符」を販売するようになりました。「ご利益宗教」になり下がったと批判されつつも”富と権力”を掌握し国を動かすほどの”圧力団体”になりましたが、そのカトリックに抵抗する「プロテスタント」が勃興しその為にカトリックは低迷しました。キリスト教でも「感じる宗派」と称されるカトリックは、どんな罪人も「善行」を積めば救われると考えます。ここで言う”善行”とは巡礼や寄付そしてボランティアのことです。そして労働はややネガティブに捉えられており、蓄財には罪悪感すらあります。
一方で「考える宗派」と称されるプロテスタントは、どんな罪人も「信仰」によって救われると説きました。聖書を学び祈ることで「神との対話」が成立すると考えるのでしょう。
しかし、その「無教会派」の行く末はそれぞれ”個人と神”との関係のみと、同じ信仰を持つ者たちの「集い」のみになるように思います。このシェアハウスを同じ”宗教観”を持ち集う者たちの「生活拠点の場」とし、私たち夫婦はこの場に「講話」と「懇親」の機会を与えています。生活に疲れた人たち主にシングルマザーや若い女性へ、上目線では無い立ち位置での支援をしたいと思っているからです。
社会的に有益な存在は賞賛されますが、社会の負担となる存在は「自己責任」という言葉であっさり無視されていて放置されています。カトリックは存在維持のために取った方針とはいえ、貧しい人たちへ視線を向け救済に尽力しているように思えます。それに対してプロテスタントは”貧困は努力をしなかった結果”として見なしている向きがあり、努力して成果を得た”勝者の目線”で眺めているよう思えてなりません。
国民総幸福量(GNH:Gross National Happiness)で上位を占める北欧の国々に共通する、高税率で就労し早期に退職して人生後半はボランティア活動に従事して、充実した生活を送るという「人生プラン」は幸福度指数を上げる要因だろうと思います。
我が国の多くはその真逆の人生を送っているので幸福感が低いのだろうと思います。昔から「情けは他人の為ならず」という諺が教訓のようにありますが、少なからずその「めぐり巡って我が身の為」という下の句を知らなかった為に「情けを他人に掛けてはいけない」と覚えていたようです。
かつてブータン王国の人たちのGNH国民総幸福度が高いので話題になりました。ところがインターネットの普及で国民の幸福度が一気に急落したことも驚きと共に話題になりました。その事から、途上国の人ほど”飢餓の不安が少なければ幸福”と感じているのだろうと思いました。
我が国のように「見せ掛けの豊かさ」ではお互いに”見栄を張り”ながらの日々なので、豊かさは感じられず更に感じてもよい筈の豊かさも感じられ無いのでしょう。
(4)” 無欲 "に生きたら「新・新興宗教」の” 教祖 ”になってしまったのか。
シェアハウスの格調の高い管理人さんは、「先生」と呼ばれているだけの事はあってやはり只者ではない管理人さんでした。地方の大学の教授に若くしてなりましたが、学ぶ気がない学生の前で喋り続ける虚しさに嫌気が指し、学生時代の自分のようで文句をいう気になれず退職してしまいました。老け気味のニート(NEET:Not in Education, Employment or Training. )になってしまいましたが、一緒に暮らしている小学校の同級生だったパートナーの訴える眼が気になったので、毎日9時から5時まで近所の図書館へ通って読書三昧の日々を送りました。
管理人の先生は婚外子で母と2人の暮らしで育ったしたので、地方の名士だった父の顔は殆ど記憶に無いようです。小学校低学年の頃は虚弱で週に数度は欠席したり早退していました。
クラスの男の子たちの乱暴な遊びには参加できず、女の子たちと大人しい遊びばかりしていたのだそうです。
小学校高学年になって病欠もなく元気になった先生を、お母さんはは東京の大学附属小学校へ転校させたのでそうです。お母さんの義の兄さんの勧めによるもので、高校受験や大学受験で気苦労したく無いのが表面的な理由でしたが、本当の理由は本妻さんの息子と比較されたく無かったかららしいのです。
伯父さんの家に下宿させて貰える安心と先生の様子を見に行くという口実で、お母さんは定期的に上京できる自由も得がたかったのでしょう。伯父さんは不動産業を営んでいて、お店と自宅は附属小学校へは歩きで通える距離だったのですが、附属中学へは電車で通う距離となり附属高校と大学へはアパートに住んでそこから通いました。成り行きで大学院へ進みましたが大学院は都内だったので、都内のアパートに住みましたが地方の大学に就職していた時も週3日は教職員宿舎に宿泊する形をとっていました。
高校から大学院まで近くのアパートに住み徒歩で数分の距離を通っていましたが、伯父さんの会社は家作の物件をたくさん所有していると思っていました。ところが後に伯父さんから、それらの物件は私の進学に合わせて購入したもので、今はどれも賃貸物件にしてあると告げられました。
そして、それらは母が私の名義で購入したもので、賃貸収入は私の名義で郵便局に貯金してあると言います。
先生はお母さんとと伯父さんのお陰で知らない間に”大金持ち”担っていました。驚きましたが、すぐに納得できました。先生が父親の”遺産”を相続できないのを不憫に思って、先妻さんの息子には及ばないにしても”お金に困らない”ようにして上げようとする”親ごころ”であることは痛いほど分かりました。
図書館に通って乱読の日々を送るうちに「どんな善人でも大金を手にすると、悪人になってしまう」「運命を切り開く能力がなければ、一生不幸なままである」「世の中は”力こそ正義”で、神も仏もあるものか」などの「社会通念」に興味を持ちました。
そもそも先生は”人生は自分で納得したもの”でありたいし、人生を終える時までになるべく悔いを残さないようにしたいと思っているようです。
今までの先生の半生は”成り行きと弾み”でのもの以外は”確かめ”て”納得して”歩んで来ていますので、「社会通念」の真偽を確かめようと思ったとのことです。
先生はお母さんと伯父さんのお陰であの「不労所得」が定期的に振り込まれるようになっていて、生活に必要な額しか引き出さないのでいつも想像するより遥かに多い額になっていると言います。このことは先生のパートナーも承知で生活に必要なだけあれば良いという考えで、綺麗に使わなければならない”お荷物”のように感じているようです。
「大金を手にすると悪人に」という”社会通念”を打破しようとする先生の考えを、パートナーは読書三昧の図書館通いが長引いているのが気になってかスンナリと賛同してくれました。
先生が上京して最初に住んだ伯父宅は恵比寿でJR駅と都立病院の中間辺りにありましたが、中学を卒業して高校と大学に近いアパートに住んで全く東京とは無縁の学生生活をしました。
大学を卒業して進学した大学院に通うのにまあ通い易い渋谷のアパートに住みましたが、そのアパートも先生の所有物件になっていましたのでその意味では通学に一番近かったのです。
NHKと区役所の中間に位置し駅に近いわりには繁華街から外れていて静かで、物臭な人間の先生には申し分ない立地であると言います。
このアパートはお母さんが購入した時は分譲の公団住宅でしたが、先生が入居するときにはディベロッパーによる再開発話が進んでいました。そして先生が地方の大学に勤務していた間に工事が終わり、信じられないほどの豪華なマンションに生まれ変わっていたようです。
薄汚れた公団アパートがガラリと近代的な豪華マンションに建て替わったのですから嬉しいのに決まっていますが、そこに先生が住むことを考えますとイメージが湧か無くてしっくりしないと思ったようです。
伯父さんに豪華マンションにして貰えたことを感謝しましたが、そこに先生が住むことを考えるとイメージが湧かない旨を説明しますとスンナリ承諾してくれたようです。子供の頃から先生をよく知る伯父さんは、田舎者である先生がすべて要領の良い”都会っ子”に引け目を感じていて、素朴でボクトツなところに心地よさを感じていることを知っていたのでしょう。華麗なフランスの文化よりも重厚なイギリスの文化を好む志向が先生にあることは知られていたようです。
そんなことから豪華マンションは「賃貸物件」にして、西新宿にある戸建住宅に居住することにしました。この戸建住宅の所有者も先生ですが、お母さんが購入した頃はJR新宿駅西口から徒歩10分ぐらいで青梅街道沿いの静かな住宅街でしたが、地区開発ブームで”地上げ屋”が群がりそのブームが去るとそこは更地と駐車場ばかりになってしまっていました。
今は地下鉄の西新宿駅が出来て今までの通称「淀橋病院前」から「医大病院前」に変わっても地元の人たちには親しまれていますが、地下鉄の駅から地上に出ますと青梅街道を挟んですぐに自宅ですからその変化には驚きそのものです。
振り返って医大病院と幾つかのホテルなどの高層ビルの谷間を通した先には、古さを感じさせない華麗な都庁ビルと公園のこんもりした緑が望めます。
いま自宅として住んでいるこの建物は、半世紀前に代々木公園にあったワシントンハイツの米軍住宅をオリンピック選手村に改築する際に払い下げられたもののようで、コンクリートの床を打った上に2x4(木造枠組壁工法)で建てられていました。床下に通気空間が無いので湿気が気になるのでは無いかと思いましたが、むしろコンクリート床の硬さが気になりました。
そこで先生ご夫妻たちが住むためのリフォームの際にフローリングの床下に多めの緩衝材と床暖房を入れたので、天井が高い米軍住宅のためか床高も気にならずコンクリート床の硬さはまったく気にならなくなっています。
かつての地区開発ブームで”地上げ屋”が群がった時にも母はその攻勢に応じなかったので、ここだけ緑の孤島の様にかつての佇まいを残しています。かつて何処の住宅でも広い敷地に余裕を持って建てられていて周りは緑の植栽に囲まれていましたが、昨今はその家が取り壊されて更地になると分割されて2軒建つことが多いようです。そのために植栽の緑が少なくなっているようです。
我が家の敷地内にアパートが建っていて前の所有者が経営していたようですが、建物が老朽化し建て替えることになりました。アパート居住者の殆どが徐々に他へ移りましたが、1組の老夫婦だけが残り建て替わった後も居住したいと強く希望したようです。
常識ではあり得ないことなので伯父さんは一存では決められず、母と相談して息子の私が将来的にどうするかを決めるまでは住んでいて良いと云うことにしたようです。
この西新宿の家に住むための改築工事を始めるについて、”後期高齢”の老夫婦が居住しているのでアパートの工事は2回に分けることにしたようです。敷地西側のアパート南北部分を前期工事とし、敷地北側のアパート東西部分を後期工事としました。アパート南北部分の南端と青梅街道の歩道の間にコーヒーショップとフラワーショップを開店することにしました。
コーヒーショップの店内を通り抜けると右に管理人室があり左に下足室があり下駄箱が並びコーヒーショップの駐輪コーナーに抜けられます。そして夜間のコーヒーショップ閉店後は夜間の出入り口となります。
フラワーショップの店内は医大病院の見舞い客用の切り花を中心とし、鉢花は自宅玄関前に並べ玄関と芝生の中庭への出入りはその鉢花の間を通るものとします。
アパートと自宅の屋根はスレート瓦であり耐用年数は遥かに超えているので、欧風に見せるためガルバニ鋼板製平板瓦に葺き替えました。断熱防火と耐震補強を施し白色モルタルの外壁に統一しました。
芝生の中庭はパラソルを立ててテーブルと椅子を配置し、コーヒーショップの客がオープンエァを楽しめるようにして、敷地東南端にある自宅とに一体化するようレイアウトします。密かにロンドンのハムステッドかボストンのビーコンヒルの街中にありそうな雰囲気にしたいのです。どちらも古くて落ち着きがあり、整然とした美しさが感じられるからです。
前の古いアパートの店子だった”後期高齢”の老夫婦は、ホテルの厨房で働いた経験があり弁当屋チェーン店の経営をしたことがあるので、「”賄い付き寮”のようなアパート」をキャッチフレーズにする事にしました。「賄い」はオプションにして「自炊」も可能にしました。アパートの利用者は主に「シングルマザー」と例外的に「二十歳前後の若者」とし「部屋代」も「賄い費」も”相場の半値”となるようにしました。
管理人室の隣に3畳の板の間と4畳半の和室が設けられ、かつてホテルでシェフとコンシェルジュだった”後期高齢”の老夫婦のお二人に住み込んで貰い、役職は「主任」ですが敬意を表して「シェフ」と「コンシェル」と呼び、私たちを「管理人」と呼んでもらうことにしたとの事です。
「シェフ」と「コンシェル」の主任たちは「賄い料理」を作って提供するのが主業務ですから、1日3回は調理室での作業に従事します。「調理」は根気とエネルギーが必要ですから実際の作業は主婦パートのおばちゃんたちにお願いする事とし、シェフとコンシェルには”指揮と指導”をお願いしています。
その間は先生かパートナーが”尤もらしい”顔をして管理人室で机に向かいますが、やっていることは自分の仕事でパソコンの入力作業のようなものです。
アパートの改築が終わって新たにスタートした時は新たな入居人は無かったので、「シェフ」と「コンシェル」と私たちの4人の食事でしたが、パン屋さんと花屋さん募集に応募してきた2人が加わり食事の時には一見すると”大所帯”のようになったとの事です。
パン屋さんと花屋さんの何方も”おひとりさま”で、近所のアパートに住んでいました。このアパートが「”賄い付き寮”のようなアパート」であり、「部屋代」も「賄い費」も”相場の半値”であると知ると即入居を希望しました。2人とも家財道具を大幅に処分しても収まり切れないので、店舗経営に必要であるとして例外的に認める事にしました。
アパートの居住者を主に”シングルマザー”と考えましたが、優先的に入居して貰うような募集方法も思い付きませんので、格安の家賃ということで自然に入居してくれるのを待つことにしました。当然のことに「病児保育」と「学童保育」(放課後学童クラブ)のことも考慮しなければなりませんので、大学のサークル活動である「教育研究会」の学生に入居して貰うのが好都合と考えました。そして、そこの掲示板に「入居者募集」を掲示して欲しい旨をメールで依頼しました。
女性雑誌や週刊誌出版社数社の相談室にも、同様に「”賄い付き寮”のようなアパート」の入居者募集案内を掲示して欲しい旨をメールで依頼しました。シングルマザーや若い単身女性の入居希望者がポツリポツリと様子見に来始めた頃に、数社の出版社から取材の記者も来ましたので一気に知られるようになりました。
「”賄い付き寮”のようなアパート」が女性の自立を「下支えする社会資源を構築したのか」に興味があるようなので、アパートのオーナー役をパートナーにお願いして「社会的弱者」と「スポンサー」を結びつけただけとあっさり言い切ってしまうようにして貰いまいした。
アパートの改築は予定日数を遥かに超えましたが、図書室を兼ねる「自習室」とストレッチャーも乗れる広さの「エレベーター」が追加されあらゆる事態に対応したものと自負するアパートになりました。「エレベーター」を追加した理由は想定するシングルマザーには小さな子どもがいるので、安全のために1階に住んで貰おうと思っていましたが1階には、いろいろな部屋を設けて充分なスペースが無くなってしまったからなのです。
「”賄い付き寮”のようなアパート」が女性の自立を下支えする社会資源となりうる態勢をようやく整えられたところに若い女性2人が入居を希望して見学にやって来ました。
2人とも20代かと思っていましたが高校卒業したばかりの未成年がいたのです。それがA子だったのですが高校生でも親の同意があれば入居可能ですが、それは難しいことのようでした。私は”大家”ですから一存での入居の是非は決められるので、”緊急連絡先”としてご両親の名前と住所そして電話番号を登録して入居を承諾しました。
好印象を狙ったのかリクルートスーツのような恰好で見学に来て、それが高校の制服だったのではないかと思えてしまうほど幼い印象でした。
年上の見学者は直ぐにでも入居したい様子ですが、高校生のようなA子は好奇心の強い性分のようで、一通り見て回ってから入居を希望しました。そして見て回ってアパート全体と2つのショップに興味を示しましたが、特に興味があったのは「講話室」と「懇親会室」に珍しいからと興味を示しました。
このアパートの管理人である先生が大学で講義をしていた時に、学生からは殆ど感想や意見が無かったので、興味を持って聴いてくれて感想や意見を言って貰える場所を持ちたかったようです。
先生の郷里は明治の初めにはキリスト教が定着して、カトリックに負けないほど”押し付けがましく”親切な信者が多く、友だちの家や親戚の家で食事をするのが嫌だったようです。信者の間では来客への敬意なのでしょうが、あたかも信仰を告白するかのような文言であればあるほど上手と見なされる「食前の祈り」を強いられ、信者でない限りそれは”いじめ”のようなものに感じてしまうのでした。
カトリックが富と権力を得て”天国へのパスポート”である「免罪符」を高額で販売したことが切っ掛けとなり、個々と神とのつながりを重視するプロテスタントが勃興し更には内村鑑三の「無教会主義」を知り”これぞ”と思いました。
しかし、内村鑑三の「無教会主義」も「聖書原理主義」ではあるようなので、先生は明らかに「非科学的なもの」と「科学で説明できるもの」に区分けして、何でも聖書に書いてあれば正しいとするのを改めようとしました。キリスト教も新興宗教の頃は信者獲得が最優先だったでしょうし、聖書もその目的のために”盛られ”部分も少なくは無かったでしょう。
歴史の流れの中でいつの時代も一貫して、密かに「信者獲得」のための”改ざん”を重ねてきたのだろうと思っています。大勢の聴衆に振舞うために僅かなパンと小魚を数百倍に増やして賄ったのは”盛りに盛った”講釈師のように「見て来たようなウソ」なのでしょう。
病人を癒すのはまさに”神業”のように語られ伝えられて来たのでしょうが、当時の医療としては身体を清拭し食物を与えただけで治るという程度のものが多かったでしょう。それを布教の手段にした結果は”盛りに盛った”ものになり、「死者が蘇る」ことにまでなってしまったのだろうと思います。
かつて、D.クラーク著「治療共同社会」を読み、来日したD.クラークの珍しく日本語の通訳が付いた講演会があるというので聴きに行きました。講演会の後に誰でも参加自由な懇談会があると云うので参加してみましたが、質問に応えて「治療効果が得られないのは、患者の数に比べて治療者の数が圧倒的に少ないから」さらに「どうしても完治させたいならば、パートナーにして人生の伴侶にすればよい」と発言に息を呑みましたが、それが「治療共同社会」の考え方なんだなと納得したことを思い出しました。
先生は図書館通いをしていた時にD.クラークの「治療共同社会」を読んでいたかも知れませんが、そうでなくてもD.クラークと同じ考えを持っているのかも知れません。
内村鑑三が提唱して実践した無教会主義の真髄である「聖書勉強会」は、”教室”のような部屋が必要なだけで他には何も必要ありません。教師のような立場の人が教壇に立ち書かれている内容を説明し、質問を受けたらそれに答えると云うもののようなのです。
管理人先生が無教会主義の「聖書勉強会」を継承しているかどうかよりも、信仰を持たないで聖書を研究している”神学者”のように思えてしまいます。聖書ばかりでなく、仏教の経典でもイスラム教のコーランでも有益な内容が書かれているでしょうから、有益な内容を教えたくなる気持ちはわかります。話は脱線しますが、キリスト教の宣教師が南の島々に暮らす女性たちが平然と上半身を裸にしているのに驚き、わざわざアメリカからブラジャーを取り寄せたという尤もらしい笑い話のような逸話があります。
宣教師もアメリカ人も”好意の押し売り”が得意なようなので、このような尤もらしい笑い話のような逸話があるのだろうと思います。
管理人先生が「聖書勉強会」を開いていても、アメリカ人宣教師の”好意の押し売り”と同じ様なものと見做せますが、A子たちの行動は「新・新興宗教」の布教活動そのものです。そして街角の”宣教”には好都合な「科学的な宗教」という表現で、あたかも哲学と宗教が科学と融合しているかのような言い振りです。
管理人先生の熱意が純粋なA子たちの行動となったのは理解できますが、完全な「科学的宗教」と思い込んで”布教”活動をしてしまっているところが大きな間違いなのです。
管理人先生の「聖書勉強会」が内村鑑三の「聖書勉強会」と同じようなものかと興味を持ちましたが、A子たちの行動が放置されていることえの不安から一気に興味が失せてしまいました。
管理人先生の「聖書勉強会」が”宗教色”を強めるのか消していくのか分かりませんが、かつて「イエスの方舟」事件がありました。千石イエスが主催する「聖書勉強会」とそこに学ぶ若い女性たちに、管理人先生の「聖書勉強会」が酷似しています。
「聖書勉強会」の生徒たちの若い女性20名弱の親たちは千石イエスに「娘は洗脳されて誘拐された」と社会に訴えそれをマスコミが支持し、千石イエスたちは日本全国を転々と逃げ回りその様子から「イエスの方舟」とマスコミに名付けられたようです。
管理人先生の「聖書勉強会」がどの様なことになって行くのか判りませんが、「イエスの方舟」の様にならないことを願うばかりです。
管理人先生の「聖書勉強会」の中身がどの様なものかを知らないで決めつける訳には行きませんが、この会合の責任者である管理人先生は勉強会の生徒たちの動きは承知していなければなりません。