今日は自民党総裁選投票日。候補者が乱立していますが、今日はネタにした選択肢の多いことの是非を取り上げます。

 

コロンビア大学ビジネススクールのアイエンガー教授の講義をNHK教育の白熱教室で拝聴したことがありますが、彼女は選択の科学という著書の中で、選択肢の多いことはあまり良いことではない、と言っています。

選択肢の多さは柔軟性を高め、選べる種類が多いことを好む人達には好まれるものの、選択に迷う人が多いということも考えなければならないという主張で、私が画面設計のユーザ-インターフェイスを考える時、参考になる考え方でした。というか、実務を理解して設計している者にとっては、常識なのかもしれません。

 

もっとも、何の選択肢なのかで違ってくるという面もあります。いろいろなお菓子を見せられた小さな子が、『どれでも好きなものを選びなさい』と言われた時と、生死に関わる選択肢とは選ぶ真剣さ、切実さが違います。選択肢の是非を検討する場合には、一般論ではなく、どのような状況・場面なのかという視点を考慮する必要があります。

 

上述のアイエンガー教授の本に書かれていたことを紹介します。


スーパーの店頭に、6種類のジャムを並べたテーブルと24種類のジャムを並べたテーブルを置き、試食をして気に入ったら買ってもらうという販売実験をしたところ、前者は試食した客の30%が購入したのに対し、後者は3%しか買わなかったという結果がでたとのこと。統計的な確からしさを以て結論づけるには、様々な条件を加味して実験を繰り返さなければならないと思うので、同教授はもっと実験をしたと思います。目移りするのか、甲乙つけがたいのか?結論としては『選択肢が多いと選びづらい』ということだそうです。少し調べてみました。

 

選択肢が増えると迷ってしまう心理

〇選択パラドックス

 選択肢が多すぎることで、かえって決断が難しくなる

〇情報過多

 多くの情報の中から最適なものを選ぶことが難しく、判断が遅れる

〇決定回避

 多くの情報の中から最適なものを選ぶことが難しく、決断すること自体を避ける傾向

〇欲張り

 ある選択肢を選ぶと他の選択肢を諦めなければならないことから、決断を躊躇

なぜ選択肢が多いと迷うか?

〇比較の困難さ

 選択肢が多すぎ、選択肢を比較検討することが難しくなる

〇完璧主義

 最適な選択肢を選びたい気持ちが強すぎ、どれを選んでも後悔するのではないかという不安が生じる

〇時間的制約

 選択に与えられた時間が短い場合、焦りや不安を感じる

 

ということです。なるほどと思いますが、既に書いてきたとおり、何の選択をしなければならない場面なのかということが大いに影響しています。情報システムの画面設計の場合には、業務を知り、その業務を構成する作業を理解し、現場を観察し、現場にヒアリングすることで、選択肢が多くても少なくても、そうすることの根拠があります。ただし、業務・作業分析を誤ると使いづらい階層構造(カスケード)になったりするので、注意を要します。

 

タイトルに掲げた自民党次期総裁選に話を移します。9名もの候補が乱立し、誰にしようか選択に困っている議員、党員がいることと思います。議員は主義主張を以てこの人!と決めたいものですが、実際にはそうではなく派閥の縛りや、有力者からの指示だったり、論功行賞を期待したりで、様々な思いが交錯して悩むことでしょう。党員も同様ですが、党員はどうせ国会議員の投票で決まると思っているので、それほど縛りはなく、比較的自由に選ぶことができると思います。

 

さて、この9名の候補・・・裏金問題、旧統一教会問題で自民党に向けられた厳しい視線を浴びながら、危機に瀕した党を立て直すという覚悟があると思います(思いたい)。間違っても、兵庫県の斉藤知事のように権力を振り回したいと思っている人はいないでしょう。あっ、いました。岸田さんです。総理に就任し、地方行脚した際、小学生に『どうして総理大臣になりたかったのですか』と聞かれ、『一番権限が大きいから』と口走ってしまったことがありました!小学生なので、分かり易くと思ったのかもしれませんが、いささか情けない!

派閥解消で、派閥の縛りがないことから存在感をアピールするチャンスとばかりダメ元で立候補した人はいないのか?9人もいるので、負けてもそれほどダメージはないと思っている人はいないでしょうか?増税しないという候補もいましたが、財源が絵に描いた餅でないことを願いたいものです。

 

9名の立候補は、56名が立候補した都知事選よりはマシですが、蔵書のアイエンガー教授の選択肢が多いことは一般的に良くないという選択の科学を思い出した次第です。

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メインフレーム全盛時代、そのOS(スーパバイザ部分)の設計、SEへの技術支援、トラブルシューティングをやってきました。コンサルタントに転職してからは、業務分析/それを踏まえた業務改革改善とシステム構築をやりましたが、並行して社会人学生を相手に大学で講義をしたことがありました。この時知り合ったのが、大学の先生方。張り巡らしたアンテナから入って来る多種多様な情報、論文など、集めた情報を明晰な頭脳で整理整頓し、一般化。それを踏まえて、こういうことが言える/それを裏付けるこういう情報がある等と解説し、論文に纏めたりしますが、何しろ実務経験がありません。

 

例えば、BPR(Business process reengineering)を図解で説明した私のテキストを無断でコピーして使っていたある大学の自治体行政を専門とする教授がいました。講座を取りまとめていた彼には、印刷したテキストを渡していましたが、電子メディアで欲しいとの依頼がありました。魂胆がみえみえだったので、メディアでの提供は断りましたが、実際にBPRをやってことがないこの教授は、この図が欲しかったのでしょう。自分のテキストにも流用したいので、提供してもらえないかと具体的に言って来れば、承諾したのに! 別の大学の教授に、私のテキストと彼のテキストを見せましたが、断りなく転載するのは、問題だと言っていました。プライドがあったとは思いますが、やってはいけないことをやってしまいました。著作権に一家言持っていた方でしたが・・・

 

BPRとは何ぞやということくらいは理解していたと思うこの教授、BPRを語らせたらそれなりに話すことはできると思いますが、残念ながら一度もBPRの現場にいたことがありませんでした。

どうしてBPRができないのか?

どうしてBPRに拒否反応を示す人がいるのか?

どうして総論賛成各論反対になるのか?

等々、実際にそのプロジェクトに身を投じ、現場に入り込み、地に這いつくばり、泥をかぶったことがないと知り得ないことが山の様にあります。情報システムは実務経験がないと語れない領域なのに、机上で情報を集め整理して考察するだけの先生方の限界です。大学の先生にありがちなことです。

 

一方、経験はあるものの、管理職だったり、職種が企画だったりする場合には、似たようなことがおきます。ある大学で社会人学生を教えていた際、それまでの講義から何を知り得たかを中間発表する場に出席したことがあります。受講生の発表にBPRをしながらシステム構築をするという聞いたことがないものがありました。ひょっとしたら、プロトタイプアプローチのことを言っているのかと思いながら『そんなことが現実にできるのか?』を質問しました。

 

その受講生が返答に困っていたので、BPRの趣旨とやり方、およびBPRを完結せずにシステム設計をしたらどうなるのか説明しました。後で分かったことですが、これを教えたのが大手コンピュータメーカ出身の教授でした。しかし、設計、開発、テスト、保守の現場ではなく、計画・企画畑。企画畑では、話しとしては理解しているものの、血の通った経験することができません。情報システムの企画・設計・開発・運用保守は泥をかぶった実務を経験しないと臨場感あふれる本物の講義ができません。コンピュータメーカ出身の先生なので、少しはマシかと思いましたが、BPRをしながらシステム構築をするという斬新な発想に驚いたことを記憶しています。もちろん、できません!それにしても、答えに窮している教え子に助け船を出さなかったこの教授、ひどい!

 

また、大手企業のCIOだった者が、口を差し挟むことがあります。多くは❝伝授してあげる❞という手合いです。人材がいて、予算もある大企業と、そうではないクライアントとの有形無形な彼我の差を理解しないこの種の発言には、ありがた迷惑なことこの上ありません。私のプロジェクトにも助言するかのように『わくわくするようなシステム』と口を差し挟んで来た元CIOがいましたが、何にわくわくするのか?機能か、操作方法か、斬新性か?有り難く拝聴しましたが、この様な観念的なことが役に立つとでも、思っているのでしょうか?

 

英語に、Those who can do, those who can't teach.という言い方があります。直訳すると『できる人は実行する。できない人は教える』。この表現は、多くの場合、実務経験がない人が理論や教科書的な知識を教えることを皮肉って使われるようですは、実務家と評論家の違いを指摘する一つの見方としても解釈できます。実務家(実際にその仕事を行う人)は、現場で得た経験や実績に基づいて行動し、問題解決に当たります。一方で、評論家や実務経験なく教えるだけの人は、理論や他人の事例に基づいて話すことが多くなります。というか、それしかできません。机上で考える者に、実務経験が必要な仕事を任せていけません
 

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先日・・・

という記事が配信されてきました。ザッと読んだところ、簡単に言えばあるIT企業のツールの宣伝でした。

 

汎用機全盛時代、我々は日経コンピュータを業界紙として読んでいて、寄稿したこともありましたが、当時の記者、編集者は泥をかぶった実務経験がないものの、一定の見識を持っていました。今の記者は、歴史をたどり十分な調査をし、変遷とその背景を理解したうえで書いているのか?と思ってしまうことが少なからずあります。

 

ノーコード、ローコードの開発という言葉が出て来たのは、バカげたDXブームに煽られて(踊らされて)、身近なシステム(ツール?)の開発を始めたことから、情報システム部門だけでは開発需要を満たすことができず、現場でもシステムやツールを作れる手段が必要というニーズから出てきたものです。ジャストのCMに管理職風の豊川悦司が『自分でも作れた!』というものがあります。

バカげたDXブームとは適切な表現ではないという方もいるでしょうが、本音です。昔あったMISブームと同じだからです。MIS(management information system/経営情報システム)という言葉が出始めたのは1960年代後半。高度経済成長期であったこともあり、競って導入されたのは1970年代から1980年代でした。それから半世紀!この時間があれば、今頃DXなどと叫ばなくても済むはずです。とかくブームに踊らされがちですが、俯瞰力と先見の明を持つCEOが立てる経営戦略と、それをサポートするCIOが企画する統合情報システムがあれば、無定見なブーム迎合にはならないはずです。

 

そもそもDXとはなんでしょう。スエーデンの先生が提唱した概念だそうですが、それをそのまま紹介すると❝ITの浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させる❞というもので、デジタル技術を駆使して企業経営や業務プロセスそのものを根本的に改善していくような取り組みのことを指すそうです。適用する技術、製品は時代と共に長足な進歩を遂げているとしても、スエーデンの先生が提唱するこの発想、MISが最初!その後、DSS(意思決定支援システム)、SIS(戦略情報システム)などと言葉が変わり、対象も変化してきましたが、根幹は同じです。業務プロセスそのものを根本的に改善していくという件は、BPRのことで、情報システムを設計する際に必須なもの。DXだからではありません。

 

注意点として、自由度や拡張性が低い/大規模開発・複雑な開発には不向き/ツール依存などが挙げられていましたが、これは開発支援ツールにはつきもので、ノーコード開発とかローコード開発だからではありません。ツールの宿命です。それを承知で便利な道具として使うという割り切りが必要ですが、割り切り方が問題です。その場限りの便利なツールという、いわば電卓的な位置づけで使う程度でヨシとするのか、今後とも使い続けるのかです。後者の場合には、環境の変化に応じたエンハンス(機能強化/修正)が必要になります。それを誰がやるかです。

自分で作ったと悦に入っているこの部長が、人事異動で代わり、別の人物が部長になったとき、新任の部長がこのツールを使うのか否か?要らないというかも知れないし、使うとしたら機能に過不足があると言い出すかもしれません。その時、そのツールの仕様書はどこに?ということになります。前任の部長の頭の中にあります!つまり、EOU(Ease of use)な開発支援ツールを使って小回りの利くものを作っても、❝何をどうすればいいのか❞は作った人しかという状態になってしまいます。これでは、組織としては困ります。


要するに、ノーコード開発とかローコード開発で最も気をつけるべきは、開発手段ではなく仕様です。この記事はそれに言及していないのが残念です。という、この記事を書いた記者、書いた記事をチェックした編集者は、実際にシステム化対象の業務を分析し、業務間の連携、作業の連続性を考慮し、どの情報を使ってどんな判断をするのかという業務の中身を理解した上で、システムを企画/設計/開発した経験がないのでしょう。

 

これに限らず、最近のIT系雑誌、サイトから発信されてくる情報には、???というものが多くなってきた気がします。歴史をしり、現場を知ったうえで、的確な記事を書いて欲しいものです。

 

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本棚を整理していたら、自治体の情報化に関する知人から頂戴した本が見つかりました。今日はこれをネタにします。

この本は、1990年代、都庁の管理職を某大で教えていた際、その教室を仕切っていた教授の著書です。大学の先生らしく理路整然と書かれていますが、彼は情報システムの企画、設計、開発、運用、保守の実務経験が全くありません。その先生、情報化について書く・・・

 

西洋の諺に、足のない人が走り方を教えるというものがあります。足がないので走って見せることができないものの、速く走るための理論には通じている人のことで、評論家のような人ということもできます。上手くいけば自分のアドバイスのお蔭、失敗すればお客の力不足という都合の良い解釈をするのも彼らです。また、現場で額に汗し、泥をかぶり、恥をかきながら仕事した経験がない、あるいはその経験が遠い昔だったりする現場感覚の薄れたコンサルタントの行きつく先が評論家です。走り方を忘れたり、走ったことがない評論家が走り方を教えるのだから、教えられた選手が表彰台に上るまでに成長することは難しく、ましてや今年行われたパリ五輪に出場する選手にはなれません。

 

元ブリジストンの社長は、長年の経験の中で言えることとして『理論家に優れた参謀はいない』と結論づけていたようですが、泥をかぶったことなく地に這いつくばった経験もないのに実学である情報システムを論じ、本まで書いてしまう大学教授・・・その彼らを専門委員会の委員に起用して、会議に箔を付けて起案した政策を通す省庁、役所のなんと多いことか!

 

それはともかく、数学や理論物理学のように、秀でた頭脳があれば机上での思索を巡らすことで事足りる領域もあります。しかし情報システムは、システム化対象の業務を分析し、適宜改善改革を行い、なお且つ一筋縄ではいかない意識改革を必要とし、そのうえでシステム化を行うという泥臭い実学、机上ではなく実務を通して知識を蓄積するものです。これら作業に必要な能力であるヒアリング、ドキュメンテーション、プレゼンテーション、ネゴシエーションという基本リテラシも、実践を伴わない机上の議論(空論)では身につきません。情報システム(IT)も、BPR後の業務を如何に効率よく処理するかという、生産性、導入効果(定性、定量)に主眼があり、技術先にありきではありません。実務経験ゼロのIT専門誌の記者が書く記事も似たようなもので、業務分析の結果を踏まえて業務改革を行った専門誌の編集長が『業務改革はまず現状把握からという定石は、こういうことを指すのかと実感した』そうですが、それまで実戦経験のないまま平気で記事を書いてきたことを暴露してしまっていることに気が付かないようです。

 

業界をリードしなければならない専門誌の編集長が業務改革を初めてやってみたとは、驚きを通り越して呆れます。彼らの書いた記事を読むときには受け売りではなく、自身の経験に照らして気を付けて読まなければならないことが分かるでしょう。無定見に専門誌を信じてはいけません。


大学の先生はどうでしょう。前述のように、理論物理学、数学のように机上で研究可能な分野もありますが、情報システムのような実践経験が必要な実学は、実際にプログラムを書き、デバックし、バグを出して上司に怒られ、システムダウンを起こしてクライアントから大目玉を食らった経験を持たない大学の先生が教えられるものではありません。独身時代、都銀でシステムトラブルが起きて動員がかかり、何台かのバスに分乗して深夜の東名を西の方角に走った経験を持っていますが、机上で情報整理&分析した結果を元に、システムの品質、信頼性を机上で講義してもインパクトがありません。所詮、人から聞いた話で、臨場感を以て講義することはできず、説得力が違います。ある大学で講義を受け持っていた際、私の書いたテキストの原文をUSBに入れて欲しいと言ってきた主任教授がいましたが、どうするつもりだったのかは想像に難くありません。ちなみに、この先生、私のBPRの解説図を真似して、自分のテキストに使っていたのには驚きました。友人の横浜市立大の先生に見せたところ、『あの先生が、こんなことをやるのか!』と驚いていましたが、実務経験がないまま情報システム構築の前に行う業務分析、改善改革を教えることが難しいことを理解して欲しいと思ったものです。
 

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Googleという検索エンジンと出会ったのは2000年前後だったと記憶していますが、その素晴らしい検索能力は大いに仕事の役に立ちました。今や公私を問わず、水や空気のようにあって当たり前の欠かせないインフラのようになってことは、皆さんご承知のとおりです。しかし、検索すると多数がヒットして、どれが自分の求める情報かの見極めが面倒。そこで大概の場合、先頭から見ることになります。表示された先頭から見ることになることから、アピールしたいサイトの運用者や注目を浴びたい人は、できるだけ先頭、あるいは上位に表示されるようにしたいものです。検索結果が上位に表示されることにより、閲覧数が増え、自サイトへ誘導することができ、集客につながり、知名度も上がることが期待できます。そのための諸施策は、俗にSEO(Search Engine Optimization)と呼ばれます。ネットで捜したら、Googleの検索で上位に表示されるための方法がありました。

だそうです。

検索クエリとは、ユーザーが検索エンジンで検索(質問)する際に使用した語句や文章のことですが、検索クエリを調べることで、ユーザーがどんな目的でWebサイトを訪れているのかが分かり、その情報を使って検索上位に表示されるよう改善を行うことができます。米テスラは今年6/13、定時株主総会でイーロン・マスクCEOへ、560億ドル(約8兆8000億円)規模の巨額報酬が承認されたようですが、イーロンマスクにしては随分セコイことをやっていました。どんなことか?SEOではありませんが、自分の投稿へのインプレッション数が多くなるように、技術者たちにアルゴリズムを変更させた・・・

Guardianによれば、きっかけは・・・

アメリカで人気のあるスーパーボウル、これにバイデン大統領が投稿したら2900万回のインプレッションがあったのに対し、イーロンマスク910万回しなかったということでした!しかも、バイデン大統領のフォロワーが3700万人に対し、イーロンマスクはそれを大幅に上回る1億2800万人ものフォロワー数を持っているにも拘わらず!Guardianの文章を引用すれば、The effort was sparked when a tweet from the president, who has 37m followers, generated nearly 29m impressions while a similar tweet from Musk – who has 128m followers – generated little more than 9.1m impressions.(アルゴリズム変更のきっかけとなったのは、フォロワーが3700万人いる大統領のツイートが約2900万回のインプレッションを得たのに対し、フォロワーが1億2800万人いるマスクの類似ツイートが910万回強しかインプレッションを得られなかったこと)です。

で、どうしたかと言えば・・・

イーロンマスクの意向を受けたエンジニアたちは、マスクの投稿を1000倍に増やすアルゴリズムを作り、且つマスクのフォロワー1億2890万人の90%以上がツイートを目にするようにしました。さらにマスクをフォローしていない人々にも、マスクの投稿が表示されるようになっています。朝日新聞にも紹介されていました。

お金で言うことを聞かせることができると思ってる彼には、バイデン大統領の投稿の見た人の数の3分の1以下しかない自分の投稿を見た人の数をアルゴリズムを変更して増やし、現役大統領を上回ったと吹聴したかったのかもしれません。

悪代官のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

何とも情けない人物ですが、身の回りにもいることに気が付きます。大きな病院の創業者一族が、県の医師会会長になったり、学会の理事になりたがる場面を見てきたし、金を積んで超有名大学に出入りし、その名前を名刺に刷り込んだ人物もいましたが、似たようなものでしょう。超有名大学から理学博士号を授与された友人がいますが、彼に『よく、論文を書く時間があったなぁ~』と言ったら、『金!幾らでも書いてもらえる』のだそうです。数百億を持っていた彼は、有名私立大にも自分の名前を冠した××記念ホールを寄贈しましたが、その額約20億!

 

お金で買ってしまう(買えてしまう)ものがありますが、得たものの価値は本人が一番よく知っているはずです。虚勢を張って大きく見せたいという欲求が芽生えることがあると思いますが、自己実現のための努力はするものの、虚勢を張らずに自然に生きたいものです。

 

明日から今月2回目の3連休、このブログもお休みします。

 

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前回前々回に引き続き、ユーザインターフェイスの2回目です。

JR、製造業、小売業、卸、医療機関など、複数の業界業種で業務分析とそれを踏まえた改善改革を行い、適宜情報システムの設計をしてきました。システム設計で最も注力したのは、画面設計/操作/遷移/メッセージ、いわゆるユーザインターフェイスです。医療系大学の先生が画面は仕様そのものだと言っていましたが、正にそれです。ノンインテリジェント端末ではないパソコンを端末にする設計が主体になってきてから、特にそれがいえます。どうして?パソコンにインテリジェンスがあるからです。やろうと思ってもできなかったことができるようになりました。そこで、今迄やってきたシステム設計で気を付けていたユーザインターフェイスにつき、前回前々回に続き今日は3回目(最終回)です。

 

表示時の工夫

 目的に沿って利用しやすく見栄え良く必要な情報をレイアウトして(並べて)表示することで、作業が 効率的に進むことが期待できます。操作に手間取ったり、誤った操作をした時の修正ができないようでは良いインタフェースとは言えません。使うに際して慣れを期待するようではアウトです。 作った人が使えるのは当たり前で、自分で使って満足するのではなく、そのシステムを業務の中で使う 人に使ってもらって評価を受け、適宜反映し、完成度を高めていかなければなりません。例えば・・・

《数字の羅列 ⇒ 分かっている人しか使えない》 

12,345  12,346  12,347 

 1,254   1,236   1,237

《見出しを付ける ⇒ 因果関係がハッキリする》 

      5月     6月        7月

売 上  12,345  12,346  12,347 

利 益     1,254   1,236   1,237

 

《罫線を付ける ⇒ 見る範囲が特定されるので見やすい》

《強調する ⇒ 注意を喚起する場所が明確になる》

 

この他、高輝度、フラッシング(点滅)などを使って前年実績を下回った/予算未達成などの問題 ある部分を明示し、気を付けて欲しい情報(数字)であることを強調します。情報の活用の基本と して、気になる情報や、気を付けて欲しい情報をその他の情報と区別することも重要なインタフェ -スと言えるでしょう。 

《色:色が持つ機能が使え、目を引く事ができる》

~ 表題、項目名称の的確性 ~

その画面、帳票がどんな目的のものかを的確に表現したもので、一目でどの様な情報が盛り込まれて いるかが分かるものが望ましいでしょう。例えば、生産状況が見る画面やメニュ-の名称が、ただ単 に“生産”という名称ではなく、“××生産状況一覧”などとすべきです。さらに、生産状況といっ ても、

①会社全体の状況を見たいのか、

②ある生産ラインについて知りたいのか、

③特定の製品についてのものなのか、 

など、見る人の立場によっての区別が必要になるはずであり、それに対応したインタフェース(見せ 方)になっていなければなりません。 また、この時の名称はその会社、業務で使い慣れた俗称が親しみがわきます。例えば、“昨年対比” ではなく“昨対”です。“売上対比”ではなく“売対”であり、“毛様溝固定術”ではなく“サルカス” です。これにより、身近なシステムだという雰囲気が養生されることになると思います。もっとも、 杓子定規な分からず屋の幹部もいるので、正式名称を使った方が良いかもしれません。その辺は、臨機応変に!

~ レイアウトの工夫 ~

相互に関連のある情報(デ-タ)を自然な疑問がわく順に並べることが基本です。例えば、当日、 何が何個売れたかの情報を提供する画面、帳票の場合、一般的に以下の様式です。

何が(どの商品が)?というものであるから最初に商品名が来ます。次に、それが何個売れたかと いう疑問が自然に湧くはずなので、販売した個数が隣にきます。そして、結局幾ら売れたの?となる はずなので、“販売額”としてその隣に並べるのが自然です。単価は常識的に付けるべきもですが、 商品に対応した情報なので、商品名の隣に配置する場合が多いでしょう。

目的を踏まえた自然な発想からはずれ、次の様なレイアウトになっていたら、良いインタフェ-スとは言い難いことは自明です。

この様な単純明快な間違いは起こさないはずですが、現場観察がいい加減で、おざなりのヒアリング で仕様(インターフェイス)を決め、リセットして考え直すことなくその場しのぎの変更を繰り返し ていると、こうなってしまうことが往々にしてあります。そのうち拾い読みに慣れ、何とも思わなく なることもあります ⇒ 鈍感化! 何が正しいのか、使い勝手がいいのかを考えることもなく、十年一日の如く現状是認を続けている うちに慣れてしまい、そのうち何も問題ないと思ってしまうまでに鈍化してしまうケースは珍しく ありません。

 

以下のようなレイアウトを平気で考えるSEとは呼べない皆さんもいます。

・タイトル名だけでは、何時の、何の販売一覧か分からない。

・何の“名前”なのか分からない。

・金額、値段の区別が不明 etc。

 

また、メッセージ表示領域の大きさとメッセージの長さ、大きさとがアンバランスな表示を平気でプログラムするSEもいます。点線で囲まれた領域は無駄!且つ、センスが悪いというか常識がありません!

《参考》 

印刷されたら変更が利かない紙と違って、画面に表示する場合は項目の並び順を自由に変更することも できます。技術の進歩と共に、消えていくノウハウ、新たに生まれるノウハウがあります。昔の技術、ノウハウの延長線上で考えることなく、適宜、新しい技術を取り入れるチャレンジ精神が求められます。

利用の仕方が業務(人)によって違うこともあるので、一過性ではなく固定にした場合には、ログインした人との関連づけをしておける機能があると便利です。

 

できなかったことができるようになったのに、賞味期限が切れている昔の技術、経験を振りかざす上司がいると、仕事がしずらくなります。逆に、安定していない技術を使えという上司も困りモンです。システムを設計する者は、枯れた技術を使うか、最新技術で実装すべきか否かを見極める力が必要になります。もちろん、ユーザーインターフェイスの設計も同じことです。

 

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前回に引き続き、ユーザインターフェイスの2回目です。

JR、製造業、小売業、卸、医療機関など、複数の業界業種で業務分析とそれを踏まえた改善改革を行い、適宜情報システムの設計をしてきました。システム設計で最も注力したのは、画面設計/操作/遷移/メッセージ、いわゆるユーザインターフェイスです。医療系大学の先生が画面は仕様そのものだと言っていましたが、正にそれです。ノンインテリジェント端末ではないパソコンを端末にする設計が主体になってきてから、特にそれがいえます。どうして?パソコンにインテリジェンスがあるからです。やろうと思ってもできなかったことができるようになりました。そこで、今迄やってきたシステム設計で気を付けていたユーザインターフェイスにつき、前回に続き今日は2回目です。

 

良好なインタフェ-スを考慮する背景 

システムを使う側は、ひと昔前までは専門家が処理し、使える形にした情報を使う一方通行の受け身の姿勢でした。PA(personal automation)やOA(office automation)の必要上、コンピュ-タのパワ-を受け身でなく積極的に使いこなさなければならなくなってから既に20年以上経過しています。また、企業活動に於けるシステムの位置づけが、補助的なものから欠くことの出来ないものに変化して来て、あらゆる業務が システム化の対象になってくると、今までシステムとは直接的には関わりのなかった人たちも使わざる を得なくなって来ました。この様な環境の変化は、コンピュ-タの素人が不安なく使えるインタフェ-スが必要になると同時に、 操作ミスや誤った判断をしないような分かり易さや、快適な使い勝手を支援するインタフェ-スを考 えなければならなくなって来ました。

 

良好なインタフェ-スとは 

インタフェ-スには、下表に示した分類があります。

この分類を頭に入れ、良好なインターフェイスにつき経験に基づき説明します。 

見た目の良さ

平たく言えばとっつきの良さです。 

・格好良い最新のパソコン(器械)が入った!

・きれいな画面だ!

・自分でも出来るかな?出来そうな気がする!

・使ってみたい。面白そう! 

と思ってもらえれば、まずは成功です。

 

格好良い最新のパソコン(器械)が入った!

 何もパソコンに限る必要はありませんが、“オッ!何か新しい器械”が入ったと思わせる斬新な デザインのものは、中身の話は別として最初の導入部として重要です。言わゆる“ダサイ”か、 “あか抜けている”かも広義の意味のインタフェ-スとして考慮すべき事柄です。

シンプル、きれいな画面/見やすい帳票

 網羅的に詰め込まれていないスッキリした簡潔な画面や帳票。とかく使用目的以外の支援情報を 同時に表示、印字し、画面や帳票を目いっぱいに使ってしまう傾向にあります。 特に汎用機時代の帳票の場合は、目的別に作るのではなく、幾つもの使い方をするために利用目的 沿って拾い読みできるよう網羅的(複数目的)な表示になることがありました。 本来、アレもコレもではなく、どの業務のどの目的の為に使われるものであるのかを意識したもの にしなければなりません。画面ベースの処理がほとんどな今は、目的別に画面を作ることが当たり 前になってきました。特に、医療情報システムでは間違いが起きないように、一画面一機能を基本 としています。

自分でも出来るか?出来そうな気がする!

自分でもできるかな?と思わせることから、情報の有効活用が始まります。given(与えられたもの)から、自らアクションを起こすものへの変革を促すような魅力的なインタフェ-スを考え なければなりません。 そのためには、現場を観察し、現場の要求を把握し、作業の連続性を妨げない画面、画面遷移、 操作性、ガイド、メッセージの設計が必要になります。

使ってみたい 

自分の仕事に役立ちそうだ、使ってみたい、という気持ちにさせるインタフェ-スに配慮する段階 までくると、作ったものを使え式の従来型のスタイルから脱却し、かなり進歩したと言えます。 パッと見て、『使えそう』とか『面白そう』とか思わせるのは、きれいな画面/見やすい帳票ですが、その他に的確で見やすい表題/罫線や色を使って強調すべき箇所を明確にするなど、見た目がハッキリしている等が挙げられます。

 

操作性 

使ってみたいと思わせるインタフェ-スを提供することに成功したとしても、実際使ってくれるかが 問題です。依然としてキ-ボ-ド拒否症の人はいるし、“コンピュ-タは難しいもの”という既成概念 で固まっている人もいます。これを解決するためには操作の物理的インタフェ-スとコンピュ-タの 特別な知識がなくても安心して使える環境(広義のインタフェ-ス)の提供が必要になります。そのためには、“安心して間違ってください。システムがフォローします”というコンセプトで作り上 げる必要があります。特に生死に直接関係するかも知れない医療情報システムでは外せません。安心して操作できるように、操作しようとする作業に見合ったメッセージを表示することも必要です。例えば・・・

手術日を変更しようとした ところ、その日は執刀医の 手術日ではなかった。

手術日を変更しようとしたとこ ろ、執刀医の勤務には問題なかっ た。しかし全身麻酔が必要な手術 だったので、麻酔医の勤務を調べ たところ不在でした。医師の勤務スケジュールを参照しているので可能な機能です。

この様に、ユーザインターフェイスを考える時には、現場を十分観察し、現場の看護師の意見要望を聞き、実務に則した操作を支援する機能を用意することで、安心して使ってもらえるシステムが出来上がります。

 

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JR、製造業、小売業、卸、医療機関など、複数の業界業種で業務分析とそれを踏まえた改善改革を行い、適宜情報システムの設計をしてきました。システム設計で最も注力したのは、画面設計/操作/遷移/メッセージ、いわゆるユーザインターフェイスです。医療系大学の先生が画面は仕様そのものだと言っていましたが、正にそれです。ノンインテリジェント端末ではないパソコンを端末にする設計が主体になってきてから、特にそれがいえます。どうして?パソコンにインテリジェンスがあるからです。やろうと思ってもできなかったことができるようになりました。

 

そこで、今迄やってきたシステム設計で気を付けていたユーザインターフェイスにつき、今日から3回、解説します。

 

はじめに

便利な機能があっても、使いこなすのに苦労するのでは意味がありません。また、業務間の連携や 作業の連続性を考慮しない画面遷移や操作性では作業効率が悪く、現場の生産性にも影響がでます。 とかく実装する技術面に興味が行きがちですが、システムに載せた業務が、それ以前に比べてより効率良く確実に処理されるようになっているかに気を配らなければなりません。そのためには使い勝手の良いインターフェイスが求められます。経験から言えば、❝業務を理解していなければ使い勝手の良い(ユーザー)インターフェイスは作れない❞といえるし、 ❝現場の第一線で仕事をしている人なら、画面を見るだけで何をすれば良いのかが分る❞ が、理想的なインターフェイスといえます。

 

ユーザフレンドリ

MMI(Man Machine Iinterface)、UI(User Interface)、UX(User Experience) 画面設計、画面遷移、ユーザーフレンドリな操作設計、ガイドの出し方、メッセージと応答の仕方 などシステムとそれを使う人との間のやり取りを円滑に行うことで、システムの対象となる業務の 作業効率が向上することは知られています。このやり取りのことを、昔はMMI(マンマシンイン ターフェイス)と言っていましたが、UI(ユーザーインターフェイス)というようになり、最近 ではUX(ユーザーエクスペリエンス)という言い方が流行ってきました。 アカデミックな方々は、UXはユーザーインタフェースのことではなく、どのように使われるのか という視点で製品/サービスを捉えた考え方を指す等と重々しく定義しています。 一方、シンプルに、❝使う際のユーザビリティ、楽しさ、満足感、感動などの総称❞という定義も あり、この方がシンプルで分りやすい説明です。一言で言えば、❝ユーザフレンドリであること❞ だと思います。利用者がユーザフレンドリと感じないのは、どのような場合でしょう?

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・使い勝手が悪い(実務に即していない)

・必要な情報にたどり着くまでに時間がかかる

・操作手順が分かりにくく、マニュアルを見たりヘルプデスクに問い合わせないと分らない

・操作に対するレスポンスが遅く、イライラする

・入力ミス、操作ミスを起こしやすい

・操作ミスした時のリカバリができない、難しい、面倒

・適切なガイド、メッセージではない

・見た目、使いにくそう(使おうという気にならない)

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などが、その代表です。逆に言えば、そうならないようなユーザーインターフェイスを持ったシステム を作れば良いということになります。例えば・・・

 

友達同士が会話する感覚

 お互いに相手のことが分っている者同士がアウンの呼吸で会話している様な状態

初期設定でも通常の処理なら問題なく動いて欲しい

  設定をカスタマイズしなければ使えないのではなく、初心者は標準設定、上級者は カスタマイズ

少数の上級者よりも、それ以外の初級、中級者に受け入れられるインターフェイスにすべき 

などが考えられます。

 

ツールとシステム(業務アプリケーション)とで違いがあるとは思いますが、おおむねこの様なポリ シーで作られたものは、ユーザーフレンドリなインターフェイスを持っていると考えて良いと思います。 ある調査では、よく考えられた優れた使い勝手を持つシステムを使うと、仕事の生産性が上がり、ひい ては経営に寄与すると言われています。ユーザーインターフェイス、おろそかにできません。下表は以前、ユーザ教育をしていた際に使った自作テキストからの抜粋したインターフェイスの種類です。

ユーザーインターフェイス設計者に求められるのは、#2,3のセンスです。 分かればいい式のものではなく、

①より良く見せる、

②より良く理解してもらう

など、“より~”を 考えるようになって来ました。それは、システムが分かる人だけ見る、使うというシステムを専門 とする関係者向けのものから、多くの素人(システム関係者以外の業務部門の皆さん)が、気負いなく 当たり前の様に使う時代になって来たことを反映しているからでしょう。また、実用一辺倒の質実剛健で面白味のない時代から、軽薄短小の時代に移ってきた事の現れでもあると思います。感性インターフェ-スという言葉がありますが、正にそれ!
 

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病院の業務分析、改革改善とシステム化のコンサル&実務をしてきた経験を踏まえ、たびたび起こる医療ミスにつき、その原因と情報システムの機能を活かした再発防止策は?という視点でブログを書いてきました。今回もそれです。

医療事故
2022/2、千葉県循環器病センターに入院中の70歳代患者への血栓予防の抗凝固薬を処方し忘れ、患者が死亡。

経緯

①患者は心不全や不整脈の持病があった。

②患者は、リクシアナ(抗凝固薬)を服用していた

③2022/2、呼吸苦で同センターに救急搬送された

④集中治療室に緊急入院

⑤主治医はリクシアナ(抗凝固薬)の内服を中断

⑥注射用の抗凝固薬(ヘパリン)の点滴に切り替えた

⑦治療で症状が改善

⑧男性は入院4日目に一般病棟へ

⑨それに伴い、主治医はヘパリンの点滴を終了

⑩主治医は、普段患者が服用していたリクシアナを処方しなかった

⑪患者は入院11日目、血栓が脳血管に詰まる心原性脳梗塞を発症

⑫患者は、大脳機能に障害が起きて死亡
原因
点滴終了と共に、患者が血栓予防のために服用していた抗凝固薬(リクシアナ)を処方しなかったことにより、血栓が脳血管に詰まる心原性脳梗塞を発症し、死に至った。

その他

当時、主治医は心臓に関係した症状のある患者を10人以上を担当し、多忙だった。看護師や薬剤師らも気が付かなかった


以上が経緯ですが、多忙を患者が死亡する事態の免罪符にする?それは理由にならないでしょう。多忙なことから注意力が散漫になり、ミスをし易くなるのは分かるとしても、それを理由にしたら、ミスが何百名の命に関わる飛行機のパイロット、新幹線の運転士はどうするのでしょう。万が一のことが起きないよう訓練を受け、経験を積み、万が一のことが起きた時には、できる限り被害を少なくする対応がとれるようにするのが、専門的な職業である医師、パイロット、運転士ではないかと思います。

 

再発防止

千葉県循環器病センターの医療事故調査報告書によれば以下のとおりです。

再発防止策ではなく、事故を起こした要因が書かれているヵ所が多数あります。また、『~が必要であろう』、『可能性は高い』、『望ましい』、『対策が検討できる』、『~していきたい』など、当事者ではなく第三者的というか他人事のような書き方には呆れます。再発防止は原因を踏まえた実効ある具体的な施策でなければならないことを、この報告書を書いた医療センタのメンバは理解しているのでしょうか?

 

今回の場合、どの様な機能、仕組み、チェック体制があったら防げたのでしょうか?

 

今回の最大のポイントは、心不全や不整脈の持病があったこの患者が、血栓予防のための抗凝固薬を服用していたことへの失念です。報告書には、患者の家族にも協力してもらい、患者が服用していた薬を申告してもらうよう、ポスタ掲示や入院案内で告知すると書かれていましたが、今回はそれとは無関係です。なぜなら、主治医は患者が服用していたクシアナ(抗凝固薬)の内服を中断させて、点滴用の抗凝固薬(ヘパリン)の点滴に切り替えたということは、主治医は患者がクシアナ(抗凝固薬)を服用していたことを知っていたわけです。電子カルテの処方履歴をみればそれが分かるはずです。患者の症状が改善し、一般病棟に移った際、ヘパリンの点滴を終了するという処方も電子カルテに記録されているはずです。

 

この時、電子カルテは、患者がクシアナ(抗凝固薬)を服用していたという情報を持っているので、注射用の抗凝固薬(ヘパリン)の点滴を止めたら、中断していたリクシアナ(抗凝固薬)の服用を再開しないと、血栓予防のための薬がなくなってしまうことを検知する機能が再発防止のための最善策になります。

 

千葉県循環器病センター医療事故調査報告書には、看護師、薬剤師にも注意を払うよう促していますが、もちろんそれはその通りですが、注意は時間の経過と共に効果は薄れるのは知られています。これこそ、人間に頼らず、情報システム(電子カルテ)の機能を強化して対応すべきです。例えば、こんなロジックです。

 

病名が心不全や不整脈⇒抗凝固薬が必要

というルールです。これを教師データとして電子カルテに学習させます。これを使って・・・
 

①抗凝固薬としてリクシアナを服用していることが登録されている(主治医はそれを見ている)

②リクシアナを中断(主治医は、内服薬より効果の高い点滴薬に切り替えようとした)

病名が心不全や不整脈患者なのに抗凝固薬を中断して良いのかという警告メッセージ

④点滴用ヘパリンを処方(警告メッセージ解消)

⑤点滴用ヘパリンを中断

病名が心不全や不整脈患者なのに抗凝固薬を中断して良いのかという警告メッセージ

⑦ここで処方忘れに気が付く

 

これが本物の再発防止策になるでしょう。

 

明日から3連休です。本ブログもお休みします。

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唯我独尊、独断専横というか、自己愛というか、恥ずかしくて言い淀んでしまう発言や要求も平然としてしまう兵庫県知事。四面楚歌の状況にもかかわらず、虚偽の説明をすると罰せられる百条委員会でも平気な顔で受け答えする彼のメンタルの強さは驚くばかり。その中で『仕事に対する取組み姿勢に問題があったので、厳しく指導した』という説明は何回も聴きました。そして、

という自己評価をしています。ウ~ン・・・この人、それほど仕事できるのでしょうか? 彼は、質問せず/疑問を抱かず/自分の言いなりになってくれる人が仕事の出来る人ということかもしれません。明石市長時代に知事と意見交換したことのある泉さんが『県知事になることそのものが目標の人』と評したように、知事になって県政をどう変えていきたいのかのビジョンがなく、単に全てにおいてひれ伏しを期待し、問答無用な従属を強いるわがままな育ち方をしてきた方なんでしょう。

 

総務官僚時代、あちこちの自治体に派遣されて経験を積んだそうですが、2008~2010年に派遣された佐渡市では、31歳の若さで企画財政課長、総合政策監。殿様扱いされて気分を良くしたことが今に至った根底になったのではないかという見方があります。さもありなんですが、何か具体的な成果を挙げての評価ではなく、官僚に経験を積ませるという位置づけの腰かけ管理職に何ができたのかは、推して知るべしでしょう。佐渡市役所では、『彼の機嫌を損ねてはいけない』ということで、『斎藤さんの機嫌をうかがう係』までいたということ。県庁で実施した職員アンケートに挙げられていたエレベータのボタンを押す係を配置したというのは多分本当なんでしょう。もっとも、知事が忖度を期待し、その期待に応えて昇進した牛タンクラブの4名の管理職がいましたが、告発文書がなかったら兵庫県庁の組織は北朝鮮のような状態になっていたことでしょう。

 

証拠が挙がっているものでも問題ないと強弁する斉藤知事には呆れますが、この様な人物になるとは知らず投票した85万人もの県民は、さぞかし驚いていることでしょう。選挙で選ばれて公職につく人物でも、この様に豹変する(地が出ただけ?)場合がありますが、この知事同様な姿勢で組織を仕切っている人はいます。それは、創業者一族が支配する民間企業、民間病院です。

 

今や2兆円を超える売り上げを誇るドンキホーテ、創業者(75歳)は次期社長含みで22歳になる長男(22歳)を役員に起用するというニュースがありました。最終的な判断は株主総会まで待つそうですが、創業社長の子息とはいえ、実績ゼロの人物をと思うのが普通です。昨年大きな騒動となったビッグモーターでは、副社長を務めていた創業者の息子による社員らへの度重なるパワハラ行為が取沙汰されたましたが、ミツバチで有名な山田養蜂場では、創業家で現社長の次男が、入浴施設での盗撮容疑で逮捕されるなど、いわゆる“ボンクラ息子”による愚行で家業が傾くといった事態が続出しました。最近の話では、紅麹サプリメントによる健康被害が続出した小林製薬も典型的な同族企業です。創業家中心の同族企業は、好調な時は一枚岩になって強く回るものの、回り方が逆になると負の面が大きくなり、傷を深くします。県庁の牛タンクラブのメンバ同様、権威に忖度しつつ、虎の威を借る狐的振る舞いをする皆さんが、その負の面を広げ、深くしたと思います。

 

病院はどうでしょう。病院は医師を頂点とするピラミッド構造で上意下達体質ですが、これが創業者一族が仕切る民間病院となると、兵庫県知事並みとは言わないまでも、兵庫県庁と同じ様なことを日常茶飯事で起きることを身近に見てきました。特に、良い条件での就労先が少ない地方においては、その傾向がありました。創業者一族に忖度することで、有利な計らいを受ける(受けたい)という人がスタッフの中にいましたが、忖度に徹する虎の威を借る狐的振る舞いの召使的お付きの人たちです。

『~がこう言っている』という言い方で他のスタッフに指示していましたが、創業者の意向を伝える伝令でした。伝える際に、自分の意向を織り交ぜるという狡猾な面もあったその伝令の評判は芳しくなく、私のプロジェクトへの参加希望がありましたが、皆さんの意向で断りました。

 

もちろん一番のワルはトップですが、虎の威を借る狐的振る舞いの人たち(=腰巾着)は、ずる賢いという点では、トップを上回るでしょう。歴史と伝統を誇る大企業でも、昇進目覚ましい人にくっついてご機嫌をとる皆さんがいましたが、仕事ぶり、成果でアピールするのではなく、覚えめでたさを競いあっている様は、技術の✖✖、人の✖✖を謳っていたその組織とは相容れないものだったことを思い出します。

 

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